大村さん(仮名)のおばさん - 2003年10月03日(金) 私が旭川から札幌に引っ越して 今の家に移り住んだのが 丁度 あの赤軍派の 「浅間山荘」の少し前であった。 テレビに映し出される 崖っ淵の大きな家 ひたすら黙って画面に見入る 父と母。 あまりに幼かった私は 何が起こっているのか 全くわからずに ただ父と母の無言が 恐かったのを覚えている。 当時 私の家は新興住宅地で 三角屋根の同じ形の家が 20軒ほど並んでいた。 目の前の道は舗装もされておらず 一番近くのバス停までは 子供の足で40分は歩かなくてはいけなかった。 けれど、夏の夜は蛍を探し 雨降りにはカエルの鳴き声を聞き お月見の すすきはいたるところに生えていた。 移り住んだ時から 斜め向かいに 大村さん(仮名)のおじさんとおばさんがいて 二人暮らしの夫婦は何かにつけて 姉と私を可愛がってくれた。 家の鍵を忘れた時は 母が帰ってくるまで 大村さん(仮名)の家で お菓子を食べて過ごし お彼岸には必ず おばさん手作りの 「おはぎ」を食べていた。 大村さん(仮名)のおじさんが 心臓発作で急死した後 おばさんは一人暮らしを続けていたが だんだんと 昔に戻っていった。 毎朝 カーラーで巻いた頭をスカーフで 覆っていた お洒落だったおばさんは 外にでなくなり 布団のまわりに 大事なものをすべておいて 生活するようになっていった。 時に配達のお弁当屋さんが 「寝ていて起きてこない」と言って 我が家に預けていったお弁当を持っていくと 業者の人と間違えているのか 「ご苦労様」と言われる事が続いた。 危ないからと ガスも止められてしまった家で それでも 約一年ほど過ごしていたが 今日、東京へと旅立つと言う。 血の繋がっていない息子の家の近くの病院へ入るのだと。 出勤前に顔を出した。 「おばさん・・元気でね。」 「あら、Marizoちゃん。私?元気、元気。」 小さくなった手を握った。 「これから会社かい?雨降ってるんでないの?」 「大丈夫、傘持ってるから・・・じゃぁ行ってきます」 「はい、いってらっしゃい。」 おそらく、もう二度と会う事はないだろう。 長い人生の最後の最後を どうか心穏やかに 幸せに暮して欲しいと本当に思う。 大村さん(仮名)のおばさん。 さよなら。 Marizo -
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