Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2002年12月29日(日) 史上最大の敵

2002/12/30 (Mon.) 17:42
今日は、ずいぶん速いペースで
日記を書いているような気がする。
単に、書くことがなくて短いだけだが。

この日は、少しイベントがあった。
父は車に乗って帰ってきたので、
その車で伊豆まで行くことになったのだ。
別に泊まりに行くわけではなく、単にドライブだ。
なんでわざわざそんな混むところに行くのかとも思うが、
どうやら、単に母の趣味らしい。

そして、忘れもしない昼食の時。
僕は、鶏と牛を選べずに、
両方とも一緒の皿に乗って出てくる
ミックスグリルとかいうのを食べて満足していた。
ちなみに、行ったのはガストだ。
21歳にもなって家族そろってガストなんて、
とも思うが、んなこと気にしても仕方がないので
ここはあえて流す。
それにしても、最近のファミレスは安くなったもんだ。
デフレ圧力がこんなところにもかかっているのか。
これだけ物価が安くなれば、
みんなの生活にも余裕が出てきそうなものだが。
たぶん、あらゆるものの供給が多すぎるのだろう。
だから、需要はそれなりにあるにもかかわらず、
それを片っ端から食い尽くして、
足りないような感覚になっているのではないだろうか。
まったく関係のない業種同士が競合しているのだと思う。

とにかく、昼食を食べて満足して、
ファミレスを出て帰ろうとしたその時だ。
僕は、自分で勘定を払わずに
レストランを出るという、もうほとんどない経験を
喜びながら、駐車場を歩いていた。

突然、僕の前頭部を猛烈な強打が襲った。
ガンッという金属の音と共に、
僕はその場に思いきりのけぞった。
いったい、なんだ…?
僕の頭の中には、その瞬間に走馬燈が走った。
このまま前頭葉の脳細胞が砕け散り、
今後の人生を理性が失われたまま過ごすのか…。
僕の葬式はしないで欲しい。
葬式業者が儲かるのはしゃくだ。
遺体は医科大学にでも献体に出して欲しい。
火葬業者が儲かるのはしゃくだ。
それだけのお金があるのなら、
世話になった人たちに、そのお金を使って
プレゼントをしてやって欲しい。
弟にテレビを、先輩に広い部屋を、
愛する人には…。いったい、なにを贈れるのだろう?

僕は強打した前頭部を押さえ、
いったいいかなる不審者がいるのか、
慎重に視線を上げた。
僕のこの研ぎ澄まされた感覚は、
怪しい人間を即座に峻別する。
そのような人間は、と言うよりも、
僕の前に人間はいなかったはずだ。

そこに立ちはだかっていたのは、
なんとガストの看板だった。
カメラを持っていなかったので撮影することはできなかったが、
その看板は、僕の頭を強打しつつもなお、
そこに悠然と立っていた。
僕は怨恨の念をこめてその看板をにらみつけたが、
よく知られているように、看板は一般に無生物だ。
なんかこの場合、非生物と言った方が
しっくりくるような気もするが、
辞書に無生物と書いてあるのだからそう書いておくことにしよう。
だから、看板は僕の強い邪念にも、
まったくビクともしなかった。

ちなみに、これを客観的に整理してみることにする。
前方不注意のまま歩いていた僕は、
看板があることに気付かず、
そのまま直進して前頭部を強打した。
要するにこれだけだ。
後ろから来ていた家族に嘲笑されたことは
言うまでもない。
それ以来、少し頭痛はあるが、
特に問題はない。
まあ、美しい僕の額に凄惨な傷が付いたことは、
人類史上まれに見る慨嘆すべき事件として、
以後の人類に脈々と受け継がれていくことは…
まあ、ないだろう。
ちなみに、見れば分かるくらいの傷ではあるが、
まあ、たいしたことはない。
非常に残念だが、心配してもらうようなことはなにもない。
しかし、それでも心配していただけると言うのであれば、
僕はなんの遠慮もなくそれを受け入れるだろう。
ちなみに、僕の理性が飛んでいるように感じられたとしたら、
それは僕の責任ではなく、
このことで前頭葉の脳細胞が失われたことが原因だろう。
その看板に頭をぶつけたことは、
その看板がそこにあるのが悪いのであって、
僕のせいじゃない。

そのあとは、どこに行ったんだったかな。
そうだ。伊豆に行こうかと思っていたのに、
なぜかその場のノリで、宮ヶ瀬ダムに行ったのだ。
ちなみに今日は、僕は行かなかったのだが、
伊豆に行こうとして、なぜか山中湖に行ってしまったらしい。
まあ、だいぶ近づいたとも言えるが、まだ結構遠い…。
伊豆には行けない運命なのか、
それとも、父の方向感覚はその程度なのか。

宮ヶ瀬ダムには暴走族が来ていた。
ああいう知的能力の欠如している人間は、
どこにいてもウジ虫のように湧いて出るようだ。
ゴキブリよりもはるかにうっとうしい。
多少不便になってもいいから、
警察でもなんでも、がんばって駆逐して欲しいものだ。
どうしても捕まらないようであれば、
棒かなんかで叩き落とせばいいのだ。
所詮バイクなのだから、ちょっと力を加えればすぐに倒れる。
ただでさえ安全性の欠如した改造が多いし、
それほど難しいこととは思えない。
集団示威行為をしているとか、
ある程度条件を設ければ問題などないだろう。

ダムそのものは、まあ、きれいだったが、
これも人間が山を削り落とした産物なのかと思うと、
やや複雑な思いだ。
でも、この程度のことでそれほど神経質になる必要があるのだろうか。
要は、ダムを造ることによって起こる問題が重要なのであって、
ダムそのものはたいした問題ではない。
ダムを造ることで問題が起きるのなら、
初めてダムが問題になる。
いきなりダムから問題にするのは、本末転倒だ。
各種の問題を、そのまま処理できないかどうか、
考えるのが先だろう。
自然破壊だから、なんてなんの説明にもなっていない。
それでどのような問題が起きるのかが重要なのだ。
自然破壊の結果は予測不可能というのも、
根拠としては考えるべきだが、やや弱い。
だからダムを造るべきでない、と直結させるべきではない。
ダムを造るのは、必要があるからなのだ。
そういう意味では、必要がないとする意見が、
反論として最も重要ではないだろうか。

まあ、もっと気になったのは、望郷の碑だ。
宮ヶ瀬の里を一生忘れないとかいう内容だったが、
だったら沈めるな、と思う。
誰もがそう思うのではなかろうか。
こんなもの、必要悪なんだから、
いちいち気にする必要などないだろう。
それとも、沈められた里の人が望んだのだろうか。
だったら、仕方がないと思うが。
彼らの意見は最大限尊重されるべきだろう。
でなければ、成田空港のようになりかねない。

では、暴走族が崖から落ちて全滅することを祈りつつ。

2002/12/30 18:44


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