†アイスル日記† ---MILET
イチランカコミライ

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2003年09月25日(木) 「薔薇の名前」と「平気で嘘をつく人々」
肩こりが酷いため、夜の睡眠時にうなされている私。
当然だが、朝早い時間に起きられない。
…地震でもない限りは、だけど。

そんな私を、玄関の呼び鈴が叩き起こした。
って、そういう時間でもなく、フツーは起きている時間だったけどさ。

何かと思ったら、宗教の勧誘だった。
曰く
「長崎で幼い男の子を殺害した事件の、被害者のご両親のお話が新聞に載っておりましたね?最近、このような痛ましい事件が多いのは、何故なのだろうか、ということを、聖書の勉強を通して理解していこう、という勉強会を開きます」
と、要約すればこんなカンジ。
でもって
「1、2分、お時間頂けませんか?」
ときたもんだ。眠かった私は断った。
いや、眠くなくても断るけどさぁ。閑なときは別だけどっ。(悪)

先日まで、私が読んでいたのは「平気で嘘をつく人々」という本。
心理学の専門書だと思って、随分前に購入したものだ。幾度か再読を繰り返しているけれど、どーしても好きになれない本。
内容は「邪悪を病気と定義しよう!」だ。(それだけ?)
心理学の本だと思って買ったんだけれど、読んでみたら「キリスト教」の本だったんだよね、これが。
書いた人は「心理カウンセラー」だと言ってるけれど、私から見れば布教活動に熱心な、宣教師と言うカンジだ。
つまり、人間が「善良」なのは、自分よりも「崇高な」存在に「屈服することによって」幸福を感じるからで、その「崇高な存在」というのは、すなわち「神」である、と、まあ、こういうんだよね、これが。
で。
「邪悪な人々」というのは、「自分が至高の存在である」という「究極のナルシズム」によって邪悪になるんだそうな。
すなわち「神をも恐れぬ人間は邪悪である」と、こういうことか?え?おっさん。(おい)

さて。
そんな「似非」心理学の本(いや、信仰と心理学は切っても切れない間柄なんだけどね)の後で、「薔薇の名前」を再読している。
「薔薇の名前」はキリスト教のお話だ。
宗教改革や、異端審問や、キリストの清貧論争などを知らないと、あんまり面白くない本である。ミステリーとして読むだけでは、勿体ないし。

そういう本を読んでいる私のところへ
「聖書のお勉強をしましょう」
と言ってきた方。どこの宗派だかは知らないけれど、ヤブをつつかない方が良いと思うな。


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