Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2002年11月08日(金) 忍耐と我慢と自制

2002/11/08 23:43 Access: 3929 (+25)
Words: 7062 Times: 166min (2h 46min)
もしかしたら当の本人が読んでいるかも知れないが、
最初に不満から。
これは、警告だ。
僕は、配慮など関係なく、思ったことはすべて書くつもりでいる。
そして、僕は聖人でも何でもなく、ただの根性の腐った人間だ。
そのままストレートに感情を表せば、
見るに耐えないものになるだろう。

僕は、彼らに「死ね」とはっきり3回言った。
それでも僕の意図するところがまったく通じていなかったので、
「てめえら、くたばれ」とも言った。
僕の乏しいボキャブラリーの能力からひねり出した、
精一杯の罵倒なのだが、それでも彼らには通じなかった。
どうやら、普段から無意識に貼り付けている
笑顔がはがれていなかったようだ。
だから、どのような事態でも対処できる人だけを選んで、
あえて笑顔を解いて、無表情で意志を伝えた。

彼らは、彼女を彼らの下品な妄想の生け贄にしたのだ。
僕自身は、なんと言われようと構いはしない。
彼らがなにを言ったところで、何の力も持たない。
そのことで、僕はなにも失わないからだ。
基本的には彼女に関しても同じなのだが、
僕には、それが許せなかった。

確かに、僕はだいぶ狂っている。
正常でないことは、十分とは言えないまでも、ある程度は認識している。
しかしそれでも、僕は彼らのように、
彼女を自分の欲望のために利用したりはしない。
これは、冷静な判断ができなくなってしまった僕の、最低限の自制だ。
彼らが彼女をどう思おうと、僕が彼女をどう思おうと、
彼女には一切影響はしない。
それでも、僕は彼女を貶めるような言葉は、許せないのだ。
…実際は、僕が銃を用意し、価値観の異なる友人が、
その引き金を引いたに過ぎないのだが。
結局のところ、我慢ができなかった僕が、すべての責任を負うべきなのだ。

もっと、自制を強めなくてはならない。
さらに場をよく見極め、発言は、考えられる最悪のことを
想定してなさなければならない。
彼女以外のすべての人間は、信頼に値しないと考えるべきだ。
所詮、価値観の相違は埋めがたい溝だ。
どんなに人格的に優れていても、
そもそも低劣な発想に対して抵抗を感じない人間と僕とは、
物事の考え方がまったく異なるのだ。

冷静に考えれば、彼女だって信頼に値しない。
彼女が僕の信頼に応えなければならない理由など、なにもないからだ。
彼女は僕を裏切ったところで、失うものなどほとんどない。
僕の信頼など、彼女にとって、それほど大きな価値を持たない。
彼女に信頼されることは僕にとって絶対だが、
いくらなんでも、彼女はそんなこと、知ってはいないだろう。
知ったところで、彼女にとってそれは、重荷にしかならないだろう。
それでも、僕は彼女を信じたいのだ。

彼女は僕にとってすべてではないが、
僕にとって最も重要で、必要だ。
今や、僕の行動のほとんどは、彼女を基準にして成り立っている。
たいして価値のない、朝早くの講義に出席するのは
その講義に彼女が出席しているからだ。
好きでもないし、得意でもないレポートを必死に書くのは、
そのレポートが彼女の目にも入るからだ。
そして、レポートも書けない人間に対して、
彼女がどう思うか想像できるからだ。
ただし、僕は人生を彼女に捧げるつもりはない。
例え僕にその意志があったとしても、そんなことは彼女が許しはしないだろう。
だから、同じように履修申請を出している講義だったら
一緒に出席できるよう努力はするが、
所属する研究室までそろえたりはしていない。
僕は僕で、大学でやりたいことがあるし、
彼女は彼女で、考えていることがあるはずなのだ。

彼女は成績優秀で、意識しているのかどうか知らないが、
その自信は彼女のいろいろな部分に現れている。
それを明示的に表現するのは得意ではないようだが、
それが必ずしもマイナスになるとは言えない。
むしろそれは、彼女の美点の裏返しだろう。
自信を明確に表現する人間など、普通の場面ではただの阿呆だ。
就職など、必要に迫られた場合、
このような無理をしなければならなくなるのだ。

