ダメダメちゃむ日記
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2006年06月02日(金) 責任

ものを言うということは、言った言葉に責任を持つということだと思い知ったこの1週間。
後悔はしていない。
あの時、あの場所だから、言うべきだと思った。
知ってしまった以上、多くの人に知ってもらうために何かをするのが自分の責任だと、長いこと私は1人で悶々としてきた。
絶好の機会だと思った。だから、衝動的に発言した。悔いはない。
しかし、今度は言葉を発した責任が発生した。これは予期していなかった(;^_^A <阿呆?(笑)
でも、それが当然だ。言葉を発した者は発した責任を負うべきなのだ。今、まさにそれを私が子ども達に指導しているのだから。

時は先週。支部女性部定期大会。
最後の最後に、私は挙手して発言を求めた。
公の場で、こんなに多くの人を前に発言するのは久し振りだった。
十数年前の教組教研全国大会で発表して以来じゃないかと思う。
多くの仲間のおかげで、教組教研の県代表という身に余る光栄と
素晴らしい研究の機会を与えていただいて以来、
私は何度かその時々の分会(職場)で実践のために動議を出し、
その度に多くの人の反対に遭い、否決され、すっかり臆病者になり下がっていた。
「もう『私』が傷つきたくない」
該当研究会内だけで、偉そうに発言するだけの卑怯者になっていた。
でも、「もう個人研究では何もかも無理だ!」ということも同時にわかった。
多くの人に、特に教育に携わる「先生」に、絶対に知ってもらいたいことがあった。
特に女性という立場で「両性の自立と平等の教育」を進めようと文言を掲げ、その内の「性の教育」を進めようと謳っている提案を承認しようとしているのなら、知る必要がある。否、知らなければならないことがあるんだ!
 そして、私は先んじて知っている以上、知らせなければならないんだ! そんな責任を負った思い込みで、悩みながらではあったが、発言した。

世の中にはセクシャル・マイノリティ(性的少数者)が確かに存在する。
私たち組合員は男女混合名簿を進め、両性を平等に扱うよう配慮してきた(はず)。
しかし、性の教育においては、私の知る限り、教員は授業の中で
「男は○○、女は○○」
ときっぱりと性を2分割してきた。
小学校低学年で、男女の体の違い。
小学校4年生の保健、高学年から中学校にかけて、第2次性徴。
中学校で思春期の心、健全な異性観(!?)、妊娠、出産、性感染症(多くはエイズ教育に触れてお茶を濁す)や避妊(ただ今マスコミによるバッシング大流行中)等々が教育課程に載っている学校は多い。(実施されているかどうかは不問)
しかし、本当にそれでよかったのだろうか?
世の中にはGID(性同一性障害)が存在し、
同性愛者が存在し、
IS(インターセクシャル)が存在し、
それは自分たちの学校にもいる可能性があるということを、
私たち教員は無知にして知らず、考えもしなかったのではないだろうか?
本当に児童生徒の全てが教科書通りの「女」「男」の第2次性徴を迎え、教科書通りの「女」「男」の思春期の心を持っていたのか?
確率的に考えて、絶対に「否!」である。
「みんなそうだから、心配はない。それは普通のこと。みんなそうなんだ」
と教師から言い聞かされたセクシャル・マイノリティの児童生徒はどんな気持ちであったことか!?ヾ(T-Tヾ)三(ノT-T)ノ
それらは「病気」でも「障害」でもなく「個性」だったのに、
自らの個性を学校という当時の「社会」の中で、
正しいことを教える指針たるべき「教師」から断言され、
ある人は指導というなの自己否定を受け、
あるいは差別され迫害されてきたのではないだろうか?
今、私が「性の教育」を進める上で、最も憂慮すべきは、
セクシャル・マイノリティという個性を、立場を持った児童生徒達への人権的配慮、
大多数の人とは違う個性をもった子ども達へのセルフ・エスティーム(自己肯定感)を高める配慮が必要ではないのか!?
ということだ。
是非、知って欲しい。これまで傷つけてきた子どもたちの分も。
将来子どもたちが出会うかもしれないセクシャル・マイノリティの方々の分まで。
性はグラデーションなのだ。
「みんな違ってみんないい」と教師自身がいつも言っているではないか。
むしろ、みんな違うからこそ、人間は素晴らしいのではないか?
スローガンに「だれしもが一人の人間として尊重され生きていける社会をめざし」と謳っており、承認されたが以上、私たち教員は知らなければならないのではないか。
六花チヨさんの「IS」を薦め、庄司陽子さんの「GID」を薦めた。

