ダメダメちゃむ日記
DiaryINDEX|past|will
昨日の「卒業」(長い!)の続きです(*^o^*)
もう一つの忘れられない卒業式。 卒業式の日、担任は幸せだ。3年の担任という激務の果ての慶びの日である。 副担任は淋しい。正直、涎が出るほど担任が羨ましい。 しかし、再発以来私はドクターからもダーからも担任禁止令を受けている。 事実、1年生担任の姿を見ていても、「私には無理だ!」とわかる。 うつ病と共に生きていく以上、私に担任はできない。特に3年担任は。 ある年、図書館主任をしたことがあった。 その年の3年生には読書好きの女の子が多かった。 すぐに昼休みは彼女たちと私の読書サロンになった。 昼休みに職員室にいるなんてもったいない。 私の友は図書館におり、仲間は図書部員だった。 彼女たちのリクエストでガンガン本を買った。 彼女たちが続きリストを作ってくる。その通りに私が買う。 私が図書館サロンのマダムであり、毎日本を借りていく常連客(笑)がたくさんいた。彼女たちは読書に逃げなかった。読書と受験勉強を見事に両立していた。 授業でこそ教えたことはなかったが、私たちは読書で繋がった仲間だった。 その子たちが、卒業式に手紙の束をくれた。 「大好きなちゃむ先生へ 図書館愛好会より」 あんなに嬉しい卒業式はなかった。あんなに大切な宝物はない。 教師をやっていてよかった。図書館で君たちと出会えて本当に嬉しかった。 私の教師人生の中で最高に幸せな卒業式でした。
そして昨日。 今年1年の選択授業で100人前後は教えただろう3年生の卒業式。 素晴らしい3年生だった。 「非の打ち所のない」生徒に出会ったのは教師人生で初めてだった。 心が豊かで、感性が豊かで、基礎学力があり、授業にも百人一首にも全力投球だった。 生徒会はもちろん、体育大会、文化発表会、こんなに完成された中学生を見たのは生まれて初めてだった。 もう(ノД`) ただ(┰_┰)ウルウル 何の心配も不安もなく迎えられる、こんな卒業式も初めてだったな。 卒業式はもちろん厳粛にマタニティフォーマル。 2月14日に着て校長から怒られた服だが、流石に今日は文句言われなかったゾ<( ̄^ ̄)> そして、在校生全員で卒業生を見送る花道では、 冬休みに校長に注意された、「ハ○ー・○ッター」のグリ○ィンドールのローブにグリ○ィンドールのマフラー巻いて、外掃除用の箒を持ってコスプレでお見送りv(≧∇≦)v♪ 在校生も「先生、飛んで!」と大騒ぎだったが、あいにく私はマグルなので飛べません(笑) 3年生にも保護者にも大受けさ! わぁいヽ(∇⌒ヽ)(ノ⌒∇)ノわぁい♪<自分解釈(笑) 職員集合の後の昼休憩、まだ卒業生がたむろしている近くの公園へε=ε=ε=ε=ε=ε= へ; ̄_ ̄)┘ 「後で写真撮ろうd(^-^)ネ!」 と約束した生徒たちのために(箒抜き)の偽魔女参上撮影大会だ!O(≧∇≦)O イエイ!! 本当に君たちはサイコーな3年生だったよ。 でもね、今の1年をあと2年で、君たちと同じかそれ以上のレベルまで、 私たち育てるから。安心して母校を巣立っていけ! 羽ばたいていけ、その素晴らしい翼で(o^-')b
そして、同じく昨日。 もっと忘れられない卒業式に、ダーリンが出席した。 昼には携帯に電話が入っていた。 「ちゃむちゃん、○中の卒業式、素晴らしかったよ。服装も頭髪も起立着席も式の態度も完璧で、答辞も歌も最高で僕も涙が出たよ! 生徒も来賓もみんな泣いてたよ!」 祝電を贈っておいた、私の前任校の卒業式に、地域の交番所長として、ダーリンは来賓で参列したのだ。 (┰_┰)滂沱〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!! あの学年が!!!!? ゜(PД`q)゜。<ホントこんな感じ
1年の時4クラス教えた学年だった。 かなりヤバイ3年生がいたけど、タバコ仲間として悪の3年生とは通じていた。でも、彼らは荒れ過ぎていた。 もちろん彼らには暴れるだけの理由があった。もう決して口外したくないほどの。 彼らは大人に傷つけられ過ぎた。 親に傷つけられ、そして教師にも傷つけられていた。その心の痛みが、彼らを荒れさせた。もう思い出せないような荒れっぷりだった。 当時の3年部がどんなに大変だったか、この目で見たし、 その心の痛みにリンクしてしまった私には、彼らの作り出す大音響(ドアや廊下を蹴る、叫ぶ、他)は耳にきつすぎた。 7月に1ヶ月の病休を取った。1学期の評定を出してから。 復帰した2学期には、1年生の1部の女子が荒れ始めた。 彼女らもまた家庭の犠牲者でもあった。 そこには力の暴力はなかったが、言葉の暴力という恐ろしいほどの破壊力を持っていた。 その辺りの過程は2004年度の日記やうつ板に書いてあると思うが、 今の私には読み返す勇気はない。 書き込む気力もあまりなかったかもしれないが。 まず、女性担任が1人やられた。メンタルだ。2004年度3人目のメンタル病休<一人目は私ですが(*^o^*) 誰が荒れ果てた●組の新担任になるか。荒れの中心にいたのは(勝手診断)自己愛生人格障害のT。私はそのクラスに授業に行っている副担任の1人だった。 校長、教頭、学年長、副学年長単位の相当な会議があったと思われる。 年齢的、条件的には私のはずだった。 しかし私は赴任時にうつ病をカムアウトしていたし、その学校ではメンタル疾患が十分理解されていた。私がそのクラスの担任になったら命の危険があった。 ベテランがかなり無理な条件でそのクラスの新担任になってくれた。感謝してもしきれなかった。
