ひげのお兄さんの日記

2007年10月20日(土) 恐怖という感覚

最近は、刃物で人を刺したり斧での一撃などと
相手を傷つける程度ではなく、明らかに殺意を
初めから持った事件が数多く報道されています。
連日、テレビでコメンテーター達が、簡単に人を
殺してしまう事を憂いながら、分析しています。
弱い相手や無防備な相手に、殺傷力のあるものでの
犯行が多い事から、犯人自身が虐げられたり、いじめられたり
精神的に追い詰められたりといった経験を持つ「弱い」人間では
ないかといった分析が多くされています。
また、昔と社会が変わっている事から、個人で身を護るのも
限界があり、やはり地域の在りよう、コミュニティーが
犯罪を防ぐような方向へ構築されなければならないといった事も
指摘されています。
人権教育が積極的に展開され始めたのが、恐らく私が中学生に
なった頃からでしょうが、知識として、人権侵害や人間の尊厳に
ついての教育が2世代にわたってされているのに、最大の人権侵害
である殺人がいとも簡単に行なわれる事をどう受止めて良いのか
考え込みます。
学術的な分析は専門家に委ねるとして、私が日頃感じているのは、
本音と建て前を平気で使い分けたり、分かっていても平然と
モラルの無い行動に出たりといった状況が日常的に目に付くと
言う事。小学生の下校時に、信号が赤でも渡っていく大人、しかも
近くに横断歩道があるのにそこを使わない場面は毎日目にします。
そんな一見小さな行動や言動がシッカリ子供たちにも影響しています。
こんな事では知識は活かされませんね。
殺人について感じるのは、宗教観が無くなっているという事です。
カルト教団などへの現象は別として、「バチがあたる」とかいった
レベルから倫理観に至るまで、そういった感覚のベースは
宗教観だと私は思います。特定の宗教にチャンと入れと言う事では
なく、幼い頃、暗い夜道などで感じていた不気味さや「祟り」と
いったものへの恐怖など、人間のもつ悪い本質の部分にブレーキを
かける倫理観のようなものがあったと思います。
取組み自体を否定する訳ではありませんが、妖怪を親しみ、商売のネタ
にする時代ですから、親の理屈ではなかなか説得できないような時、
子供たちの暴走を止める「恐い」存在は、今何があるのでしょうか?
人間の倫理観を育てるのは、決して知識やシステムだけでは
無理だと私は思います。心を育てるという事が必要で、大人が
先ず率先して、研き直さなければなりません。
勿論、私自身にも言える事です。


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