Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2002年09月15日(日) 最終回

2002/9/15 21:59
太陽の季節、最終回だった。
説明の必要はないような気もするが、
どうもここには、世の半分の人が常識だと思っていることを
常識としていない人が多く来ている気がするので、一応説明することにする。
ちなみに、非難しているのではない。
1時間もテレビの前になにもせずに座り続けるという、
非生産的な活動をしていないという点で考えても、僕が非難できるとは思えない。

太陽の季節というのは、
現・東京都知事、石原慎太郎氏が作家として書いた処女作、「太陽の季節」をドラマ化したものだ。
ちなみに、この作品で石原慎太郎氏は、最年少で芥川賞を受賞している。
現在でも最年少なのかどうかは知らないが、
24歳、つまり、僕よりもたった4歳年上の時点で
芥川賞を受賞するなんてただごとではない。
作品そのものが優れていたことはもちろん、年齢のよる偏見もあっただろうから、
それにうち勝ったことも画期的だ。

それで、結論から言わせてもらえば、尻切れトンボで期待はずれだった。
序盤はずいぶん期待したものだが、
中盤になって不安になり始め、最後になってそれは現実となった。
序盤に、数々の伏線を張り巡らしているという、
僕のとても好きな展開だったのだが、
案の定、その伏線を処理し切れていなかった。
比較しては双方に申し訳ない気がするが、エヴァンゲリオンを連想してしまった。

知っている人は知っていることだが、
エヴァンゲリオンというのは、一時期一部の人たちの間で
一世を風靡したアニメーション作品だ。
時々、世の中全体が動いたと勘違いしている人がいるが、
名前くらいは知っていても、内容なんてほとんど分からない人が大半だから注意が必要だ。

作品としてはともかく、
その性質を見た場合、最大の特徴はなんと言っても、
提示した数々の謎を、ことごとく解決せずに終わったこと。
何重にも渡る複雑な伏線を張り巡らしながら、
そのすべてを放棄したという点でかつてないものだ。
ちなみに、あまりのファンの非難に耐えきれず、
映画を作ったという噂を聞いたが、事実かどうかは知らない。

でまあ、そのエヴァンゲリオンほどではないのだが、
提示した伏線は一応すべて既決へと向かってはいるのだが、
そのすべてが実におざなりなのだ。
おざなりと言って言いすぎであれば、少々手法が荒い。
あれよあれよと言う間に次々と片づいていき、怒濤のように物語が展開するのだ。
3ヶ月のドラマに仕立てるには、少々無理があったのではないだろうか。
でなければ、最初の方で時間を使いすぎだ。

キャストもいまいちだった気がする。
序盤は目立たなかったが、終盤に向かうにつれて、
徐々にそれぞれのキャラクターの弱さが際だつようになった。
脇役はとても良かった。
しかし、メインになっている三人が、どうも…。
池脇千鶴は好きなのであえて文句は言わないことにするが、
主人公が、なぁ…。
まあ、もともと石原裕次郎がやっていた役を、
ジャニーズ系のタレントがやったことに無理があるような気もするが…。
悪くはない、悪くはないのだが、迫力が…。
世の中をなめて軽く渡っているときはいいのだが、
威厳と言うか、迫力というものが欠けている気がした。
まあ、それも仕方ない。あれほど小柄では…。
とりあえず、全体的にカットが短い。
あれではとてもストーリーを追えない…。

結論。期待していただけに悔しい。

今日は、友人と試験対策をした。
と言っても、人と一緒に勉強をしたって
その結果はたかが知れているから、
勘違いなどがないかどうか確認するようなことがメインになった。
…案の定、完全に勘違いしていることがいくつかあった。
まあ、そんなようなことがあるから、
いつもいつもレポートの課題を間違えたりするのだが。
いったい、なにが原因なのだろう?
人の話を、根本から間違えていることが、よくあるのだ。
些細な間違いは、それほど多くない気がするのだが…。
要するに、人の話を聞いていないのだろう。
自分で考えるのもいいが、僕はまだ、
それほどものを知っているわけではない。
自分で考えるよりも、他の知識を吸収する方が優先だ。

そう言えば、ハーゲンダッツの新作が出ていた。
あとコーヒーだけを食べれば全種制覇だと思っていたのだが、
こうなっては仕方ない。
いつか、両方買って食べるしかあるまい。
あと、キャラメルは、前に食べたとき溶けてしまっていたので、
もう一度ちゃんとしたものを食べてみなければ…。
それにしても、他のものはそうでもないのに、
キャラメルは溶けてしまうとどうしてあんなにまずいのだろう。
アイスクリームの部分とキャラメルの部分が完全に分離し、
キャラメルの味が異常にしつこくなってしまっていた。
濃厚な味わいは、しつこい味と紙一重と言うことか。

今日はやたらと調子がいい。
昨日、ほとんど書いていないせいだろうか。
人間、叩き出せる文章の量というのは決まっているのかも知れない。
貯めればまた、たくさん叩ける、と。
…まあ、そんなことはないと思うが。
彼女へのメールを書こうと思うと、アッと言う間に阿呆みたいに積み上がるし。

