Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2002年08月29日(木) 唐突な幸せの便り

2002/8/30 2:39
今日は秋葉原に行った。
ラジオデパートで先輩とちょっとした議論、と言うより、
訓辞のようなものを受けた。
企業は短い寿命で壊れるものを作るという事実。
そうしなければこの資本主義社会で生き残れないからだ。
与えられた情報からすれば推測でしかないが、
しかし、かなり確度の高い推測と言える。
僕だって知っていたのだが、いつの間にか忘れていたのだ。

なぜ、こんなことから書き始めたか?
それは、普段僕がどういう文章を書いているのか、
彼女に紹介するためだ。
こんなもん、紹介しなくてもいいじゃないかと思ったのだが、
別に、減るものじゃないし、別に構わないか、ということで。

そう。
彼女からメールが来たから、その返事を書いたのだ。
日記なのだから、本来先輩と一緒に秋葉原に行ったことを書くべきなのだろうが、
先輩には悪いが、んなことはどーでもいいのだ。
ちなみに、フォントカラーは"aqua"だ。なぜラテン語なのだろう?

とっくに忘れているつもりでいた。
すっかりあきらめたつもりでいた。
しかし、いざこうやって示されてみると、やはり嬉しいものだ。
まあ、これでいい区切りになる。
忘れられていないだけで十分だ。

ちなみに、返事を書くのに2時間ちょっとかかった。
その間に先輩とメッセで会話をしていたり、
落ちてしまって書き直したりというのも含む。
まあ、何にしても、バカだ…。
とりあえず、彼女のメールからは「友人としての好意」を感じられる気がする。

うーん、送ってみてから読み直してみると、…長い。
明らかに長い。うっとうしいほど長い。
だいたい、テキストデータなのに5KBってのはどういうことだ?
概略5000バイト程度ということだから、
2500字にもなってしまう。
たぶん、普段の日記の半分程度の長さはある。
わざわざここまで読みに来ている変わった人は別として、
送りつけられたもんを、そこまでちゃんと読むのだろうか。
文章を読むのは苦にならないようだが、
いかんせん、僕の文章だ。どうなることやら。
ちなみに、こんな書き方をしているわけではない。
この文章をそっくり変換してみる。

うーん、送ってみてから読み直してみると、…長いね。
明らかに長いよ。うっとうしいほど長いね。(爆)
だいたい、テキストデータなのに5KBってのはどういうことだろう?
5000バイトくらいなんだから、2500字くらいかな。
たぶん、普段の日記の半分はあるね。これ。

…面倒なのでここまで。
見てもらえれば分かるが、たぶん、普段の書き方よりこちらの方がうっとうしいだろう。
分かっちゃいるが、どう書けばいいのかなんて、僕には分からないのだ。
まさか、この文章で書くわけにもいくまい?

まあ、浮かれるのはこのくらいにするとしよう。
現実を冷静に見据えれば、単にこっちが出したメールの返事をくれたに過ぎない。
確かに喜ばしいことではあるが、狂喜乱舞するほどのことではないのだ。

それに、PSとして書いてあったことが主な要件であった可能性もある。
それは、実験のレポートに関する質問…。
プロペラの運動量理論の話だ。

この日記に書いたかな、と思って古い日記を見ていたが、
そこに、「最近、よく話す女性の友人がいるのだが」などと書いてある。
その気はないとか何とか書いてある。
短い間に、ずいぶん変わったものだ。
前も一度書いたような記憶があるが…。

見返してみると、しっかり記述があった。
「レポートの提出期限が迫っていて日記どころではない。
以上。
…はぁ、やだなあ、こんなせっぱ詰まった生活。
もっと早くやってりゃよかったんだろうけど。// 」
とある。
昔の俺のバカヤローーーーーーー!!!
もっと役に立つこと書きやがれーーーーーっ!!

