★悠悠自適な日記☆
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2006年01月10日(火) 役割としてのお母さん

 最近気が付けば、小言ばかり言っている時があって、そんな自分にイライラします。その小言の内容が、私が昔母に言われてきたことと全く同じだったりして、更にいらいらしてしまうのです。

 私はお母さんじゃありません。
(ここで言う母は、私を産んだ母ではなく、役割としての母親だということです。)

 母親になる決意をするのは、本当に母親になったときでいいと思っています。

 私(自我)=一人称
 あなた=二人称
 あなたから見た私(女)=『あなた』=二人称
 こどもから見た私=『お母さん』=三人称

 日本では、子供を産むと親は自分のことを『私』ではなく『お父さん』『お母さん』と言うようなるように、子供を産むと一人称を捨て、二人称も捨て、子供を中心に見た三人称で自分を呼ぶようになります。英語では子供を産んでも自分のことをMother〜とは言いません。このことから、日本は子供を産むとまず自我を捨て、女であることを捨て、母親という役割を背負うことになる訳です。

 まあそんな風習がどうのこうのと言うお話ではなく、要するに、私は母ではないので、自我も女も捨てんでいいという話です。まだ親の扶養下にあるのに、お母さんの真似事をしなくてもいいじゃないかというお話です。

 私にとっての母親は、お母さんでした。自分の自我を捨て、女としての自分も諦め、それで私と弟を育てました。(自我と女であることを捨てたことに後悔して、今好き勝手やってますが、まあいいでしょう。)

 今思えば、私に小言を並べ立てるのはさぞかししんどかったでしょう。でもそれは母親という役割を背負った結果です。子供を育てるにあたって避けて通れない道でもあるのでしょう。(特に私は曲者だったしね!)

 で、話を戻してくるのですが、私はまだ三人称を背負わなくていい代わりに一人称と二人称を持っていてもいいはずなのです。それなのに私は今、誰かに小言を並べ立てて、無理に三人称までをも背負おうとしていて、そのくせいっちょまえに一人称と二人称を持っていることを主張してあがいているのです。

 面倒見のよいお母さんみたいな子がたまにいるけど、私はまだまだ自分で精一杯です。

 三人称なんてまだ背負わなくてよろしい。だからみんな、子供じゃないんだから自分のことは自分で何とかしてください。できないときは誰かに誠意を持お願いしてみましょう。靴が欲しけりゃどこの店のどの靴の何サイズで、いつまでに必要なのか事前に伝えましょう。お母さんじゃないから言わなくてもわかるなんてことはありえませんよ。

 と、世の中の甘ちゃんに私は言いたいです。

 


嶋子 |MAILHomePage

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