★悠悠自適な日記☆
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2002年10月17日(木) たとえばもし…

 たとえばもし、今突然大きなカンバスと絵の具を手渡されたならば、私はカタチを持たないモノを一心不乱にカラダを使って作り出すだろう。筆はいらない。

 たとえばもし、誰もいない空間に私とピアノ1台あったならば、私は一心不乱に鍵盤を叩き、旋律にならない音を奏でるだろう。楽譜はいらない。
 
 たとえばもし、目の前に突然キャンプファイヤーのような炎が現れたなら、私はその炎の中に飛び込んでいき、雄叫びをあげながら踊り狂うだろう。振り付けはいらない。

 たとえばもし、誰もいない舞台の上に一人立たされされたならば、私は震えるような声で、叫びをあげるだろう。言葉はいらない。

 ろうそくに灯された炎のような欲が私の中に静かにゆらめいているのがわかります。自分が普段の生活において出し切れていない感情(それは不満だけでなく、感動でもある)が蓄積されて燃えているものです。私という人間は、自分の感情のまわりには自分の立場、相手の立場、社会的立場、そのまわりをぐるぅっと偽善…という制約がまとわりついて形成されています。それはこの世の中では当たり前のことで、そういう制約事がないと生きていけないシステムになっています。私はその世界で生きることを拒否したりはしないし、そうやって制約の中で生きている自分に「これは本当の自分じゃない」と青い鳥めいた言い訳をしたりするつもりもありません。それなりに毎日を楽しんで生きる方法も知っている気がします。

 ただ、こういった生活の中で少しずつ満たされなかった感情が蓄積されていくと、燃えすぎた炎はろうそく一本だけでは支えられなくなってしまいそうです。間違った場所に燃え移らないように、また、その熱が消えてしまわないように、その熱を発散させる機会が欲しいと思います。

 私はそれを「創作」にまわします。

 何かをつくることに熱を伝えることで、自分というバランスを保っている気がします。魂が浄化される感覚です。

 今はそんな機会が遮断された生活を送っています。そろそろどこかに燃え移りそうです。その熱を勉強に伝えられたらいいんだけど、勉強ではなかなか自分の感情が表れないので嫌いです。せめて成績に表れたらまだ何とかなりそうなのに…。

 


嶋子 |MAILHomePage

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