完全に個人的にそこに集うみなさんへのお願いとして、
大会の中では話題にも出なかったことを勝手にしゃべった。
執行部は、私の発言と同様の提起が教組上部でも検討されていたことと、感謝の言葉を述べて下さった。

大会終了後、誰とも話をせず、即行帰宅した。
月曜に職場で「ちゃむ先生が発言してびっくりした」と声を掛けて下さったのは分会の女性部長さんだけ。あとは、まるで示し合わせたかのようにそのことには触れなかった。
多忙だからだ。わかっている。
そして、知る必然性を知らないからだ。

昨日は市の中学教育研修会があって、「性教育」分科会で私は語るはずだった。
同性愛者支援サイト「すこたん企画」と、
ブログ「インターセクシャルの叫び」からの抜粋を資料として用意し、
私の所有するセクシャル・マイノリティの方々の書物を持参していた。
ところが、今年私は部長。司会進行をしなければならなかった。
更に、助言者は昨年までのようなとりあえず担当になった門外漢の校長ではなく、
私が頭が上がらないその道の達人(?)体育科の新女性校長K子先生が配置されていたのだく(""0"")>!?
しかも、何故か「性教育」分科会だけ指導主事が2人もいるではないか!?総会資料で初めてそのことを知った私は完全に舞い上がってうろたえた。
まさかこれが噂のジェンダー・バッシング配置!? ヘ( ̄□ ̄;)ノ ヽ(; ̄□ ̄)ヘ
私が参加者に知らせようとしていることなんて、完全に教育指導要領外のことなのに!?
資料は前ではなく、教室の後ろにコソーリ並べた。私は怖かった( ̄_ ̄lll)
年間計画を立てるだけで精一杯(−−; しかも完全に時間オーバー。
8月の研修で何を勉強するのかは私の手にゆだねられた。
ところが、最後に助言をお願いした(私が勝手に怯えていた)指導主事の言葉が素晴らしかった!Σ( ̄∇ ̄lll!?
「性とは心と体と書きます。皆さんには、是非心を育てるための性教育を進めていただきたいと思っています。県教委(だったか?)の調査によると、
『生きている実感がない』という生徒が26%、そして偶然にも?、『死にたい』と思っている生徒もまさに26%なのです。生きている実感を……ための性教育を是非お願いします」
K子校長「(会の中で「今年性教育を実施する。自分が担当なので、授業実践のために何が必要なのかを勉強したくてこの分科会を選んだ」とおっしゃった、かなり荒れた)○○学校では、是非性教育を実施して欲しいと思います。そのために有益な研究であるように……」
監視じゃなかった!! 本当に助言者だったんだ! 嬉しかった。勝手に疑心暗鬼に陥っていた自分が無様だった。

そして、女性部執行部から職場に電話が掛かった。
先週の大会での発言を、女性部報に寄稿してもらえないかという。��( ̄□ ̄;)!?
自己嫌悪に陥るのと、長くなり過ぎるのが不安で(−−;<見えるようだわ
記録からおおまかのことをまとめて掲載して欲しいとお願いした。
その方は大会後すぐに「IS」を購入して読んだとのこと。素晴らしい! 私が乱暴に投げ込んだ小石がもう波紋が広げている!?
できれば「IS」を図書館や学級文庫に置いて欲しいというのが私の野望の一つでもある。
それから、夏の自主研修サークル集会への参加呼び掛けもお願いした。
記事には……私の実名を入れるとのこと(T∇T)<発言者責任です

それにしても、共に学ぶ仲間が欲しいな〜。


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