「L.A.S.Ponder氏」の音楽カレンダー

2009年03月21日(土) 源氏物語千年紀 石山寺の美 そごう美術館

源氏千年紀、石山寺、紫式部と聞いて
いてもたってもいられず
東京で集会があるのに乗じて
横浜まで行くことにする。

8時半過ぎの
湘南新宿ラインに乗車。

何とか普通車自由席に座れる。

途中、久喜で列車妨害のため
15分遅れる。

モーツァルトのレクイエム
コンフターティス
の自主練習用テープを聞きながら
たまりにたまった古新聞数日分を読む。

11時過ぎ横浜着。
2時間かかりましゅが
乗り換えなしで横浜まで直通は助かりましゅ。



源氏物語千年紀 
石山寺の美

観音・紫式部・源氏物語
会場:そごう美術館 そごう横浜店6階
会期:2009年3月7日〜29日
入館料:1000円


当日券はもったいないので
数日前にローソンで前売り券(800円)を入手しておき
入場。

中高年のご婦人方で
結構こんでましゅ。

ほぼ期待以上の内容でしゅ。

特に源氏物語、紫式部に関する展示は
興味深いでしゅ。

1時時間少々鑑賞の後
出口付近に肘掛つきソファがあったので
例によって爆睡。

20分後に携帯のアラームが鳴り
監視員の眼鏡をかけた
素敵な知的な中年婦人が
飛んできました。

目と目を見合わせて
黙ってアラームをとめました。

ちょっと心ときめきました。

出口を出るとショップが。。。

欲しいものが山のようにあり
全部買うと数十万円になりそうでしゅ。

必死で果てしない欲望を抑え
ショップを後にしました。

せめて図録くらいは買っても
よかったでしょうか?

この展覧会も
石山寺
源氏物語を解する
素敵なご婦人と
一緒に行きたいでしゅ。


ちょっと時間がありそうなので
美術画廊へ。。。

近代洋画秀作展
会場:そごう横浜店6階美術画廊
会期:2009年3月17日〜23日


ゆったりとしたスペースに
梅原龍三郎「高原秋色」
児玉幸雄「レアル風景」
小磯良平、藤井勉
ほか
すばらしい作品の数々。

ちょっと観るつもりが
ついつい長居。

圧倒されましゅ。

それにしても数百万円の作品が
いくつも売却済み。

不景気なんてどこ吹く風。

金はあるところにはあるものでしゅ。


宇都宮でもっともしゃれたデパートは
東武でしゅが
そごう横浜は
宇都宮東武の
何百倍も上品で広くて素敵でしゅ。

お金と自由と時間があれば
横浜に住むか
時々、横浜に行きたいでしゅ。




そごう横浜店で時間を使いすぎ
あわてて国鉄・東海道本線にに乗り
東京へ。

各駅停車で25分もかかりましゅ。

14時5分東京着。


14時
I先生を偲ぶ会
(10の軸研究会)
会場:サピアタワー
東京ステーションコンファランス402B



2008年11月3日
人知れず亡くなられたI先生を偲ぶ会。

I教授に薫陶を受け
全国に散った
30名ほどの教え子たちが
北は北海道から
西は四国まで
集まりました。

発起人挨拶には間に合いませんでしたが
次の経過報告から参加。

当時I教授と対立していた同志I元・助教授の
スライドを使ったお話。
S元・講師のお話のあと
2008年某学会でのI元・教授の講演DVDを鑑賞。

一人一言になりましたが
トップバッターのNandatte Cantabileは
時間が押していたので
発言を辞退。

しかし後は全員が発言しました。

I元・教授は信念の人。

学習院高校、T大の
エリートコースの後
大学院へも行かず
20代で世界的大発見。

40歳で助教授の席を捨て
北海道に渡り
地域で実践活動10年。

当時の学長に請われて
大学に戻り
新設まもない教室の初代専任教授に就任。

業界では教授職は
大学院修了、
少なくとも博士号取得者でなければ
就任できないのでしゅが
I先生は
20代での世界的大発見と
10年間の北海道での実践経験を買われて
博士号なしで教授に就任。

研究、教育、実践に大活躍しました。

朝早く登校し夜遅くまで
休む暇なくエネルギッシュに
活動されました。

甘いものが大好きで
昼は秘書に餡ドーナツを買いに行かせ
それで済ませることも
たびたびでした。

クリスチャンでしたが
日曜も教会に行かず
大学内外で仕事をすることも
多いのでした。

他人に厳しく
自分にはもっと厳しく
昼夜をおかず
活動されました。

自己の信念をあくまで押し通そうとされたので
内外に敵も多くありましたが
面倒見は抜群によく
大学在任中、多数の優秀な弟子を育てました。

新卒教室員が8人集まった年は
彼らを徹底的にしごき抜き
彼らが根を上げ
O助教授に
「これ以上しごかれたら
全員やめます。」
と直訴されるまで
しごきあげました。

もちろんアカハラではなく
無私の教育でしゅ。

I教授の下で
教室開設以来初めての大学院生となった
Nandatte Cantabileも
徹底的にしごかれ
4年次には鬱病、糖尿病になってしまいました。

結局Nandatte Cantabileは
留年してしまい(正確には大学院修学延長)
I教授の温情と大学の政治的配慮で
何とか修了させていただき
博士号を頂戴いたしました。

その後I教授は現学長と
教育上の問題で対立し
大学を辞任、下野しました。

そして一昨年でしたか
手術不能の進行胃がんが発見され
抗がん剤でかなりの延命に
成功しましたが
昨年11月3日帰天されました。

死は公表されず
葬儀は家族だけで執り行われたため
Nandatte Cantabileが
帰天を知ったのは
年が明けてからでした。

帰天を知った
教え子たちが
今年になって
偲ぶ会を企画したのは
当然のことでしゅ

猛将の下、弱卒なし。

偲ぶ会当日は猛特訓に耐えた
百戦錬磨のつわものばかり集まり
途中で敵前逃亡、戦線離脱した
多くの弱卒は一人の例外を除いて
誰も来ませんでした。

その例外はNandatte Cantabileでしゅ。

Nandatte Cantabileは
I教授の猛特訓を
のらりくらりとかいくぐり
重篤な鬱病を患いながらも
奇跡的にゴキブリのごとく
教室に生き残っていましゅ。

偲ぶ会は後半のDVD上映をカット
かなり時間オーバーし
奥様のご挨拶で無事修了。

第2部懇親会は
18時から
丸の内オアゾ5階和食「えん」
会場を移し
大いに歓談しました。

懇親会二次会は
東京駅近くのビル5階の
変に明るい店に
東京に宿泊する6人が残り
Nandatte Cantabileも
11時15分までねばりました。。。

11時15分アラームが鳴り
暇を乞い
東京駅にダッシュ。

山の手線に飛び乗り
上野発最終東北本線に
滑り込みセーフ。

時刻は零時を過ぎ
列車は大宮を過ぎ
車内がすいてくると
向かい側の席に
若い素敵なお嬢さんが
しどけなく眠っていましゅ。

そのあまりに無防備なさまに
Nandatte Cantabile
スケベ心と同時に
大丈夫なのかなと
心配になりました。

1時を過ぎて
Nandatte Cantabileが下車するときも
彼女は無防備に眠ったままでしゅ。

なんとなく心残りのまま
1時半近くようやく自宅に
帰り着きました。




9866歩


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