十夜一夜...Marizo

 

 

「おばぁちゃんのご飯」 - 2004年01月26日(月)


唐突ですが


母は 5人兄弟の一番末っ子で
そのまた、孫の中で一番の末っ子であった私の
小さい時の写真に写っている「おばあちゃん」は
すでにその頃から「おばぁちゃん」であった(笑)



年をとり いわゆる老人ホームに入ったおばぁちゃんは
寝たきりになっても ボケる事なく
しばらくは元気に暮らしていた。

老人ホームは私の家から 約一時間弱。
274号線の長沼に向かう途中の
南幌という田舎街(当時)にあり
ちょうど バイクを購入したばかりの私は
ただただ バイクに乗りたいがために
おばぁちゃんのところへ 毎週土曜日通っていたのだ。



「ただただバイクに乗りたい為」という
不純な動機だった為に
毎週土曜日には来るものの

「どぉ?元気?」と言うだけ言って

ベッドの脇に座り 近くの商店(当時コンビニもなかった)で
購入してきたアイスクリームを
おばぁちゃんに三口あげて
残りはすべて自分で食べていた(笑)

まぁ 喫茶店がわりに使っていたようなものだ。





ある土曜日に
突然 おばぁちゃんが

「時々お昼ご飯がない土曜日があって
お腹がすくんだ」と言い出したので
帰り際に「ナースステーション」に寄り
私は真顔で

「今度、お昼がない土曜日は何時ですか?」と聞いたら

その場にいた看護婦さんや保健婦さんが

「あらぁ〜・・・・・
あのね、ご飯がない時はないのよ」と
ちょっとバツが悪そうに、申し訳なさそうに言う。


そのちょっと困惑した表情の意味に
まったく気がつかなかった子供の私は、なおも

「でもーおばぁちゃんが お昼ご飯がでない土曜日があるって」
と食い下がってはみたものの


苦笑いしながら

「そんな事はないから・・・」と言う言葉で

話は終わってしまった。



どうにも ふに落ちない私は
家に帰ってその話を母にしたところ
母はびっくりして
あちこちの親戚に電話して
事の真意を確認していたのだが
その為に なんだか とっても話が大きくなって
しかも、その電話の枕詞は

「Marizoちゃんがね、今日病院で聞いたらしい」と言うもので

なんだかなぁ〜と思っていた(笑)



後日 親戚が再度、病院側に確認したところ

「病院は毎日三食のご飯を出している。
ただ そのご飯を食べた事を忘れてしまう人がいる」

と言う 結論であった。


確かに ボケてしまえば そういう事はあるであろう。


しかし・・・・・



これは彼是15、6年前の話である。
介護保険と言う物が始まり
老人介護が 商売上成りたち始める
ずっと、ずーっと前である。


当時のおばあちゃんのご飯は
すべて ミキサーで粉々にされたもので
一口づつ スプーンで保健婦さんが
おばあちゃんの口に運ばなくてはいけなかった。


土曜日という職員が手薄な時は
足りない人手に おばあちゃんのゆっくりした
食事に付き合っている暇はなかったのかもしれない。


「もう、おしまいね」と言って
切り上げられたのかもしれない。



当時は 絶対おばぁちゃんはボケてなんかいないと
怒り満開だった私だが
今は なんとなく 「真実の事」が見えたりもする。


おばぁちゃん孝行をしたとは思っている。
が、しかし・・やはり 孫に対する「無償の愛」には
勝る事は無理であり、「私」という存在自体が
多分 孝行であっただろうと 勝手に思って満足している。
Marizo







私信

そう。多分「若」の存在自体が
ばぁちゃんには 嬉しい、楽しい事だったと思う。
北へ向かう道すがら
いろいろな思い出に浸っていったらいいさ。
合掌。


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