鶴は千年、生活下手

2011年05月07日(土) 母の日を前に

学校から連絡があった。
学校には週に1回カウンセラーさんが来る。
そのカウンセラーさんにもぐちゃんの様子を見てもらい、先生と
カウンセラーと親との三者で協力して指導していきたいというこ
とだった。
人を押すのは良くないことだと言い聞かせ、本人もわかったとは
言うが、日常的に意識し続けるにはまだまだ継続して伝え続ける
必要があるので、学校側が意識的に見てくれるのはありがたいこ
とだ。
心理学のプロがどんな対応をするのかが興味深いところだ。

母が亡くなった翌年の母の日は、お墓参りに行った。
もう20年以上も前のことだ。
夫は高校生で母を亡くしているから、母の日は2人にとってはあ
まりうれしくないイベントだった。
母親に、生んでくれてありがとうと伝える日と認識しているが、
母の有る無しでカーネーションの色を変えるのは残酷だと思って
いた。
今は、わたしが母の日の対象になるのだが、母親になってみると
なにも特別に感謝などしてもらわなくても良いのだった。
子どもは生まれたくて生まれてくる。
母親はその手助けをするだけなのかもしれないと、もぐちゃんを
産んだときにそう思った。
腎臓病で胎児として育ちきることができないかもしれない母体に
宿り、そんな母体の健康を維持し、計画していたにもかかわらず
その前日に自然分娩で産まれた子である。
よっぽど生まれてきたかったのだろうと、産んでから数ヶ月経て
母は悟ったのだった。
だから、この子は少々のことでは死んだりしないと。

乳児の頃の母親の不安は大きい。
この小さい体の中の大きな命を、自分が全責任を負って育てるの
だと思うと、恐ろしくなったものだ。
ああどうしようと思うことがたくさんあった。
母乳が一番なのに、母乳が出ない。
自分の体でさえ維持できないほどの貧血なのに、その血液をもと
にできる母乳など出る訳がない。
少しでも母乳を飲ませたいと、懸命に搾乳し、夫と2人で四苦八
苦した。
家の掃除が十分でないと、ハイハイ期には神経質になった。

そして、この子が大きくなるまで、自分の体は保つのか。
何歳まで透析しないでいられるのか。
不安と戦いながらの日々だった。

そんな乳児期を経て、なるべく心配しないことにした。
起きてもいないことをあれこれ悩んでもしょうがないのだ。
物事は発生してからきちんと対処すればいい。
慎重であることは良いことだが、子育てには勢いが必要だ。
試行錯誤の毎日なのだ。
子どもが何かしてしまったら、親はひたすら謙虚に頭を下げる。
それしかないのだ。
そして、子どもへの愛情を、どんな形であれきちんと伝え続ける
ことだ。

 母の日に母を思えば笑顔しか思い出せない平成の日々(市屋千鶴)

母は平成元年に亡くなった。


 < 過去  INDEX  未来 >


市屋千鶴 [MAIL]