そして、ほぼ同時に家庭のトラブルを抱えていた女性担任も倒れた。こちらもメンタルとなった。年休消化での復帰を待っていたが、彼女のストレスも大き過ぎ、こちらも病休となった。私はそのクラスの副担任であり、彼女が休んでいる間中、担任代行をやっていた。生徒ともうまくいっていた。 どう考えても「私か!?」く(""0"")> 悩んだ。相当に悩んだ。ドクターともダーリンとも相談した。論点は、 「私に担任ができるか!?」 という物理的精神的身体的な条件だった。 校長たちも相当な話し合いをしたに違いない。 ある日、遂に校長室に呼ばれた。 「●組の授業を私(校長)が受け持つから、○組の担任をやってくれないか」 そう、女性教師を2人倒した後、Tの攻撃は今や私に向いていた。 ●組に行くのがきつくて辛くて仕方がなかった。Tとその仲間による教師いじめの矛先は今や私を標的としていたから。校長の奇策だったに違いない。 「……医者からも家族からも言われています。現在の状況で担任をもつ気力と体力が私にはありません。ましてや、●組の授業を校長先生にお任せするなんて、私にはできません」m(_ _)m 実は、若くて元気な臨時講師が1年部にいた。あと3ヶ月と少しのこの1学年部を無事に乗り切るには、彼女にお願いするのが最も無難だった。 実は校長もそのつもりだった。若くて元気な彼女が第1候補だったと後でダーから聞いた。ただ、副担任で適正年齢の教諭である私の意志と立場を尊重してくれたのだった。 担任交替が発表される月曜日、私は学校に行けなかった。 Tらの攻撃は続き、遂に私にも限界が来てしまった。 「今すぐから少なくとも3月末までの休養が必要」 それがドクターと私たち家族の選択だった。 本年度5人目のメンタル病休。しかも同じ学年の女性教諭3人。それほど彼女らの言葉の殺傷能力は壮絶だった。 1月、私はうつ病になって初めての精神病院入院となった。春からの拒食症が激し過ぎた。2月には退院したが(笑) 3人の内、私が最も早く4月に復帰できたのは、ひとえに私には信頼できるドクターと十分にうつ病を理解してくれる家族の存在があったからだ。 4月復帰。でもあの学年からは離れる必要があった。命の危険が大きいからだ。 そして新しい生徒とチームワークばっちりの素晴らしい学年部に恵まれた。 しかし、校内人事の関係で例の学年を私が2クラス受け持たなければならなかった。 学年長は全クラス名簿を見せてくれて、 「ちゃむさんが行きやすいクラスを選んで」 と言ってくれた。 自分で選んだ2クラスの授業だけしか私は関わらないようにした。 例えトイレ前に10人座っていようが、私は自分のクラスの授業だけしか関わらなかった。そして、決して彼女たちに指導しなかった。 〜お互いに無視する、指導しない、干渉しない〜 彼女たちと暗黙の間にできた私ルールだった。 そのおかげで無事に1年間を過ごすことができた。病休も取らずに済んだ。 でも、次に最高学年となる彼女らとあと1年間を過ごすには、 私の状態はまだまだ整っていなかった。 かなりの無理をお願いしての2年での異動。それは緊急避難に近かった。 「かなりよくなったよ」 という風の噂は聞いていた。でも、彼女ら彼らを信じ切れなかった。 2年になって1週間で男性教師も1人倒したヤツラだったから(−−; もう1人の男性が倒れる寸前に私が気づき、私のドクターを半ば無理矢理紹介した。 校長と学年長にも進言した。彼、今ヤバイです。彼のための学年編成をしてやらないと、また犠牲者が出ます。これがあの学校での最後のお節介だった。
あの学年が「素晴らしい卒業式!?」Σ( ̄∇ ̄lll!? 「僕も見ていて涙が出たよ。来賓もみんな泣いてたよ」Σ(゚Д゚;≡;゚д゚) ダーが帰宅して卒業式次第を見せてくれた。 名簿を見ながら、1人1人の顔が浮かんだ。1年の時、●組だった子、○組だった子……2年の時は……ほとんど全員思い出せた。 ああ、こんな風にクラス編成したのか、○○先生たち頑張ってたもんね。 Tの対策にはあの人が立ったのか……。 そして微笑みうつ病だった彼にこんないいクラス作って支えたんだ……。 ゜(PД`q)゜。 ゜(PД`q)゜。 ゜(PД`q)゜。 ダーから卒業式の様子を聞きながら、夫婦2人で泣いた(ノД`)(┰_┰)ウルウル 「答辞が○○と◎◎……」��( ̄□ ̄;)!? ダ「僕も感動して、ほら、思い出し涙が止まらないよ。帰り際、校長先生としっかり握手して『感動しました! 校長先生、教育って本当に素晴らしいですね!』って言ってきたよ。ちゃむちゃん、教育って本当に無限の可能性を秘めている素晴らしい仕事だよ!」 と、私とも熱い握手。まるで選挙の候補者のような力のこもった両手握手にまた泣いた(ノД`) 「あいつら、がんばったよ。1年で変わったよ」電話したら携帯で教頭先生やU先生たちが教えてくれた。 「先生たちに苦労かけた分、しっかり答えて行ったよ」゜(PД`q)゜。 本当におめでとうございます。本当にありがとうございました。
見られなかった卒業式が、 教師人生で忘れられない4つめの卒業式になった。
|