鶴は千年、生活下手

2018年06月06日(水) 差別的発言の影響

前回の更新の時には、まだほんとにわかってはいなかったのだな
と、GWまっただ中の登校日に下校してきた息子の発言で思い知
らされた。

支援級には息子と一緒に入学した子がいて、小学校中学校を通じ
て初めて交流級で同じクラスになった。
ところが、始業式の日から、クラスの複数の男子生徒からバカに
した発言や扱いをされてしまった。
息子はそれを見て、怒っていた。
わたしは、良く知らないとそういう風に接する男子もいるもんだ
よと、割と軽い気持ちで助言していた。
しかしながら、交流授業に一緒に参加すると、その発言や行動を
バカにすることは相変わらずに続き、それが息子の登校しぶりに
繋がってたのだった。

GWのまっただ中、そんな交流授業のなかでその子の存在を否定
するような発言があり、息子は怒りながら帰宅したのだ。
それを聞いたわたしも、それはあまりにひどいと思った。
それを言われた子が、言われたことをわからないと誤解している
からこその発言かもしれないが、本人はよくわかっているはずだ。
言葉にするのが苦手なだけで、いろいろとわかっているのだ。
言動が他の人と違うからと言って、知的な遅れが少々あるからと
いって、言っていいことと悪いことがある。
当たり前のことだ。
誰に対しても存在を否定することがあってはならない。
たとえ、からかいのつもりであっても、だめなものはだめなのだ。

息子に、彼と一緒に交流授業に出て、彼を守れと言ってしまった。
息子はその影響で、自分にも向けられるようになった言葉に、怒り、
学校に行きたくないと言い出した。
話し合って、交流には行かないと決めた。
あんなクラス、行かないって。
息子たちには、支援級という居場所があるが、もし普通にクラス
のなかにいて、傷つけられる言葉を日々受けていたらと思うと、
普通の子たちがかわいそうにさえ思えてくる。

発達障害児は、いじめの対象になりやすい。
よくわからない言動をするからだ。
わからないものは、怖がるか嫌うかなのが大多数だから。
何考えてるのかわからないからキモいとか、急に変なことを言う
からイラつくとか。
そんなことわかり切っているが、そうならないようにするのは、
誰でもなく親である。
自分を大事にしてもらえない子は、他人も大事にできない。
何か結果を出さないと褒めてもらえない子は、生きているだけで
価値があるといって育てられている障害児に、嫉妬するのかもし
れないし、価値基準は親によってきまるのだ。

親の顔が見たいとは、よく言ったものだ。


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市屋千鶴 [MAIL]