…失敗は生かすべきだ。
今後このようなことがないよう、今のうちに書いておくことにする。

プロペラの運動量理論は、F=ρQvという式で表現できる。
もちろん、これで終わりではないが、今回のレポートで要求されていることに
それ以上はないので、とりあえずここまでにする。これを次元解析してみる。
…もちろん、式が簡単だからわざわざ日記上でやるのだ。
もっとややこしい式だったら、紙に鉛筆で書く方が早いに決まっている。
今の時代になっても、この方式が優秀であることは疑いようもない。

左辺は、[kg*m/(s*s)]と書ける。もちろん、かの有名な運動方程式によっている。
右辺は、[kg/(m*m*m)]*[m*m*m/s]*[m/s]となる。
これを解けば、[kg*m/(s*s)]となることは自明だ。
ああ、何だ。書くほどのこともないじゃないか。
昔はこんなことで苦労したのか…。どこで悩んだんだっけ…?
それよりも、これって合ってるのか?
この程度で間違ってるようじゃ、物理なんてなにもできていないと言うに等しいのだが。

まあ、いい。たいした内容でなかったとは言え、
彼女のおかげで復習できた。
ついでに言うと、全教科のノートをまとめてWeb上に公開すると、
彼女へのメールに書いてしまった。
書いてしまった以上はやるしかない。
先輩に対して、グラフィック表示のプログラミングを練習するとか言った気がするが、
優先すべきは、試験だ。

ところで、企業が短い寿命の製品を作るという話だが、
説明の必要はないだろう。
回転率が上がれば利益が増すことは、ちょっと考えれば誰にでも理解できる話だ。
それを、感情的になってしまっていつまでも理解できなかった僕は相当な間抜けだが、
まあ、世の中そんな人間なんてそう多くないだろう。

それを証明するような話があった。
昨日、塾の生徒に、携帯電話が壊れたから何とかならないかと言われた。
その携帯電話はSONY製のものだ。
SONYの製品には、最近多くジョグダイヤルが搭載されている。
回せるだけでなく、押すこともできるマウスのホイールのようなインタフェースだ。
その携帯電話、買ってからほんの数ヶ月という話だ。
昔は、このようなことは決してなかった。
それだけ、ものが壊れやすくなったのだ。
当然の話で、昔の電子レンジのように、10年以上前の製品を
いつまでも持っていられたら、新しい製品が売れない。
携帯電話は特に顕著で、早く新機種に買い換えてもらわないと困るのだ。
そのために、携帯電話の強度は極めて低い。

ご存じのように、携帯電話とは携帯する電話だ。
携帯するというのは、かなりの温度変化、衝撃、揺れなどを伴うことだ。
このため、携帯電話には本来、かなりの余裕ある耐衝撃性などが求められる。
ところが、実際の携帯電話は非常にもろい。
ただ落としただけで故障を心配しなければならないほどだ。
日本の高い技術を持ってすれば、
この程度のダメージを耐えることは比較的容易なはずだ。
また、半導体部品にしてもそうだ。
いくら寿命が短いとは言え、保証期間が切れるのを待っていたかのように壊れるのはおかしい。

僕はこれを、技術的限界だと思っていた。
しかし実際には、技術的限界と考えると説明しにくいことがいろいろあるようだ。
極端な反例が、引退した技術者の言葉だ。
技術者は、はっきりと証言しているそうだ。
「初めから、壊れるように設計している」と。
直接聞いたわけではないので何とも言えないが、あえて疑う理由はない。
それを教えてくれたのは2人の人だが、2人とも、企業とは特に関係がない。
1人は学生だし、もう1人は主婦だ。
その主婦の旦那は某電機メーカに勤めているらしいので、
本来ならこのような発言は、旦那の足を引っ張るような性質のものだ。
にもかかわらずそのような発言をしたことが、より信頼性を高めているように感じる。

