最近、子供による子供に対する犯罪が、増えてきている。 今回の長崎の事件についてもそう。
そういう事件を見ると、必ず出てくるのが、親と教育について。 けど、おいらは、この事件に関しては、まったく違う見方をしている。 結論から言っちゃうと、確かに親の教育が足りなかったのかな、という風にはなる。でも、それ以上にこの事件は根が深いのではないか、と……。
今回の事件のキーワードは、『好奇心』。
そんな気がする。 好奇心と無知とが引き起こした事件。
幼児をビルから突き落としたという12歳の残虐性。 『命の大切さを教えられなかった』『親の教育が悪い』。 つまり、親さえよければ、この事件はおきなかった……。 そう結論付けている人が多い気がする。
でも、この残虐性。 これは、男なら、いや、人間なら誰しもがもっているものだとおいらは思っている。
・カマキリを喧嘩させて共食いさせてみた ・ありの巣があったので、ありを片っ端から踏み潰してみた ・アリジゴクの巣に、ありを投げ込んでみた。 ・生きた蝶をくもの巣に引っ掛けてみた
多分、どれか一つはやってみたはず。 もう少し昔だと、カエルのお尻にストローを刺して空気を吹き込んでみたり(風船のように破裂します)。 パチンコで鳥を射落としてみたり。
これらは、罪の意識を持って行われることはない。 どちらかというと、好奇心。 カマキリを共食いさせてみたらどうなるか。アリジゴクにありを投げ入れたらどうなるか。生きた蝶を……。 通常は、図鑑やら、テレビやらでそれを見て、どうなるかを知ることになる。 けれど、テレビではよくわからない。 やってみよう、となる。
多分、親からある程度の話しを聞いたり見たりしていれば、好奇心の結果を見て、「こういうことをすると、こういう風になってしまうんだ」ということを身をもって体感し、以後自粛しようとする。多分、生まれて初めての後悔じゃないかと思う。 ところが、何らかの原因で、見たり聞いたりした経験が極端に乏しかったりすると、その好奇心の結果を見ても、何も感じない。むしろ、面白く感じてしまうのではないか。 そして、それが継続的に行われるようになる。
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昔はこういう事件が少なかったのだという。 単に、親の教育が悪いという可能性もある。 けれど、おいらは、社会そのものに、親の教育の教材となるべき現象がなくなってきているがゆえ、子供に教育しづらくなっているのではないか、と思う。
たとえば、昔は、農家が多かった。 農家がどうやって食べ物を調達するか、といえば、自給自足だ。 しかし、自給自足は何も食べ物ばかりではない。 当然、動物性蛋白もとらねばならぬ。となれば、自分のうちで飼っている牛や豚、鶏から摂取する必要が出てくる。 つまり、親が子の目の前で牛や豚、鶏を殺すのだ。 逆に、親はあえて子供の手でその作業をやらせることで、人間は常に他者を食らわずには生きていけず、また、常に殺し続ける存在である、ということを子供に学ばせる。しかし、それは快楽や自己の利益のみで行われてはならず、また、やむを得ず行われる場合でも、死に行く動物に対して感謝しなければならない、ということも同時に教える。 アイヌの熊祭り(だったかな)はまさにそれ。 村はずれの屠殺場で、恐らく同じことが繰り返されただろう。 そうやって、人間は命の大切さを後世に伝えてきた。
しかし、今の時代になって、大量に消費をするため、食材が大量に生産されるようになった。 この、大量に生産、ということだが、これは、大量に殺戮が行われている事を意味する。 つまり、豚肉が体力に作られ、牛肉が大量に作られるということは、その分豚や牛が殺されている、ということだ。 しかし、今の現状では、生き物が実際に殺され、目の前で食材用の肉に変わっていくところを見ることはできない(この話って捕鯨にもつながるんだと思うんだよなあ……) それが、人間の食=殺す という構図の上に成り立っていることの認識をなくさせている一つの原因だと思う。
七、八年ほど前だろうか。教育で育てて成長させた子豚を、最後に給食のおかずにして食べよう、という授業をしようとした先生がいた。そのときには、親の猛反対で実行に移せなかったが、おいらは、その親の対応をいかがなものか、と思った。 それは、欧米諸国の捕鯨禁止の理由として、鼻白んできいていた「鯨は知能が高いのに殺すのはかわいそうだ」という低俗な意見とまったく大差がないからだ。 その先生は、上記の「人が生きていくためには、他者の犠牲がなければならない」という本質を教えようとした。しかし、それが愚かな親(愚か、というより、親ですらそういう教育を受けたことがないから、仕方ないといえば仕方ない)はその教育を阻止した。つまり、子供がそれを学べる機会を奪ってしまった。
時代が変わり、子供が実際に親が命を扱う場面を見る機会が減ってしまった。 これこそが、今回の事件の大元の理由ではないか、と思えて仕方ない。
恐らく、似たような、はたから見れば『常軌を逸した』といえるような事件は、まだまだ起きるだろう。 子供は、好奇心を満たすと、一体どうなるのか、という教訓をまったく得る手段を持っていないから。
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