ちなみに僕は、
うまいかどうかは別として、そういう表現は得意だ。
大学入試の頃に、物事を大局的に見られるようになった。
大学入試は、確かに当事者にとって見れば大きな問題だが、
人生全体を見通したり、他者の目になってみたりすれば、
それは決して大きな問題ではない。
これは、ほとんどのプレッシャーのかかる問題に関して言える。
そう思うと、僕は笑ってしまうのだ。
くだらないことで重圧を感じる自分が馬鹿馬鹿しくなるのだ。
すると、笑いをこらえることは難しくなるが、
プレッシャーを感じなくすることは易しくなる。

このような表現をする上で、
もっとも大きな問題になるのは、このプレッシャーだろう。
他のすべての能力は、おそらく二次的なものだ。
僕のように、相対的に劣る能力しか持っていなくても、
それを100%発揮できれば、人並み程度のことはできる。
昨日あたりにも書いた気がするが、リラクセーションは人体の最適化なのだ。
それはなにも肉体的なことだけでなく、
このように精神的なことに関しても言える。

それで、発表と言えばレポートなのだが、
昨日も書いたように、たいしたレポートは書けなかった。
PowerPointで作成したのだが、
極めてつたない図に、文字だけのスライドが数点という、
極めて内容の乏しいプレゼンテーションとなった。
しかし、結果から言えば、相対的に
それほど悪いプレゼンテーションではなかったと思う。
これは悲しむべきことだ。

そもそも僕は、人に分かりやすく情報を伝える
図示などは、かなり苦手だ。
デザインセンスなどないと言っていい。
発表にしたって、聴衆を見渡す能力、
話の流れを把握する能力、
重要な点を選択し、強調する能力、
その他、あらゆる点で僕は低い能力しか持たない。
つまり、程度の低い資料にレベルの低い説明をしたにもかかわらず、
相対的に見てそれほど悪くなかったのだ。

それはつまり、他のグループの発表に起因する。
資料が、良いとか悪いという評価をする以前に小さすぎて見えないとか、
発表する声が小さすぎて聞こえないなど、
そもそも情報が僕まで届かなかったのだ。
もちろん、僕の視力や聴力が低いことも原因として考えられるが、
発表というのは、見やすく、聞きやすくするのは最低限の要件だと考えられる。
とすると、その最低限の要件を満たしていなかったのではないかと考えられるのだ。
だから、それと比べればマシという意味で、
相対的に見れば悪くなかったという評価になったのだ。

周囲の人間がその程度ということは、
おそらく嘆くべきことだろう。
もちろん、これは単にプレゼンテーションの能力が
優れていると言えないだけで、他の能力に関してはまた別だ。
まあ、それでも、僕の成績が相対的に見て
いい方だという事実だけを見ても、
まあ、環境としてそれほどいいものではないということが
容易に考えられるのだが。

それでも、僕はこの環境に満足している。
僕が大学に行く目的は、レベルの高い人間に囲まれて、
切磋琢磨して自分を高めることではない。
社会人として必要な能力を身につけ、
できれば、自分にとって興味深いことを学ぶことだ。
つまり、社会人としての能力さえ身に付いていれば、
それ以上を要求するつもりはないのだ。

今日は、2限から5限まで講義があった。
2限は流通情報システム設計論の講義で、
主に具体的なインタフェースについて扱った。
流通情報システムも他の分野と違わず、
ITの影響を受けて様々な改良が試みられている。
そもそもこの分野は、コストダウンの最後のフロンティアとして、
未知の可能性を持つのだ。
アメリカでこの分野を開拓した企業が多く成功していることもあり、
今、注目の度合いは確実に増している。
少なくとも、僕が入学した頃は、
Supply Chain Managementなんて、まだまだ先の話だったはずだ。
それが、あらゆる企業が取り組むべき緊急の課題として
取り上げられるようになったのは、
それだけ需要が伸びてきたということなのだろう。
だから、この分野に進んでおけばある程度
明るい未来が約束されているが、
僕はそのような分野に進むつもりはない。
他の大学生と比較してこの分野の知識は持っているつもりだが、
それでも、僕はやはり情報系の仕事をしたいのだ。

