カタルシス
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2004年11月19日(金)  ラストサムライ 

帰宅してTVをつけたら『所さん&おすぎの 偉大なるトホホ人物伝』とかって番組をやっているところで 見た途端に今日が「土方歳三」だと解ったから そのまま最後まで見てみたんだけれども

ひどいね(苦笑)

噂には聞いていたけれど よくまぁあそこまで“落とす”もんだなと 苦笑い半分に感心してしまいましたよ あれじゃ土方ただのヴァカーじゃありませんか

確かに嘘は言ってないけれど あんな風にあげ足とった解釈されたら 誰だってトホホな人間になっちゃうよねぇ まぁ それが狙いの番組なんだろうけど
大概の部分は笑って見ていられましたが 「会津を裏切ったと思われても仕方ない状況」というのは リアルな分笑うに笑えませんでした…

天性のサブリーダーだったという点には大いに賛同しますが 自分の立場を理解してなかった訳じゃないと思うんだな ことさらカッコ良く描く必要は全然ないけれど 彼には彼なりの筋ってもんがあったと思っているので
あ 一応私土方贔屓です 幕末のスタートは新撰組で土方寄りでした はい

孤立した会津に援軍を呼びに行く役目 あの時の情勢では下っ端が行ってもダメだったと思う訳ですよ
結果的にどの藩も新政府側についてしまってたタイミングだっただけで 旧幕府・新政府の間で藩政を決めかねている段階だったら 強引にでも藩論をまとめて来てやる!くらいの気概で向かってたと思うのね土方は そんな大仰なこと一介の徒卒如きができるこっちゃないし かといって正式な会津藩士があの状態の藩を放ってどこかへ行くなんて 考えられなかっただろうし
実直な人間であればあるほどに国を出なかったと思いますよ 他でもない「会津藩」ですからな

有名な会津の藩校・日新館 武士の子供は10歳前後でこの学び舎に入り藩の精神を学びます まず若年の生徒達は住まいや年齢の近い者同士で10人前後のグループをつくり 学ぶときも遊ぶ時も基本的にはこのグループで集まり行動をするのです(白虎隊なんかもこのグループでくくられた少年達でした)
このグループのことを「什(じゅう)」といい 集まるとまず必ずこのグループの決まりごとである「什の誓ひ」をメンバー全員大きな声で唱えあげていたといいます

■什の誓ひ■
一、年長者の言ふことには背いてはなりませぬ。
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ。
一、虚言を言ふ事はなりませぬ。
一、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。
一、弱いものをいぢめてはなりませぬ。
一、戸外でモノを食べてはなりませぬ。
一、戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ。
ならぬ事はならぬものです。

これが会津の侍の基本概念です 幼い頃から徹底的に教え込まれたものの考え方 東北の中では都に近い藩でしたが 雪に閉ざされる期間は長く 頑固なまでの生真面目さは 当時名高い藩風として他藩に一目置かれるほどでした

ならぬものはならぬもの 会津士魂は切ないぜ

未だに鹿児島や山口の人間とは付き合うな とか 本当に言ってますからね 歴史仲間の中に実家が鹿児島って人がいますが 会津に史跡巡りに行ってるってこと じいちゃんばあちゃんには絶対秘密だそうですよ もちろん現地で出身地を聞かれても「東京から来ました」と言って誤魔化しています

良くも悪くも真っ直ぐなお国柄ということで

そんな人たちから「裏切り者」扱いされていたとしたら 土方だって浮かばれない(苦笑) 藩主の容保からの信頼も厚かったハズだしね 義理や意地は人一倍持ち合わせていたと 思いたいねムッシュ土方
 
そういえば人物考証してた歴史研究家の藤●氏 スーツ着てるの初めて見ましたよ 総司忌や歳三忌に参加しているときはジャンパーに綿パンにショルダーバックに時々キャップ帽といった出で立ちで ちょっとヲタっぽい雰囲気醸してて(苦笑)あの長髪は今も健在のようでチトひきました 気がついたら数年前からあちこちの歴史雑誌で文章書いてるし 今回はTVに出てるしで 個人的には「へぇぇ〜…」って気分 そんなスゴ人にはどうしても見えんのですが(こら)

という訳であの番組 いろんな意味でキワドい路線走ってると思いまつタ(苦笑)

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『ノー・マンズ・ランド』鑑賞
 

『ラストサムライ』2003年/アメリカ


…昨日の仕事のつづきは聞かないでください


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