2004年08月07日(土) 失われていく楽園

一年前になくなった親父の兄貴の一周忌に出るため実家に帰る。

そこでおいらを待っていたのは、疲弊しきっている実家の面々だった。
話を聞いてみると、ばーちゃんの痴呆が進み、罵詈雑言を家族に浴びせかけるらしい。
流せばいい、という人もいるだろうが、それを常に浴び続けている人間は、それだけで体力が消耗していく。
まともに受け止めることはできないから回避するのだが、その言葉がそばを通り過ぎるだけで、そのそばに居る人間は疲弊していくのだ。

そして、理解のない親戚連中も、それを助長させる。

ばーちゃんから出る家族批判の言葉をまともに受け取り、また、他人でありながら我慢をする親父からポロリと出る愚痴が、母親の姉妹たちの感情を逆なでするらしく、親父には直接言わないが、姉貴や母親に愚痴る。そんなひどいことを言う人なのか、と。
その言葉がまた家族を疲弊させ、悪循環に引きずり込む。

バーちゃんとかかわると大変だから実家に寄り付かぬ姉妹がその言葉を吐くことは許されない。
世話をしていない人間が、たまに善人面してきて、世話をする家族を批判することは、絶対に、絶対にやってはいけないことだ。
それがわからない人間は、介護をしている実家に寄り付くべきではない。
来ることそのものが家族を疲弊させ、介護されるものを間接的に疲弊させるのだ。

今、家の形、家族構成はそのままに、かつての楽園は姿を消そうとしている。

昨晩寝る前に、ボケーッとテレビを見ながらうとうとする。これを久しぶりにやった。
これだけは実家の特権だ。
しかし、その実家が消失する日も近そうだ。

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誰かのHPに書いてあった。
かつて、日本は寿命を全うすることができず、長寿は幸福である、としていた。
今はその寿命が延び、100歳まで生きることも可能になってきている。
長寿になっているのだ。
だが、手放しでは喜べない。核家族化が進み、95くらいの両親を70前後の人間が介護しているのだ。そして、70前後の人間の子供や孫は別のところで暮らしている。
この違和感を痛切に感じたことがあるだろうか。
長寿そのものは否定しない。
しかし、長寿がもたらす問題点を全く省みることをせず、ただ長寿を奨励し、それだけに終始する日本の企業も、政府も大いに反省をすべきだ。
長寿を奨励するなら、それ相応の雇用形態も存在するだろうし、自腹ばかりを肥やしていることをせず、それなりの処置も必要になってくる。
介護はビジネスになる。しかし、金だけではないなにか方策を考えねばならない。
景気は回復傾向にあるというが、所詮はリストラをした結果、人件費が浮いただけの話なのだ。
収入はこれからもうなぎのぼりになることはない。そのとき、介護ビジネスを利用できる人間がどれほど居るだろうか。

その一方で、政府や企業の処置も、無造作に垂れ流すことはできない。
そうなると、どこかで線引きが必要になってくるわけだが、その線引きの境界の人間は、やはり苦しむことになる。

制度とも長寿とも違う、ルールを決める以上根本的に拭い去ることのできない問題点は依然として存在する。

すべては、金があれば解決するんだけどな……。今挙げた問題についてはさ。

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人間は欲があるからここまで進歩してきた。
その一方で欲があるからこそ、永遠に消えぬ問いがある。差別であり、貧富であり、ストレス。
この二律背反を解決しようとし、人間は常に苦労してきた。
楽になるために技術を開発し、いい暮らしをするためにそれを商業レベルに乗せ、財産をなす。
人よりいい暮らしをすることで優越感に浸りたい。
それは、古代から続き未来にまでずっと続く。

一番の人間にとっての幸せは、人の苦労を感じず、生きていくことなのかもしれない。


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彩葉 [MAIL]

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