「隙 間」

2012年09月01日(土) 「ローマ法王の休日」

一日は映画サービスデーである。
真昼に歯医者の予約があったので、まずは念願のそれを済ませる。

とうとう、折れて仮歯だったわたしの前歯が、見事な「さっしー」に変わったのである。

博多に飛ばされないよう、スキャンダルには気を付けている。

もとい、「さっしー」を手に入れたあかつきには、思いっきし、「とんかつ」を噛み千切ってやろう、と決めていたのである。

しかもその店は「総監督」のお気に入りの店「銀座・梅林」である。

わたしが銀座で映画をはしごをするときに昼食の第一候補にしている店である。かれこれ五、六年前からになるだろうか。

待っていろ、梅林のスペシャルかつ丼。

と息せき切って日比谷駅の階段を駆け上がり、途中のシャンテシネで映画のチケットを確保し、店に向かったのである。

昼時を過ぎていたので、すんなり席に案内される。
椅子に尻が触れるよりも前に、「スペシャルかつ丼」と注文を済ます。

上野アメ横のいつものかつ丼に比べるとお値段がはるが、「さっしー」への歓迎の洗礼である。

さて、いざシャンテシネへ。

「ローマ法王の休日」

ローマ法王が亡くなり、次代の法王を選出するため、世界中の枢機卿たちがバチカンに集まってくる。
もちろん、世界中がその一部始終に注目している。

枢機卿同士で推薦者を投票してゆくのだが、なかなか決まらない。

皆、それなりに高齢で体力的に限界であったり、また、こんな機会がなければイタリア観光など出来ないのだから早く選出を終わらせて観光を楽しみたい、とソワソワしていたりする。

本命候補たちのなかで票数が散らずに決まらないまま投票を繰り返すうちに、ついに法王が決まった。

世間も本人もまったくノーマークだったメルビルが、新しい法王に選ばれてしまったのである。

サン・ピエトロ広場に集まる群衆に就任挨拶をしなければならないメルビルだったが、あまりのプレッシャーに、まさに挨拶の直前といったところで逃げ出してしまう。

ローマ法王の座はどうなってしまうのか?



なかなかチャーミングな作品である。

世界の重要な立場である「ローマ法王」という立場を、枢機卿たち全員が、

「私はなりたくない」

という気持ちでいっぱいなのである。

押し付けあって、早く誰かに決めてしまいたいばっかりに、その白羽の矢、まさにその語源の通りの生け贄としてメルビルが選ばれたのである。

「こんな重責、プレッシャーなど私に務められるはずがない」

と、逃げ出したくなる気持ちはよくわかる。
しかし、メルビルは決して他の枢機卿たちを恨んだりするようなことはないのである。

メルビルが姿を消してる間、それが世間にバレてはいけない、他の枢機卿たちにも気付かれないように、バチカン広報官とトップの一部はごまかし続ける。

「法王は現在、あまりの重責に神に祈り続けているのです」

代わりの者に、法王の部屋のカーテンを時おり揺らしたり、影を窓越しに外から見えるようにし、あたかも在室しているかのように振る舞わせる。

一方、枢機卿たちのみならず、世界中から集まった信者、マスコミたちが、広場で法王の挨拶を待ち続けている。

待っているあいだ、逃げ出す前にメルビルのために呼んだ著名なセラピストが、やがて枢機卿たちを国別のグループにわけ、バレーボール大会をはじめる。

そのときの枢機卿たちのバレーボールに熱中している姿が、まことに可愛らしいのである。

常に親しみ深くも厳かな佇まいのようなものたちが、慣れない動きで少年のように笑い、悔しがり、盛り上がっている。

この映画が、バチカンを中心とする宗教に対する皮肉を盛り込んだ作品との一説もあるが、だから、敢えて指導者たる枢機卿たちや法王を人間臭く描いている。

そうだ。

神聖たる、厳かな父である神などいない。

人類総出で連綿と思い込み続けて築き上げ、共有化されてきた偶像である。

共有化されてきたから、信じることは容易い。
くしゃみをすれば桶屋が儲かることも、当然の原理となりうる。

そんなことは棚でもロフトにでも上げておいて、とにかく気楽に愉快に、そしてじんわりとなれる作品である。

ああ、次の作品はまたこの次に。


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