★悠悠自適な日記☆
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某D大学とK大学のAO入試、両方不合格でした。特にD大学は面接でも手ごたえを感じていたので、本当に悔しくて、ショックでした。昨日まで大学でやりたいと思っていたことや目標が全てぶっ飛んで、何をしていいのか、何がやりたいのかがわからなくなりました。たまたま一緒にK大のAO入試を受けていた友達(高校も、受けた学部も違うんだけど)は受かっていました。これからはバイトの日々だそうです。
その友達はあまり勉強が得意ではなくて、3年前、自分の本当に行きたかった高校には不合格でした。しかしその友達が、今は私より遥かに上の位置にいます。その子は決して高校でがむしゃらに勉強したとはお世辞でも言えないのですが、しかし、自分のやってきたこと(ちなみにその子は放送部で部長等をして大会などに出場したそうです。)をふんだんに利用して未来を掴み取りました。高校が思うように行かなかった分、むしろそのおかげで自分の未来を切り開きました。とても素晴らしいことで、私も嬉しく思います。
しかし、私は落ちました。私も自分がやってきたことに対して後悔はしていないし、その友達より劣っていると思ったこともありません。自分のやってきたことは誇れると思います。しかし、落ちてしまいました。それがどういうことを意味するのかは考えても仕方の無い事ではあるのですが、悔しいのです。友達が合格した事は本当に嬉しいけれど、自分が落ちた事は、死ぬほど悔しいのです。
昔から私は密かに抱えている闇があります。それは『自分は死ぬ物狂いができないのではないか?』という闇です。
私は中学の時、どうしても行きたいと思っていた高校がありました。しかし、結局成績が伸びず、ひとつランクを下げた高校を受験することになりました。ところが、仲が良くて、成績も同じくらいだった友達のMちゃんは異常な努力をして余裕でその高校に進学してしまいました。
「コツコツやるのは当たり前。本気の時に死ぬ物狂いができないのは努力じゃないんだ…。」
Mちゃんはそんなことを言っていました。そして、それから私はMちゃんとはあまり言葉を交わせなくなりました。もう3年くらい顔を見ていません。
今でも何かできないことがある度にMちゃんの言葉が頭をよぎり、自己嫌悪に陥ってきました。自分は肝心な時に努力ができないのかもしれない。いつも死ぬ物狂いなのにそれは違うのかもしれない…。その不安がいつも自分の中にあって、拭い去ることができないのです。今回のAO入試でも、自分では思い残す事が何も浮かんでこないのに、それでも不安が消えないのです。
長いこと書き連ねましたが、何を言いたいのかというと、落ちた今こそ、「死ぬ物狂いが出来ないんじゃないかと悩む自分」から脱出しなければならない…と。そのためには、やはりもっと死ぬ物狂いで未来を切り開いて自信をつけていかなければならないということなのだと思います。
今回落ちたK大学、今のところE判定。AO入試に半年も費やしてしまい、周りとは比べ物にならない程遅れをとっています。入試まであと2ヶ月。今度こそ死ぬ物狂いをして最後に笑いたいのです。私は逃げない。
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