新知庵亭日乗
荷風翁に倣い日々の想いを正直に・・・

2003年03月12日(水) 「打楽者日記」故郷(ふるさと)

今日、地下鉄に乗っていて突然何の脈絡もなく「故郷」のメロディーと詞が頭に浮かんだ、僕の故郷は神戸なので都会だった、田畑の思いでは幼稚園の時ぐらいで後は外国から東京に住んでいるので、何故又このような歌を思い出したのか解らない、でも小学校の時歌ったから覚えていたんだろう。
 勿論、兎が美味しいという意味だと思っていた。

兎(うさぎ)追いし かの山
小鮒(こぶな)釣りし かの川
夢は今も めぐりて、
忘れがたき 故郷(ふるさと)

如何(いか)に在(い)ます 父母
恙(つつが)なしや 友がき
雨に風に つけても
思い出(い)ずる 故郷

志(こころざし)を はたして
いつの日にか 帰らん
山は青き 故郷
水は清き 故郷


イメージ画像(このような風景も知らない)
大正3年(1914年)
高野辰之作詞・岡野貞一作曲/文部省唱歌

故郷
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ここでは掲載できませんが、これを歌で聞くと、何故か涙がこぼれます、父母も元気でしょっちゅう故郷に帰っているのに何故でしょう。

作詞者、文学博士 高野辰之
明治九年(1876年)長野県北部の豊田村の農家にうまれた高野辰之は、幼少時代を豊かな自然の中で育ちながら学問の道を志し、苦学の中からわが国近代の国文学に大きな功績を残した人物です。
 辰之は国文学における偉大な教育者でありながら、「故郷」「紅葉」「朧月夜」などの日本のこころのふるさとを歌う文部省唱歌の作詞者としても名を残しました。

作曲家、岡野 貞一
明治十一年、鳥取市古市に生まれる。吉方小学校(現修立小学校)を経て、二十四年因幡高等小学校(現久松小字校)を卒業する。
 明治二十六年、キリスト教系の薇陽学院に入学し、米人宣教師アダムズに楽才を認められ、音楽への道を志す。
 明治二十九年、東京音楽学校(現東京芸術大学)に入学、三十三年に卒業し同校の研究科生となる。その後助教授を経て、大正十二年に教授に昇任し、昭和七年に退官する。
 この間、文部省唱歌の編集、作曲委員として多くの唱歌を作曲する。
 音楽教育の発展に大きく貢献する一方、熱心なクリスチャンであり、四十年間、本郷中央教会で毎日曜日には礼拝のオルガンを弾き、聖歌隊を指導するなど信心深く、誠実な人格者であった。
 昭和十六年に没する。主な作品
ふるさと 春が来た 春の小川 おぼろ月夜 もみじ
日の丸の旗 桃太郎 夜の梅 三才女 七つの卵 紫煙る
夕やけ お日さまが見つけたもの 行く春 銀杏散る
雲の秋 雪の上の鴉 




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