ちなみに情報系は、
僕の知る限りでは確実に下り坂へ向かっている。
ITバブルもとっくの昔に弾け、
人々は幻想から目が覚めてしまった。
PCが持つ、人間に対する不親切さが、
ここに来て際だってきたのだ。
実際、PCを使ったいろいろなシステムを考えると、
その最大の課題になるのは、
PCと人との意志疎通だろう。
そもそも、専門家が高速演算を目的として
用いたコンピュータに、素人でも扱えるような工夫は十分なされていない。
おそらく、ハードウェア、ソフトウェア両面からの改善が不可欠だ。

しかし、それでも必要最低限の需要はあるだろう。
下り坂と言われるどの産業にも大抵言えることだが、
かつて隆盛を極めた産業であれば、
その需要は、ブームが下火になっても確実に存在するはずだ。

3限目は流通政策論の講義を受けた。
この日はプレゼンテーションで発表を行った。
先程述べた、PowerPointによる発表だ。
僕は彼女と同じグループで、
僕が資料を作成し、僕がもっとも発表が得意だと思われたため、
僕がグループの代表として発表を行った。
そして、彼女は僕のサポートとして、
PowerPointを動作させているPCを操作してくれた。
発表しているときはそれどころではなかったが、
あとになって考えてみれば、実に喜ぶべきことだった。
彼女が満足するような発表ができたとは思えないが、
たった1つの講義、それも、すでに単位を持っている講義の発表なんて、
彼女はそれほど興味を持っていないし、
そもそも僕に対してきたいなどしていなかっただろう。
期待を裏切るのは悲しいことだが、期待されないのはもっと悲しいことだ。

4限は人間工学の講義だった。
序盤にユニバーサルデザインの話を扱い、
そのあとに、具体的に人間工学的な発想で
設計を行う場合の統計的手法を扱った。
ユニバーサルデザインの話では、初めて彼女が発言していた。
彼女は、レポートをよく書いてくる割には、
講義中に発表をしない。
まあ、そういうのが得意ではないのだろう。
なんか、緊張していたが、教官もそれを察したらしく、
割と優しく対応していた。
これで彼女に対して執拗な質問をしたら、
僕は教官に対しても怒りを覚えたかも知れない。
いくらなんでも、僕はこれほど頭が悪くはなかったはずなのだが。
明らかに狂っている。
それを悪いと思わないところが、もっとも問題だろう。

ちなみに、どうでもいいことではあるが、
彼女は質問されていなかったが、僕はかなり執拗に質問された。
確か、駅の案内標識にユニバーサルデザインの考え方を適用した場合、
大きく、分かりやすく、方角別に明示的に区別すればよい
というようなことを言った気がする。
そこで教官は、「では、視覚に障害のある人の場合はどのようにしたらよいですか。」と発言した。
一字一句間違いない。このような几帳面な言葉遣いをする教官なのだ。
僕は、図の上に点字の表記をしているものを見たことがあったので、
そのようなものがあるのではないかと答えた。
すると教官は「それは共用できるデザインであって、ユニバーサルデザインではありませんね。」と言い、
「何か他にありませんか。」と言った。
このように、僕を含めた他の学生には、かなり幾度も質問を重ねていたのだ。
彼女はこのように何度も質問されるのは得意ではなさそうだったので、
おそらく困ってしまったに違いない。

5限は、流通情報工学ゼミナールの講義だった。
ゼミナールというのは本来、担当教官の教官室などで、
担当教官と少人数での議論を行うものだと聞いている。
しかし、僕の場合は少々事情があり、他の教官と学生も来ている。

Javaを扱っているのだが、
実は、卒論でJavaをテーマとして掲げている教官は2人いる。
僕はそのうち、人工知能を専門している教官を選んだのだが、
3人の学生が、英語の教官を指導教官として選んだ。
Javaをやるのにどうして英語の教官なのか理解に苦しむが、
まあ、結局一緒にやるのだからたいした問題ではないだろう。
ちなみに余談だが、この英語の教官は、
本来は認知心理学を専門としている。
しかし、認知心理学の教官は需要がないため、
得意な英語を生かし、英語の教官として大学にいるようなのだ。
心理学者も大変だ。
ちなみに、英語が関係ないわけではなくて、
この教官は聴覚に関する認知心理学を扱っているらしい。
その際、アメリカ人と日本人の聴覚認識の違いなど、
英語、もしくは英語圏に関する研究を多くしているようだ。
さらに外れるが、この教官以外にも、
うちの大学には認知科学を専門にしている教官がいる。
その教官は視覚に関する認知科学を扱っていて、
ちょうどバランスが取れていると言える。
まあ、その視覚の方の教官は、大学の統合で忙しく、
学生の世話を焼くどころではないらしいのだが。