ちなみに、その生徒の携帯電話だが、
まだ保証期間中だったため、無償で交換してもらえたそうだ。
故障というのは、いくら巧妙に設計しても、どうしても確率分布的に起こる。
そうとは限らないが、イメージとしては正規分布を考えるといいだろう。
そうなると、保証期間内に壊れる場合も当然出てくる。
ついでに言うと、僕の高校生の生徒の場合、
きっちり保証期間が過ぎてから、操作が不能になっている。
ただ、この場合は機体の限界まで使ったのではないかという可能性もある。
なんせ、連日100通ものメールを、1年に渡って書き続けたらしいのだ。
その程度で故障すべきでないと言ってしまえばそれまでだが、
まあ、あの程度の筐体でよくもったと言えるのではないだろうか。

さて、どーでもいいと切り捨ててしまった今日のことなのだが、
日記なのだから、今日一日のことを記録すべきだろうと思う。

ということでだいたいの行動を述べる。
朝は7時に起きた。
なぜ起きられたのかは不明だ。だが、夜は本気で眠れなかった。
だから、深い眠りに落ちる前に目覚まし(PHS)が鳴り、目を覚ましたものと考えられる。
ちなみに、眠れなかったのは熱帯夜のためだ。
熱帯夜とは言え、あれほど眠れなかったのは久しぶりだ。

9時半に約束していたので、まだ少し時間があった。
だから、火曜日に録画していたプロジェクトXを見た。
この番組だけは好きなのだ。
ところが、今回だけは期待を裏切る出来だった。
そもそも逆転の物語なのに、出てくるのは料理人の武勇伝ばかり。
偉い人ががんばって立派な仕事をしました、という、
とてもプロジェクトXとは思えない、お粗末な構成だった。
はっきり言って、プロジェクトXの史上に残る駄作だ。
僕の知る限りでは明らかに最低だ。
稚内の料理人が現れてまだ救われたが、
あの帝国ホテルの料理人の態度はあまりにひどすぎる。
この後、サトームセンの店員の態度にも辟易したものだが、
プロジェクトXに出てきたこの料理人ほどではなかった。
だいたい、この番組は登場する人が皆、謙虚だから成立するのだ。

9時半になって、先輩の家を訪れた。
そのあと、すぐに出発した。
割とダラダラ話し込んでしまうことが多い僕たちにしてはいいスタートだった。
秋葉原に到着すると、まずサトームセンに向かった。
おとといあたりの日記に書いた、トールボーイのスピーカを視聴しに行ったのだ。
ちなみに、目的は視聴であって、購入ではない。

このときのサトームセンの店員はひどかった。
サトームセンそのものを否定するつもりはないが、
少なくともこの日のオーディオ売り場にいた店員はひどすぎた。
敬語も使えない店員など、即刻解雇すべきだと思う。
いったい、何だったのか今でもよく理解できない。
もしかしたら、その店員には知的障害があったのかも知れない。
それなら、挙動不審な動きも、理解不能な言動も理解できるのだが。
だいたい、店員なら客の趣味にケチをつけないで欲しいものだ。
確かに、トールボーイのスピーカを2つ合わせて40000円だなんて、
オーディオを知っている人から見ればかなりのムチャだ。
頭が悪いと言われても仕方がない。
しかし、経済的な事情というのは、往々にして理想を押しつぶすのだ。

結局、なにがなんだか分からない店員に訳の分からないことを言われて、
1つのスピーカしか視聴できなかった。
僕には当然のことながら絶対音感などないし、音楽に関する圧倒的な記憶力もない。
だから、比較しなければほとんどなにも分からないのだが、
あまりに要領を得ない店員だったので、そのままその場を去ることにした。
それ以上そこにいても時間の無駄と判断したのだ。

そのあとは、ひたすら先輩のトランジスタを探した。
パワーMOSFETと呼ばれるものだ。
詳しいことは知らないが、秋月が休みでは、とてもすべてを調べ尽くしたとは言えないかも知れない。
まあ、それはともかく、あちこちを回って一通り調べた。
マルツパーツという店が、きれいで印象がよかった。
秋月と比べるとだいぶ高いようだが…。
秋月で200円のパーツが、1380円で販売されていた。
流通経路の差でここまでの価格差になるとは。
なんかいつも言っている気がするが、流通を専攻する人間としては興味深いことだ。
規模の経済だけでは説明できない気がする。
秋月の卸やメーカに対する信頼が、これを為しえているのだろう。

