2003年ももうちょいでおわりです。 今年は、厄年でもないのに、いろいろと大変な年だった。
子供を作るという話が出たとき、今のガス馬車御者のままでは難しい、と言うことで苦渋の選択ながら、ガス馬車御者を引退。 ガス馬車御者は、本当はずっとやっていたかったのが正直なところ。 でも、仕方ない。
ということで、気化蝋売りの少年へと転職。 しかし、この会社はおいらにあわず引退。 またSEに戻るか、と思っていた矢先だった。 今のガス馬車御者の社長のせがれに声をかけられ、元いた会社の事務として戻る。 当然というか、理由をきちっと言ってなかったからか、あらぬ誤解でとにかく嫌がらせを受ける。 選択は三つだった。 逃げるか。 表立って反撃して辞めるか。 我慢するか。
簡単なのは、逃げる。 退職届を放り出して、さっさと逃げ出してしまえばよかった。 そうすれば、ほんのちょっとの後悔を残して楽になれた。 でも、おいらはほんのちょっとの後悔もしたくなかった。 その時点で、逃げるという選択肢はなかった。
表立って反撃する。 これは、ストレス発散としては一番いい方法かもしれない。 手当たり次第にむかつく奴をぶん殴って、さっさとくびになれば、これも楽だったかもしれない。 でも、そうすると、ゆずのために群馬にきた意味がなくなってしまう。 群馬は思ったより閉鎖的な都市だ。 となり近所に噂が伝わるのは早い。 その結果、間違いなくいづらくなる。 それに、おいらの住む街のすぐ隣の町には、嫌な思い出しかなくなってしまう。 通ることすら嫌だと思ってしまうだろう。 実際、当時は二年間の蓄積と、嫌な職場とが交差し、嫌だった。
一番、表立って困難だが、自分にとって一番正直な生き方。 それが、我慢する、だった。 やくざ上がりの人は言ってくれた。時間が解決する、と。
けれど、おいらは時間が解決するまで待つ気はなかった。 嫌な言い方になるけど、力の差を見せ付け、相手に認めさせるしかなかった。 もっと言ってしまえば、こいつは、敵対していじめ抜くより、利用するほうが得だ、と思わせる必要があった。力の差を見せ付けた上で、それを鼻にかけずにさらっとやって見せる必要があった。こいつには勝てない、と思わせる必要があった。 そのため、慶応の彼がほぼ一日かけていた事務を、自分なりに手順を変え、作業の必要不必要を見極め、半日で終えて見せた。 はげの要望を100パーセント以上にして返して見せた。 観察して、ガス馬車の特徴を見きわめ、おいらが事務として入りなおしたあとに入ってきた人を引っ張って見せた。 本社のぶっ壊れたマシンを直して見せ、本社の事務から信頼を勝ち取って見せた。 給与計算ソフトの救出をして見せ、自分の必要性を売り込んで見せた。 さくさくとごみ捨てから金計算から全てやった。 一般作業におちがあってはまずかった。そのため、作業には正確を喫した。
ほんとに必死だった。 原稿書いている余裕もなく、その一方で、ゆずとの約束どおりに定時近くに帰ってくるというのを守り続けた。 精神的にずたずただった。 その一方で、大きく成長したのは事実。
Winpcのスキルアップ。 電卓を叩く速度が上がる。 営業として、最前線で自分を売り込み、顔と名前を覚えてもらった。 帳簿のつけ方を覚えた。 事務の自分なりの味付けができた。
そして、いろいろな発見があった。 世の中には、ほんとーーーーーーーーに使えない人がいる(−−; 使えるんだけど、癖がありすぎる人のコントロールの仕方。 簡単に言えば、人の掌握術という名の技術。 感謝の心。
結果的に言えば、今の会社にいてよかったんだと思う。 そんなことを思いながら蕎麦食べて、紅白見てます。 たまーにミルコみたりして(爆)
でも、目的はそこにない。 大観覧者への道としては一角をになっているかもしれないけど、やはり、作家にならないと。
一月四日までお休み。来年も心機一転がんばります。 (なんにゅうは続く(爆))
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