十夜一夜...Marizo

 

 

またしても・・・・ - 2005年03月04日(金)

「波乱万丈」とか「事実は小説より奇なり」とか
私のように平々凡々と人生を
淡々と過ごしている人間には
縁のない言葉だけれど
世の中には私のような人間ばかりではなく
本当に良くも悪くも「劇的」な人生を
歩んでいる人は結構いたりする。


先日のテレビドラマ「溺れる人」を
見た方はいらっしゃいますでしょうか?
あのカネボウの(昔は)
ヒューマンドラマスペシャルと言うのは
一般の人が応募してきたいわゆるノンフィクションであり
過去にも数々の大変素晴らしい作品を
輩出している番組なのです。


今回の「溺れる人」というのは
アルコール依存症に陥ってしまった女性が
家族の愛に支えられてなんとか更生の道を
歩みだすというストーリーなのだが

・・・・・まぁ あれですね。


私自身は平々凡々な人生を淡々と歩んでいるのですが
なんとなくこの「アルコール依存症」という言葉には
他人事とは思えない、むしろ私という人間を
思い出すときに必ず付随して浮かんでくるのではと
思うほど親近感溢れる言葉なわけです。



そのドラマの中の女性は
都会の会社を辞め実家に戻り
学生時代の先輩と再会し結婚したわけなんですが
もうすでに自分の結婚式では飲みまくって
フラフラで退場する新婦という
依存症の片鱗をのぞかせており
それから始まった新婚生活では
昼間は綺麗な若奥様として
夜はいいだけ飲んでクダを巻く酔いどれオンナとして
二つの顔を使い分けるようになっていました。


妊娠、出産をキッカケに一時アルコールから離れ
一家はつかのまの平穏を取り戻すものの
子供が一歳を迎える前にまた「再発」してしまうのです。



ノンフィクションをドラマ化しているので
多少は作られた部分があろうかと
話半分と思いながら見ていたのだが
話半分としてもその家族の苦悩は
凄い酷い辛い状況であったのは想像にかたくない。



「始まりがいつだったかわからない。
 いつもよりたくさん飲んだら
 モヤモヤが吹っ飛んで体が軽くなって・・・
 そのうち飲めば正体を無くすまで
 深酒せずにはいられない体になっていた」



私も人から言わせればいつも(より)たくさん飲む。
いや人から言われるまでもなく
とりあえずビールは平素から最低でも1リットルは飲む。
んで休みの前や楽しい宴会の時は
ちょっと増えて3リットルは飲む。
しかし悲しいかな(←悲しいのか)
そこが限界なのだ。
正体を無くすまえに限界がやってくるのだ。

「限界」を通り越すから「病気」なのか。
自分で歯止めがきかせる事が出来ないから
「病気」なのか。



今回のドラマを見て心から思った。
どんなに頑張っても自制がきかない事は
やはり「病気」なのだと言う事を。




なので本日のお昼に「ぶりの照り焼き弁当」の他に
ケンタッキーを二つとポテトサラダと
家から持ってきた魚肉ソーセージを全部食べて
しまった事は「病気」のせいだと思う。



私、いま間違いなく「病人」だと思う。
誰か助けて。
ぐっすん。
Marizo




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