dagbok?

みなと【MAILHOME

書く
2003年01月08日(水)

 何かを書くということ。

 考えていることを形にするというのはとても大変なことだ。寝起きでぼんやりしているのと、風邪引いてぼんやりしているのはだいぶ違う。でも字面にしてしまうとどっちも同じだ。読んでいる人に経験がなければどちらも同じ「ぼんやり」でしかない。前者の「ぼんやり」と後者の「ぼんやり」は違うものだと主張するにはやはり文字を使うしかない。
 だから表現というものは多彩になる。
 「ぼんやり」という一言以上の文字数を消費してどんな「ぼんやり」なのか読み手に伝わるように工夫する。これがまた大変なことなわけで、語彙が少なければ簡単に行き詰まってしまう。頭の中にあることが明確な形を持つことができずイライラする。
 こんなヘボでも駄文書き始めてキャリア10年近くにはなるわけで、書くことに対しては全く抵抗はない。しかし10年経った今でもそれは変わらない。新しい表現を生んだところでやすやすと理解されるはずはなく、だからと言って陳腐な表現では飽きられてしまう。
 悩んでいるうちに文章には無駄が多くなり、読みにくものとなってしまう。シンプルが一番であるとわかっているのに知らず量が増える。書いている時にいつもつきまとう葛藤である。
 悩んだ結果、少しずつ無駄を排除していく。読む際のテンポを重視し、歌のようなスムーズな流れを作ろうと考える。

 でも論文ってそんなの関係ないんだよね。
 冗長の排除。一行が長く、口語は使わない。専門用語も混ざるものだから平易でも難解。
 書くという作業自体はどうということもないんだけど、情緒も何もあったもんじゃないからつまんないよぅ。
 ある意味苦痛かもね。

 というただの愚痴でした。おわり。



BACK   NEXT
目次ページ