おはなはんの日記

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動くということ
2010年09月25日(土)

動いた!!という 感動
それは 生まれたての赤ちゃんの動きにも似ている

無力で無言だったものが 確実に「ビクビク」と動いた様は感動だったよ

どんな生き物にも 命があって それは 魂と神経とつながっているんだね
脳で考え 命令を下すが それらは神経の働きにより 生き返るんだね

脳が本来持つ力をどんなに駆使しようとも
神経が遮断されてしまっては意味をもたない
すべてが「パーフェクト」であった 過去の日々にはなかなかもどれない

ドクターははなからあざ笑うかのように言い放った!
階段を五段あがる?? 足で上がる?? そんな話なら引き受けない!!と
車椅子でもどうか・・・とでも言いたげな口調でそれもなげやりに言った
わらをもつかむ気持ちの患者の家族に対してそれが本音だとすれば
ずいぶん悪意に満ちていたとわたしは思えた
初診断の時もそうだった いい印象はもてなかった
それでも そのドクターに頼むしか道がないと思い込んでいた
なんでも兵庫では一番のリハビリの病院だという話がそこを選ばざるをえなくしていた 治ってもらいたい一心だったのだから・・・
「お願いします」と頭を下げることしかできなかった

いかにお偉いドクターかわからぬが まだ一度しか診察もしてなくて
百枚近いMRIのデーターを見たからといって・・・
人間の神秘がわかるはずないと私は思った
治りたい 治すんだ 生きるんだ・・・という願望や希望がどれほどの
力を発揮するものなのか 思い知らせてやるつもりだ

だから あの病院を選んだこと自体が間違っていたではすまされない
8月16日初めての診断のため 介護タクシーで きつい思いをしながら出向き
9月9日 入院予約に出かけていった (そのときの話だ)
ドクターは 変わりはないか?と聞いたので さほど変わりはないと答えた
すると 先ほどの答えがもどってきた
階段??薄ら笑いすらうかべて・・・・今すむ家へ戻るのは不可能
バリやフリーのマンションならなんとか車椅子で戻れるだろう・・・と言った そうでなければ この病院へは受け入れないと!!
だから 仕方なく 娘のマンションに引き取ってもらいますから・・・と
うなだれながら私はつぶやいた
それなら 引き受けよう!! とドクターは即答した
しかし 特殊な別途を用意するからしばらくまってもらいますよとも言った

あれから何日過ぎても音沙汰なし
病院へ連絡するとの返事も こちらの病院が聞いたら
「個人情報」の時代です 本人または家族にしか伝えられないと冷たい返事
だったそうだ それで9月18(土)電話したが 休み
9月21(火)電話で連絡お願いしたけど ドクターが休みだという
24日にドクターがでてきたら病院に相談の電話をしますからという返事が返ってきた
待つことにはもうあきあきするほどなれていた
この決断が間違っていたのであるからなすすべがないではないか
その24日がきてもなしのつぶて・・・・・
診察する気持ちがないなら最初に言えよ!!
この二ヶ月を無駄に過ごしてきたというのか
いい加減いやになってくる
何事もなく人生を過ごしてきた奴には 決してわかりはしない
自分が偉いと思い込んでいる奴は特にそうだ
しかし そういう奴にでもすがらねばならない人生をどう受け止めればいいのだろう 
やるだけやった 打つべき手は尽くしました それでも是だけの障害が残っています
あとは自分の努力で 希望を捨てず乗り越えてほしい・・・せめてこれくらいの 気持ちや心情をもてないものだろうか
「神の手を持つ「医者」たるものは・・・・・」
あぁ・・・それでも わずかに動き始めた 手のひらを眺め
わたしはつぶやく 明日はもっと動いてほしい・・・・・と

早く受け入れてリハビリを始めてほしい
今 少しずつ動きはじめているのだから 時期を逸しないでと願う
この世の中いい方向へ動かすことは いつの時代も不可能に近い
ありえない出来事が次から次へとでてくるのだから
信じられるのは自分だけなのかもしれぬ
今日も 私は生きていかねばならない 誰のためでなく自分のために
動かせる能力を与えてもらえていることに感謝を忘れず




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