おいらにとって、伊豆は特別の地。 前のなんにゅうでも書いたかもしれないけども、東京にいたときよりも、群馬に越してきてからよりも、ずっと長くいた地。 一年に三泊しかしなかったけど、その三泊のために、一年間待っていたきらいすらある。 虫が取れる。海がある。山がある。川がある。 そして、小さいころからの思い出がある。
今、思い出の旅館はない。 虫がいっぱい取れた山も、今はペンションが立ち並び、面影はないだろう。
しかし、おいらにとって、伊豆は親との思い出であり、幼少期の思い出であり、少年の思い出であり、青年の思い出である。 今、おいらは、自分が生長した証として伊豆に行きたがっている。
父親の財力を以って、父親の運転を以って、父親の知識を以って伊豆を回った。 今、おいらはすべてにおいて自分の力で伊豆を回ろうとしている。 父親に対するライバル意識ではないと思う。 うっすらと思うことだが、父親が死んだとしても、父親を偲ぶために実家に行くことはあるまい。 父親を偲ぶのも伊豆だという感じがしている。
独身のとき、ゆずの車で、伊豆に行った。 自分の運転でそこにたどり着いた。 しかし、自分の財力ではなかった。 今回、完全に自分の力で伊豆に行くことになる。 そこで何かを見つけられそうな気がする。 閉塞感漂う今の生活に、何か転機か、打開策か、何かを授けてくれる気がする。
何かを探しに行く旅。 そんな予感がする。
|