「隙 間」

2012年05月09日(水) カエるモノ

長崎には名物の料理が多数ある。
そのなかで「トルコライス」というものがある。
カツとピラフとナポリタンが盛り合わせになった垂涎もののメニューである。

諸説あるが、その発祥の店として有名な「ビストロボルドー」に、わたしは向かっていた。

竜馬像からほぼまっすぐに、急傾斜の山並みにある墓地の真ん中を直滑降で下りてきたわたしは、開店時刻の二十分前に店の前に着いていたのである。

看板の前を知らぬふりして通り過ぎ、しかし目ざとく入口の様子を横目でうかがう。
店は階段を上がった二階にあり、階段の上がり口に主なメニューや店の案内などが張り付けられていた。

通り過ぎてから五分ほどたち、引き返してふたたび店の前を通過してみようとしたのである。

どうやら店の女性が、階段の前を掃き掃除していたのである。

これはもう、開店は間近である。

そして着いた商店街のアーケードで開店時刻まで店を物色して過ごす。
他の「トルコライス」を供する店を、である。

発祥の店、だとかにこだわると、現在旨い店や自分の好みに合った店を見過ごしてしまう。

しかし、やはり「発祥の店」の看板に叶う店は他に見当たらなかったのである。
「ビストロボルドー」は「発祥の店」だけに限らない。おそらくもっともオーソドックスな味である、ともいわれていたのである。

こってりコテコテが好物のわたしだが、やれドミグラスだのチーズだのトマトだのの他店の誘惑に打ち勝ったのである。

開店と同時は、よろしくない。

そこで十分ほど過ぎたほどよい時間に店に入ったのである。
なぜよろしくないかというと、開店したてはすべてがあたたまっていないことがあるからである。

あたたまっていないもので調理すれば、それは馴染んでいないものになってしまうのである。

揚げ油、鍋、フライパン、ソース、そして何より調理する本人。

先ほどは並んでいた姿がなかったのに、広くはない店内はすでに半分が埋まっていた。

テーブルが四つ、カウンターが五、六席。
ひとり客のわたしは当然、カウンターである。

そのカウンターがまた、目の前でマスター、というよりおやっさんの方がしっくりくる、がテキパキと調理するのを味わえるのである。

注文は「トルコライス」に決まっている。

しかし、焦ってはいけない。

年季を感じさせるメニューを、さもありなんとめくりながら、他のテーブルの上をうかがう。

皆、やはりトルコライスである。

おかみさんが、わたしに注文をたずねる。

では、
「トルコライス」を。

「はいよ」と、復唱したおかみさんの声におやっさんが応える。

あのひとときは、不思議な空間であった。

へりを少し折り曲げたフライパンを、小気味良いリズムを全身で刻んでいる。

ジャッ、ジャッ、ジャッ、ジャッ。
カンッ。
ジャッ、ジャッ、ジャッ、ジャッ。
カンッ。

気付くと見ているわたしの体も、それに合わせて揺れていた。

すぐに席は埋まってゆき、階段にたって待っている方もいた。

味はたしかにオーソドックスでシンプルなもので、とりわけ凝った調理方法や調味料を使っているわけではない。

家庭でもおそらく、同じようなものができるだろう。
しかし、材料や味だけでは、この幸せは味わえなかっただろう。

ジャッ、カンッ、のんびり味わってしまった。

これから福岡に飛んで、車を返し、さらにあの店にゆかなければならないのである。

王貞治(現福岡ソフトバンクホークス会長)が入院中、病室を脱け出してまでして食べにいった店。

わたしが初日、行列に拒否反応を示して断念した店である。

博多どんたくに沸き立つ街に、わたしも鼓動が小躍りしているようであった。

地下鉄で移動中の踊り子の少年少女ら一団に押し込められ、思わずへの字に辟易してしまった。

「らるきい」

もうチャンスはない、という決心で開店前十分に列の後ろについたのである。
タイミングがよかったのか、一回転目で着席できること確実な順番だったのである。

「ぺぺたま」

それがお目当ての料理である。

ペペロンチーノをトロリたまごのソースでからめたパスタなのである。

カルボナーラでは、ない。
たまごかけペペロンチーノ、である。

大盛りを頼めばよかった。

胃の中のおかず、後悔を知らず。

トルコライスはとうに消化済みで、まだまだ余裕があったのである。

なあん、ツヤばつけよってからあ。
いやらしかあ。

カッコをつけたわけではない。
夜の帰りのバスの前に、晩飯を食っておきたかったのもある。

博多駅ビルで、馬刺が待っている。

時刻はもうすぐ夕方。
大濠公園駅から地下鉄で戻るか、バスで戻るかで、迷ったのである。

地元の方なら迷わず地下鉄を選んだであろう。

わたしが生来持ち合わしている「間の悪さ」が、ここでまた、最後の締めくくりにやってきて、存分に発揮してくれたのである。

すぐにやってきた目の前のバスに乗り、それは博多(天神)行きで、間違いではなかったはずであった。

行きに地下鉄で十分とかからなかったはずが、三十分以上かかってしまったのである。

それがどうした、と思うだろう。

車中ずっと、手持ちの水をチョビチョビ飲んで、すっかり水っ腹になってしまったのである。

チャパチャパ。

「ご飯がはいらなくなるから、ジュースはもうやめなさい」

子どもに母親が注意する、まさにそれである。

目当ての店に、それでも向かう。
新しい博多駅ビルの上階に、熊本でも有名な店が出店しているのである。

しかし、甘かった。

駅ビル内だから、とたかをくくっていたら、なかなかどうして敷居が高いよそおいである。

まばたきを三回する間、わたしは熟考した。

そしてそのまま、屋上階の展望デッキへと上がることにしたのである。

福岡の夜景が、360度見渡せる。
恋人、家族を連れてなかなか楽しんでいるようである。

わたしは夜景を見ながら、晩飯の算段をし直す。

馬刺が懐石の扱いしかないのは、誤算だった。
昼間なら定食のような扱いで手頃なのがあったらしい。

胃袋はまだチャパチャパ。
しかも時間が、限られている。

今夜、東京行きのバスに乗らなければならない。
往路の経験から、車中で食べるのは難しい。

さてまたラーメンにするか。
それはイヤだ。

ひょーいとひょひょいと。
ひょひょいと九州。
ひょーいと福岡明太子。
佐賀県ステーキ、宮崎ステーキ、長崎ステーキ、鹿児島トンテキ。
大分、とり天。
熊本……馬刺!

食べてばっかじゃん。
うへへへへ。

いけない。五色のジェットに連れてかれるところだった。

そうだ。
「とり天」を食べていない。
貼り紙の文字に吸い寄せられ、店に入る。

ああ。
「冷や汁」もあった。

しかし店に入る時点で、すっかりわたしは「とり天」な気分であった。

ああ、満足。
お腹いっぱい、胸いっぱい。

振り返ればあっけないが盛り沢山の九州縦断。

「どこかいく度に、何かしら残念なネタを作ってくるね」

予定通りに万事うまく回るつもりで、しかしなかなかそうはいかない。

であるから、ときには「残念」に聞こえることにも出くわす。

しかし、だからこそまた行こうという気になるのである。

有象無象が詰まったカバンをがらがらと転がして、東京へと帰る。

とはいえ、帰るのはバスで、である。

歩いて帰るのは、残念を通り越して素敵過ぎる。



さあ、長々と二ヶ月も前の話にお付き合いいただいたことに、感謝とねぎらいを送らさせていただきたい。

次は、夏。

もう目の前である。


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