| 2003年03月15日(土) |
同じ釜の飯を食った仲間 |
筑波大学付属盲学校の卒業式がありました、僕にとってはたった一人を送り出しただけですが、クラスの先生や担任の先生にとっては感慨深いものがあったのでしょう、この学校は国立のため地方から来てる生徒のため寮があります、どうも育ち盛りの生徒諸君にとっては食事の時間やその量に不満があるみたいです。 Shinchanがパリで経験したような、宿舎を出たあとバゲット一つと水で1週間もたすような事態でなくて、贅沢な悩みですね。
旧パリ国立音楽院 Shinchanはリヨンの国立音楽院、スイスジュネーブ音楽院で客員講師として呼んでくれている友達は、音楽院時代、腹減った夜中、こっそり宿舎の調理場の倉庫から玉葱、ハム、チーズ,ワインを失敬(時効成立?)して玉葱スープとパンをセ・ボンなんていいながら食べた悪友で、今では教授なんです、ナンパもしたし最古の商売のお姉さんにどっちが先に交渉する?なんて二人でウダウダ言っていたっけ・・・その「同じ釜の飯を食った」という意識は卒業後30年たってもその友情は続いてます。 もう課題が沢山あって時間がないないなんて言いながら、夜中中話し込む、そしたら腹が減る、しかたないから(鼠より先に)倉庫から食料を調達する、 ばれない様に出来るだけ少量に押さえる・・・ �―票砲琶△�減る→�∩匕砲�ら失敬する→��ばれて注意される(今度やったら放校だと脅かされる)→�そ�学生は沢山食料を貯蔵している→�テ雲海垢襤�やがてパパママになるか悲しい別れをする。 この腹減る五段活用が将来の友情、愛情を育む重要な要素になるのだ。
永井荷風翁は」(「ふらんす物語」 明治四一年八月の著書で 汽車は巴里サンラザール駅に着いた。この界隈はスリが多いと聞いてそのつもりで出たが紐育の中央停車場とはまるで異なる。人間が皆ゆっくりしている。米国で見る鋭い眼は一つもない。旅の赤ゲットを突き飛ばす無慈悲な男もいない。ローム通りの角に廉価の宿があった。いかにも巴里の町の女房といった内儀に出迎えられ、三階の一室に入った。自分は巴里には二日しかいられない。銀行に雇われた自分はリヨンへ行けねばならなかった。再遊の機会はあろうが、今のうちに見られるだけは見ておきたい。
永井先生が訪れた100年前と変わらない雰囲気がいいですね、同じ釜の飯を食ったローム通り界隈、青春の尻尾を置き忘れた町です。
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