で、Javaなのだが、
テキストとして結城浩氏のJava言語プログラミングレッスン
というのを用いることになった。
僕はこのゼミナールで扱う前から知っていたので、
おそらく有名な本なのではないかと思うのだが、どうだろう?
いろいろ読み比べてみた結果、これがもっとも易しくて
扱いやすいという教官の意見だったのだが、これは本当に易しい。
買ってから、帰りの電車内、約1時間で3分の1を読んでしまった。
この結城氏は、分かりやすい表現というのを
実によく分かっているのだと思う。
Javaをよく知らない人にもお勧めだ。
C言語を知っているのなら、たぶん、つまずくことなく
一気に読めるだろう。
まあ、最後まで目を通していないのでなんとも言えないが。
余談ではあるが、この結城氏のホームページは
非常に内容が充実している。
プログラマだが、クリスチャンでもあるらしい。
極めて読みやすいので、落ち着きたいと思っている方は読んでみるといいだろう。
僕などとは違う、読みやすくてためになる文章というものが分かるのではないだろうか。
ちなみに、番外編(?)として、
Java言語による主の祈り、というのも載っている。
実際コンパイルして実行したわけではないので
どのような仕様になっているのかよく分からないが、
要するに、プログラミング言語で聖書の内容を表現しているらしい。
すべてを神の意志とする聖書と、ただ無味乾燥なプログラミング言語と、
いったいどこに共通点があるのか知らないが、
なかなかおもしろいとは思う。

この本を買う少し前、
ゼミナールが終わったとき、彼女らと待ち合わせて、
とある教官のところに行った。アルバイトの話があったのだ。
ゼミナールが終わったら連絡してくれと言っていたので
電話したのだが、彼女は出なかった。
今回はどうやらゼミナールの途中だったかららしいのだが、
まあ、なんにしろ、彼女は僕がかけた電話に出たことが一度もない。
そのうち何度かは、直後にかけ返してくれたので
別に問題はないのだが…。

こうやって彼女と一緒に行動していると、
先週、不安に思っていたのがウソのようだ。
いったいなにを考えていたのか…。
まあ、今もやっぱり冷静に考えてみると、おかしなことばかりしているが。

さて、これからどうなるのだろうか…。
僕が行こうとしている知識情報設計研究室には
人が全然いないし、大学院に行けば当然、彼女とは会えなくなるし。
…ああ、そう思うだけで悲しくなるな。

このままでは、想いが募るばかりでなにも解決しないのかも知れない。
…いったい、どうすればいいのだろう?
最適解は分かっている。
友人として当たり障りのない生活をするのが、
もっとも問題を起こさない選択であることは明らかだ。
…分かってはいるが、とてもそんな気にはなれない。

ああ、眠い。
最後に、少しアルバイトのことを。
彼女や友人と一緒に引き受けたアルバイトだが、
とりあえずの仕事は、住所録の電子化だ。
紙に記録されているデータを、片っ端から打ち込むのだ。
自慢ではないが、毎日これだけ日記を書いているわけだから、
キーを叩くことには自信がある。
…まあ、それだけではあまり役に立たない技能だから、
プログラミングなりなんなりを勉強して、
価値のある情報を作り出せるようにならなければならないが。
しかしそれは、言い換えれば指先だけで価値を創造できるということでもある。

まあ、それはともかく、
そういう仕事を引き受けたから、まずはこれをやらなければならない。
とりあえず、振り込み口座の場所を…。
僕は、旧・富士銀行を使っていたから、
みずほ銀行になって、口座のある支店名が分からなくなってしまったのだ。
どうやら、明示している場所はないが、
おそらく旧・富士銀行ということを考えると
新宿新都心支店だろう。
これを失敗したら給料が入ってこなくなるのだろうか…?

ああ、眠い。
まあ、書くことと言ったらこんなものか。
日中、結構いろいろ思いついているが、
さすがにPHSで送れないこともあるので、
いざ書くとなると、なかなかうまく書けない。
とりあえず、あさっての日曜日には、彼女に会えるはずだ。
楽しみにしておこう。

2002/11/09 2:34


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