そのあと、ステーキを食した。
それも、ガーリックステーキだ。まだ、ニンニクのにおいがこみ上げてくる。
それほど、すさまじいニンニクだった。
ニンニクは好きなので構わないのだが、それにしてもすさまじかった。
これを食べてみて、自分の味覚が変わっていることを改めて思い知った。
ニンニクをおいしいと感じることもそうなのだが、
それ以上に、肉を以前ほどおいしいと感じない。
むしろ、おまけのようについてきたカレーライスの方がいいと感じた。
次に来るときはカレーライスにサラダでもつけるべきか。
…ステーキ屋でそんなものを注文できるだろうか?

そこにしばらく居座って、先輩といろいろ話をした。
僕だけの話ではないので細かいことは載せないことにするが、
ハイブリッドというのは結構印象に残った。
これはあくまでも備忘録だ。僕だけ分かれば、それでいい。
人間は生まれと育ちの環境に大きく左右される。
それは、才能よりもずっと大きな影響を与えるのではないだろうか。
多くの人間は成長の過程で、だいたい才能をつぶされるようなことに遭遇している。
僕だって、できるはずのことをやらせてもらえずに妥協することが、昔はよくあった。
そのうち、周囲と同じだけできればそれでいいのだという、おそらくは誤っていると思われる
感覚が身に付いてしまった。

そのあともしばらくパワーMOSFETの探索を続けた。
そのついでに、先輩が、先輩のお兄さんに頼まれていたHDDを購入した。
SEAGATEの80GB、7200rpmのものだ。
流体軸受けを採用し、7200rpmの製品の中ではもっとも動作音の少ない機種らしい。

細かい経緯が抜けてはいるが、そのあとに、T-ZONEに向かった。
そこで、液晶ディスプレイ用のアームを見つけた。
これも、先輩には必要らしい。
しかし、結構価格が高いということで、後回しにするようだ。
どちらにしろ通販で購入するということで、
ここには実物がどのようなものか、触って確認するためだけに訪れたようだ。
未来の姿が、少しだけ見えた気がした。
実物を見て確認しないときが済まないのは、いつの時代の人間も変わらないだろう。
しかし、購入は便利な通販で行う、という…。

そのあと、御徒町にある多慶屋に向かった。
たけやと読む。
一見、ただの大型スーパーなのだが、その価格はかなり安い。
家具は日本一安いという話だ。

その頃には、もう足が棒のようになっていた。
多慶屋であれこれやり終わった頃にはもう、ヘトヘトに疲れ切っていた。
最後に、ケンタッキーフライドチキンでジンガーチキンサンドというのを食べた。
330円も取っているだけあって、マクドナルドのハンバーガーとはまるで違う。
ちなみに、とある手段を用いることで、無料でこのサンドを食べることができた。
まあ、この手段がどのようなものか、分かる人はまずいないだろう。

なんと、その先輩がケンタッキーフライドチキンの株主優待券をもっていたのだ。
なぜケンタッキーの株主…?
理由はいろいろ考えられたが、結局は謎のままだ。

とまあ、これがだいたいの一日だ。
帰りは、混雑していたために、山手線に逆回りで乗った。
どっちが内側か知らないが、時計回りに回る方だ。
ちなみに、その多慶屋は御徒町にあるのだが、秋葉原から御徒町までは歩いた。
そんなことをしたから足が疲れたのだと思うのだが。

帰りの電車の中では、ずっとパワーMOSFETの検討をしていた。
このトランジスタ、かなり数が多い。
概略にして、3500程度の数がある。
その中で、もっとも適切なものを選ばなければならないらしい。
基本的に電力を基準にしていたが、多くの電力を扱えるものは価格が高くなる傾向にあるらしい。
結局、2SK2957というのをあきらめ、2SK3178…?失念した。違うかも知れない。
とにかく、そのようなパワーMOSFETを使うことに仮決定したようだ。

