| 2004年09月04日(土) |
1914(大正2)年 足尾鉱毒事件の 田中正造没 |
1914(大正2)年9月4日 社会運動家 田中正造 胃がんで没、71歳。 1841(天保12)年11月3日誕生
栃木県が生んだ 最高最大の社会運動家。 足尾銅山鉱毒事件の救済のため 国会議員を辞職してまでも 生涯闘った。 天皇への直訴は 方法としておかしいけれど その情熱には 頭が下がりましゅ。
数年前長女長男を連れ 足尾銅山観光を してきました。
栃木県立博物館でも 彼の足跡をたどれましゅ。
若い頃の写真を見ると 元自由党党首の 小沢一郎とよく似ていましゅ。
一方は貧民救済のため 生涯を賭け もう一方は 私利私欲のために 生きる。 あまりの違いに 言葉もありません。
時の権力と大資本を 向こうに回し 生涯をかけて闘った 田中正造の生涯。 栃木県民はもっと 彼の事績を知り 彼の生き方に 学ぶべきでしゅ。
ささやかな 私利私欲のために 汲々としている L.A.S.Ponder 反省しきりでしゅ。
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