| 2002年12月02日(月) |
’72ベトナム国立音楽院�� |
ベトナム国立音楽院
これはShinchanが1971年巴里国立高等音楽院に留学していた時のお話です。
まだアメリカと北ベトナムの間で戦争が続いている最中の事です、以前ベトナムがフランス領だった事もあって、国立音楽院どうしで共同研究や交歓学生交流が行われていました。 ある日音楽院の掲示板にle Viet Namという文字が目に入りました、未だフランス語の文章に慣れてなかったので、友人に読んでもらいました。 ・・・ベトナム派遣学生応募、オーケストラ要員に限る・・・という事でした、 Shinchanは巴里のローマ通りの宿舎の近くによく行くカフェでベトナム料理やコーヒーをよく注文していました。
底にコーヒーの粉がたまり、濃くて沢山砂糖を入れます、いわゆる粉コーヒーですね、これは後に行ったバリ島のバリコーヒーと味が似ています。友人とそのコーヒーを飲みながら「僕、応募しようかなと思っているだけど、君は?」 「その後の文章には、外国留学生の場合は大使館の証明書が必要と書いてあったよ、そして陸軍士官学校で基礎的軍事訓練を受けるとも書いてあったよ」 「陸軍士官学校?」 「だって戦争中だよ」 「ふーん、これはダメかな」 「ティヤン!そうだ、モレーヌは応募したらしいよ」 「えー!女の子でもいいの?」 「ここはフランスだぜ」 Shinchanはちょっと不純な動機でとにかくダメ元で応募することにしました。
カメラマン赤塚 俊介氏の報道写真 http://www.angel.ne.jp/~nisikori/nam/cman/zp_akatsuka1.jpg? 在パリの日本大使SさんがShinchanの両親を説得してベトナム派遣に全責任を負う事で承諾書を発行してくれました、S大使とはその後色々な所でお世話になるのです。

総勢6名、内女性4人(逞しい!!、外国人はShinchanとカナダの女性)がここパリの陸軍士官学校でサバイバル訓練を受ける事になりました。 「ようこそ、我が士官学校に!最初に言っておく、このような無謀な計画を実行しようとしている文化省の意図が私には理解を超える、しかし諸君がたとえ一人になっても生き残る術を全て教え込む、脱落者は名簿から外す、ダコー?」 とモンジュゥエール大佐が言った。
Shinchanは既に柔道二段極真空手初段を取得していたので・・・おもろいやんか・・・なんて言っていましたが・・・おしっこがちびるような過酷な訓練が待っていたのです。
|