そのあと帰り道で、ガード下の落書きにどう対策すべきか考えた。
僕は前に、スプレーに反応して毒を発生させるような塗料を塗るべきだ、という、
かなり非現実的なことを言ったのだが、
先輩はこのとき、かなり現実的な意見を示してくれた。
要旨は簡単だ。落書きしたとき、きれいに落書きできないような色に、
あらかじめ通路を塗っておくのだ。
どのような色もなじみにくいという理由で、オレンジ色が適しているという意見だった。
さらにその補色である水色も混ぜ、ストライプにするとより効果的なのだそうだ。
確かに、補色があれば、どのような色も目立ちにくくなる。
もちろん、色は他にも考え得る。
通路が多少暗くなるが、暗い緑色というのもいいそうだ。

他に、シンプルな絵を描くのも効果が期待できるという話が出た。
木だとか、土だとか、草だとか、そういうものだ。
それ以前に子どもということも考えたのだが、
子どもというのは好き嫌いが存在する。
ちなみに、僕は嫌いだ。
不機嫌なときに子どもの絵が大書された壁を見たら、
思わず殴りたくなることは間違いない。
手で叩いたら痛いので、きっと蹴ることだろう。
子どもは不完全、不条理の象徴だ。
理由あってのこととは言え、明らかに低い能力なのに、優遇される。
それはもちろん、子どもが冷遇されたという歴史的背景があるわけだが、
子供心に僕は不安に思ったものだ。そしてそれは今にも続いている。
これほどまでに優遇されることは、僕の人生ではもう、二度とない、と。
このあとは、悪くなるばかりだ、と。

ラスト。知的障害者のサッカー。
実はこれ、前にも書いた。概略を示すが、
結論を先に言うと、知的障害者のサッカーはスポーツと見なされ、
実際、新聞報道でもプロスポーツと同様に扱われているらしい。
だが、新聞記者の父は主張する。
スポーツとは結局結果のみが評価されるもので、
選手の感想も意見も、すべては勝敗から派生するものだと。
少なくとも、報道におけるスポーツはそうだと言うのだ。
それが間違っているとはとても思えない。

ここからが新しい話なのだが、
差別はいけないという、よく分からない逆差別によって、
無理矢理スポーツのカテゴリに放り込まれた障害者スポーツなのだが、
その性質上、勝敗という結果から議論することがなされることはない。
それは、「薄情」であり「非人間的」だからだ。
だから、スポーツのはずなのに勝敗にこだわらないという、異常な状況になっているのだ。
が、ある意味で純粋なテレビは違った。
テレビは、視聴者の意志に、比較的忠実に動く。
忠実に動くという表現が不明瞭ならば、追随すると言うべきだろうか。
すると、テレビの特集は、
勝敗の結果をテロップで軽く流し、
その努力と苦難の道のりを、両親や指導者を交えてまとめるという、感動物語へと仕上がる。
こうなればもはや、スポーツという概念は跡形もなく消え去る。
やったことなどなんでもいいのだ。サッカーだろうが車椅子マラソンだろうが、パターンは一緒だ。
このような形になると、障害者スポーツをプロスポーツと同一視することに無理があることがよく分かる。
高校野球ですら、勝敗で厳密に明暗が分かれるのは問題になりかねないのだ。
障害者スポーツでそのようなことが許されるはずがない。
あるいは、許されなければスポーツとして報道されるべきではない。
これは、あくまでも社会的なニュースであるべきだ。勝ち負けではなく、
障害者がサッカーなりなんなりを、成したことが重要だからだ。

こう言うと、勝敗を厳密に分けることを好むように見えるかも知れないが、
僕はそのような発想は嫌いだ。
ただ、好き嫌いの問題ではなく、プロスポーツが存在する以上、
勝敗があることも、それが重要な意味を持つことも仕方がない。
だが、それをむやみに振り回すべきでないと考えるのだ。
徒競走で全員一緒にゴールすべきだとは思わないが、
不必要な勝負は避けるべきではないだろうか?
人間は、争うだけの生物ではないはずだ。そう、信じたいのだ。
続く

2002/8/30 5:10


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