ここまで20分強。
これだけの量を書いた中では、最速ではないだろうか。
いつもと違って、今日は余計なことは一切しないで、
ひたすらキーを叩き続けている。
これほど集中力のある日は珍しいが、
たぶん、コーヒーを飲んだのに、ろくに脳を使っていないからだろう。

せっかくだから、昨日書きそびれたことを。
男と女の違いということだが、
とある日記作者さんが、いろいろそのことについて述べていた。
確かに納得させられるし、僕には書けないことだったのだが、
1つだけ反論が。

どうだっていいことなのだが、それは地図についてだ。
男は地図を回さない、と言う。
しかし、実際にやってみたことがあるのだが、
これは違うのだ。回さないのではなく、回せないのだ。
地図を回してしまうと、自分の現在地と進行方向以外の情報を
すべて読みとれなくなってしまう。
最終的な目的地がどちらの方角にあるのか、とか、
今までどの道を通ってきたのか、これからどの道を通ればいいのか、などだ。

1つだけと書いたが、もうひとつ。
買い物のことなのだが、
男が女の買い物につきあわないのは、別に冷たいからではない。
そもそも買い物に対する感覚が根本的に異なるのだ。
僕の知る限り、女性は買い物そのものを楽しんでいる場合が多い。
だが、普通の男は、店先でものを見ているだけではなにも楽しくはない。
むしろ、歩き回って疲れるし、大量の情報が頭に入ってくるわけだから、非常に疲れる。
ましてや、実際に購入したら懐が軽くなるわけだし、購入したものを持ち歩かなくてはならない。
肉体的、精神的疲労が倍増するのだ。
僕も、時々用もなくヨドバシカメラに行くことがあるが、
それだって、あくまでもPCを見ているのが楽しいのであって、
決して店先でものを見ているのが楽しいわけではない。
実際、いくら好きなものとは言え、見て歩いていると疲れてしまう。
だから、30分以上店にいることはほとんどないのだ。
例え欲しいものがあったとしても、店を見て回るのは嫌いだ。
だから、高くても、ものを見つけたらその場で買ってしまったりすることがある。
理性的な判断でないことは分かっているが、
そのくらい、買い物というのは疲れるのだ。
どうか、教えて欲しいと思う。
いったい、買い物のなにが楽しいと言うのか?

ところで、今でも、
何人かの友人から彼女のことを言われる。
僕はもう、そのつもりはないのだが、
どうやら周囲から見ると、そうは見えないようだ。
まあ、それも仕方のないことか…。
要は、僕が口にしないようにすればいいだけのことだ。

で、言われるのだが、
相手によって、その感じ方が決定的に異なる。
同じようなことを言われているにもかかわらず、
笑って「そうだね」と返せる人もいれば、
「いちいちうるさいな」と思う人もいるのだ。
いったいなにが違うのかは分からない。
1つだけ違いを挙げるとすれば、前者は明らかに冗談として言っていて、
後者は本気で言っているのではないかと勘違いするような言い方をしているのではないかということだ。
「まだ彼女のことが好きなんだろ?」と言われても、
前者は明らかに冗談だと、仕草や言い方で分かる。
しかし、後者は、僕から見ると、それが冗談には見えないのだ。

まあ、とにかく、引きずらないことだ。
僕はどうだっていいが、そのまま放っておけば、彼女に迷惑をかけかねない。
事実、その疑いがないことはないのだ。

…とにかく、些細な不満はあるが、
それもこれも、すべては自分でなんとかできる範囲のことだ。
大きな環境の変化があって、自分にはどうしようもないわけではない。

ペースダウンしてきたし、とりあえずこんなところで…。

2002/9/15 22:38

2002/9/15 22:56
補足。
誰も気にする人はいないとは思うのだが、
友人と試験対策としたという今日の日記と、
彼女と一緒に勉強したという7月の日記、筆致がずいぶんと違う。
今日は友人と一緒に勉強したところでなんにもならない、
というような書き方をしているし、
彼女と勉強したときは、彼女がいるといないとでは大違いで、
遥かに大きな成果が上がったと書いた。
言われなくても分かるのではないかと思うが、
この違いは、そのとき会話をしたかどうかだ。
友人と一緒に勉強したときはずっと面と向かって話をしていたのに対して、
彼女と一緒にやったときは、隣に座っていただけで、ほとんど話なんてしていない。

細かいことを言えば、それ以外にもいろいろ違いはある。
友人と勉強したときは、正面に座っていて話もしやすかったし、
場所もマクドナルドで、とても黙々と勉強する雰囲気ではない。
彼女との時は、隣に座っていて直接は見えなかったし、
図書館だったので話をしようにも、長話なんて周りに迷惑でとても無理だ。
断片的な会話がせいぜいだった。

2002/9/15 23:10


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