| 2003年01月13日(月) |
比叡山で思った事�� |
 Shinchanは宿坊でうつらうつら夢を見ました。 幼児こ頃、あの伊勢湾台風の最中小さな川に落ちて、不思議な体験をした事です。
・あれーここは?・・・Shinchanはどういう訳か解りませんが、白い服を着た病院の先生が太い注射をShinchanに刺しているのを見ています、看護婦さんはShinchanに管のあるマスクを被せています。 「奥さん、呼吸は戻りましたので大丈夫ですが、急性肺炎を併発しています、全ての処置はしました、後は息子さんの体力、気力です、今晩がヤマです。」
外は益々風と雨が強くなり、病院の蛍光灯も点いたり消えたりしました。お母さんはずーと側にいます、Shinchanは・・・大丈夫ここ・・・と言いたいのですが、フワフワしていてお母さんの側になかなか行けません。
「Shinchan、Shinchan、あんたは絶対大丈夫、死んだりせーへんよ、お母さんはねー知ってるの」と手を取って話しかけています。 「・・・・」 すると又綺麗な光の玉がやってきました、そして目が眩み、眠たくなりました。
この体験はなんだったのでしょうか?この時Shinchanは言葉が遅れて、近所 の子供達から唖のShinchanと言われていました、でもこの時の記憶は今でも 鮮明に覚えているのです。
この事を考える上で 近代科学の本源とも言えるギリシャでは、どうだったか。古代ギリシャの哲学者 プラトンは、この世を本来の世界の影のごときものと考えていた。しかも、この 賢人は名著『国家』の中で、火葬寸前に蘇った兵士の、死亡中に体験したこと (現代でいう近似死体験)を語らせ、詳しく記録してもいる。また、肉体は死す べきもの物質的なもの、霊魂は不死なるもの形而上のもので、この二つは個人 の生涯にあって、ただ一時のあいだ連合しているにすぎない、すなわち 「肉体は霊魂の牢獄である。肉休から魂が解放されることが死である」 と述べている。さらに『共和国』の一節には「正しきものに与えたまえる 神々の祝福は、現世の富や栄華よりも尊く、また永久的なものである」とあり 、このようなプラトンの霊魂観は、初期キリスト教の哲学者に影響を与えるこ とになる。 『純粋理性批判』などで名高いドイツの哲学者イマヌエル・カントも、心霊や 超常と呼ばれている現象に対して、柔軟な態度でその研究価値を認めていた。
比叡山で見た夢は生命(魂)は三世に亘って続くという事です、 そして微かな記憶では、人相の悪い人達が、俯いて、打ちひ しがれてある方向へ歩いているのです、その様子は大変寂しく 悲しい感じがしました。 ふと外へでると満天の星が輝いていました、広大無辺の大宇宙じたいが誕生と死を包含して、そこには愛や慈悲に満ち溢れているような気がします。
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