Leonna's Anahori Journal
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| 2003年04月12日(土) |
コロンバインに捏造疑惑 |
先日このHPの掲示板に、映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』に関しては、こういう見方もあるよということで、サンフランシスコ在住の邦人女性の日記サイトにリンクが張られていた。
行ってみた人はわかると思うのだが、日記にはあの映画にはいくつか事実と違う部分があると指摘されている。 直接日記作者の方に承諾を得たので、ここに改めて日記の当該ページへリンクを張っておく。
もしこの日記に書かれていることが正しいとすると(こういう書き方をするのは、私では根拠とされている英文をパッと読んで即判断をくだすことが出来ないからだが)とても残念なことだ。そして残念な理由はふたつ。
ひとつは、ドキュメンタリー映画がどういうものかという定義うんぬんではなく、ああいう手法であのような重たいテーマを扱った映画の場合、指摘されたような間違い(事実の曲げ方)は捏造と言われても仕方のないことだから。 特にチャールトン・ヘストン(NRA会長)のスピーチを切り貼りして作り替えてしまったというのと、コロンバイン高校近くの工場がDirecTVサテライト用のロケット製造を行っているにもかかわらず“大量破壊兵器”を作っているかのようにみせている事。これは酷いなぁ。どうしても事実を曲げなければ出来なかったというわけではないだろうに…
もうひとつは、それでもこの映画は重要なテーマを扱った優れた映画で、とても影響力があると思うから。 特に私は、映画中のマリリン・マンソンとマット・ストーン(『サウスパーク』原作者)の発言が素晴らしいと思った。十代の若者にとってああいう言葉を発する大人の存在というのは非常に貴重かつ重要だと思う。それだけに細部をごまかしたりなんかしないでほしかった。
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恐らくマイケル・ムーアは、恐怖が人を過剰に攻撃的にさせる、他人が信用できない臆病者が銃を頼るのだという“真理”を発見したとき、躍り上がって喜んだのではないかと思う。それはマット・ストーンに作らせたアメリカの歴史のアニメーションをみればわかる。なにもかもを“他者への恐れ→過剰な暴力、先制攻撃”に収斂して見せた、短くて分かりやすく、インパクトの大きいあのアニメーションをみれば。
たしかにドキュメンタリーにもテーマを掘り下げるための様々な型や手法があることはわかる。 しかし、こと銃社会を告発する映画において、指摘されたような捏造や間違いはゆるされるべきではないだろう。特にこの時期、米英のイラク攻撃を機にTVでオンエアされたいくつかの優れたドキュメンタリー(米・イ両国のこれまでの歴史を丁寧に検証したもの等々)に触れたあとでは余計にそう思う。
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