十夜一夜...Marizo

 

 

インタビュー - 2003年12月24日(水)



往年の表情がふとした時に垣間見れる。
髪型はトレードマークの長髪をそのまま伸ばし
まるで仙人のように後ろで一つに縛っている。


一時期、まことしやかに流れた死亡説を
恐らく未だに信じている人も多いであろう。
あれから二十年の月日が流れているのだ。


そう、あの思い出すのもおぞましい
東京23区が火の海の中に沈んでいった
あの日からもう二十年。




世界の警察と言われたメリケンの大統領デブッシュと
テロ組織ドコカイナの首謀者 オサマ・ビン・デブリンの
対決のとばっちりで結局 自警隊を中東へ
派遣した翌年の6月。
宣言通り デブリンは「メリケンの犬には神の制裁を」と
空から陸からの自爆テロを敢行し
首都東京はまったく機能しなくなったあの二十年前。



国内はもとより海外からも
自警隊の派遣を強行した当時の首相「大泉蛍一郎」は
その責任をとり 内閣を解散し首相の座も
国会議員すらも辞めて 野に下った。



そして二十年後の今、首都東京は
恐ろしいほどの早さで復興し
世界各国の代表団が入れ替わり立代り
見学に来ている。



そう思い起こせば二十年前の日本は
阪神大震災の傷痕がやっと癒えた頃
東北、北海道と各地で震度6の大地震が相次いだ。
そしてメリケンで起きた 同時多発テロ。


いずれ東京直下型の大地震が来るだろうとの予測を前に
何をどうすればいいのかすら 考える事も出来ないほど
堕落しきった政治家達しかいなかったのだ。




「結局・・・幾らで手を打ったのですか?」との問いに
蛍一郎氏は「君はギブ&テイクという言葉をしらんのか?」と
逆に聞き返されてしまった。



記憶の糸をたどると 首都東京のテロ攻撃を受けた日本は
中東から一斉に自警隊を引き上げた。
そしてあくまでも 日本一国の決断として
医療部隊、教育部隊としてその活動にかかる
お金や物資の提供はもちろんの事
中東を拠点とする各国政府や影のテロ組織にまで
粘り強い交渉を行い、親と子供本人が希望をすれば
その子供が15歳までの生活や教育を
すべて無料で受けられるという施設を
日本国内に設け、留学できる事を約束したのだ。




むろん当時 10歳だった 学校へも行けない
貧しい子供は 5年間の日本での生活と教育と
自身の努力で いまでは中東各国の主要なポストにつき
采配を振るっており すべからく皆 親日家である。



そして日本はというと
荒れ地と化した東京を三次元での設計により
地震は当たり前で その後の大型の津波に
襲われたとしても 避難やその為の防災がまったく
必要のない首都として
あっという間に 蘇ったのであった。


余りの手際のよさに テロと取り引きをしたのか?とか
自作自演のテロでは?と海外から多くのジャーナリスト達が
嗅ぎまわるだけ嗅ぎまわっていったが
真相はまったく分からないままに 二十年が過ぎていた。



馬鹿と鋏は使いようという 昔の格言がふと頭をよぎった。
しかしこの場合 使われたのはいったいどっちだったか?



しかも首都東京のテロ攻撃で
何百万人もの死者が出た事すら
すべての人が忘れ去っている現状である。
いや、実は本当に死者などいなかったのかもしれない。


この問いかけに 蛍一郎氏は
「そうだな。俺も死んでないぐらいだからな。」と言った。
Marizo




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