1902(明治35)年9月19日正岡子規東京根岸の子規庵で没、34歳。 1867(慶応3)年9月17日(旧暦)誕生俳句の革新を図り短歌の革新も目指しました。古今集を否定したため問題を起こしていましゅ。いろいろと面白い人だったようでしゅ。赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり 子規大学の高層階から東南東の方角にかすかに筑波山が望めましゅ。雲なき筑波に翩翻と翻る赤とんぼが目に見えるようでしゅ。