Leonna's Anahori Journal
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久しぶりに母の墓参りに出かけた。
天気はいいし、あたたかいし、平日だから人はいないし。 こういうときのこの墓地は、ほんと最高なんだ。 着いてから、サンドウィッチかおむすびを買ってくればよかったと、かなり後悔した。雑木林のそばのあずまや屋で食べたら、気持ちよかったのにな。 「死んでしまった人間といふものは大したものだ。何故、ああはっきりと、しっかりとして来るんだらう。まさに人間の形をしているよ」 …こう書いたのは小林秀雄だ(『無常といふ事』)。 この墓地に来るたびに、この言葉そのまんまの気持ちになる。そうして余分なもののないすっきりした気持ちになる。
帰り際、CDアルバムと、缶ビールが四、五本供えてあるお墓が目に付いた。どんなひとのお墓だろうと思ってそばへ寄ってみたら、43才で亡くなった男の人のお墓で、CDは浜田省吾のだった。 私のような人間でも、今死んだら“それなりにすっきり”するのだろうか。温かい日射しを浴びながらそんなことを考えていると死というものがまるで優しさそのもののように思われてきて、世の中の暴力(戦争など)のとばっちりで死ぬのが怖くてなかなか寝付けなかったここ数日の恐怖心が嘘のようにスッと遠のいた。

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