| 2005年11月20日(日) |
1940(昭和15)年 詩人 小熊秀雄 没、40歳 |
1940(昭和15)年11月20日 プロレタリア詩人 小熊秀雄(おぐまひでお) 東京豊島区のアパートで 肺結核のため没、40歳。 1901年9月9日誕生
L.A.S.Ponder 大学入学後 合唱部に入り 1年の時に 最も早く歌ったのが 小熊秀雄作詩、林光作曲の 「蹄鉄屋の歌」でした。
『蹄鉄屋の歌』 泣くな、 驚ろくな、 わが馬よ。 私は蹄鉄屋。 私はお前の蹄から 生々しい煙をたてる、 私の仕事は残酷だろうか。 若い馬よ、 少年よ、 私はお前の爪に 真赤にやけた鉄の靴をはかせよう。 そしてわたしは働き歌をうたいながら、 ――辛捧しておくれ、 すぐその鉄は冷えて お前の足のものになるだろう、 お前の爪の鎧になろだろう、 お前はもうどんな茨の上でも 石ころ路でも どんどん駆け廻れるだろうと――、 私はお前を慰めながら トッテンカンと蹄鉄うち。 ああ、わが馬よ、 友達よ、 私の歌をよっく耳傾けてきいてくれ 私の歌はぞんざいだろう、 私の歌は甘くないだろう、 お前の苦痛に答えるために、 私の歌は 苦しみの歌だ。 焼けた蹄鉄を お前の生きた爪に 当てがった瞬間の煙のようにも、 私の歌は 灰色に立ちあがる歌だ。 強くなってくれよ、 私の友よ、 青年よ、 私の赤い焔を 君の四つ足は受取れ、 そして君は、けわしい岩山を その強い足をもって砕いてのぼれ トッテンカンの蹄鉄うち、 うたれるもの、うつもの、 お前と私とは兄弟だ、 共に同じ現実の苦しみにある。
混声合唱曲「蹄鉄屋の歌」は この詩の一部に作曲されたものでしゅが プロレタリア詩人 小熊秀雄の精神を 遺憾なく伝えていましゅ。
特に最後の 「うたれるもの、うつもの、 お前と私とは兄弟だ」の ハーモニーにしびれました。
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