本日も、気化蝋売りとして、お客さんの家を訪問。 と、数メートル先に何か大きなものが落ちた。 洗濯物とか、そういうのではなかった。 生きている存在独特の重い物体の物音。 塀から猫が降りたかな?と思ったが、猫にしてはやかましい。 一体、何があったのだろうか、と思い、植木の陰を覗き込む。 目が合いました。 瞳孔がない、くりっとした瞳。 しかし、白目(というより黄色い?)が目の圧倒的な量を占める。 つままれたら痛そうなくちばし。
とんびだ。
なんでまた? そうおもい、とんびの足元を見てみると、何かを掴んでいる。 すっと、とんびが飛び上がる瞬間、足に掴んでいるものをはっきりとみた。 ハトだ。 おそらく、上空でハトを捕らえたが、落としてしまったのか、はたまた、急襲した先がおいらの目の前だったか。 生まれてはじめてみた。 猛禽類の狩り……。 テレビでは見たことがあるが、生でみると迫力が違う。
かわいそうだとか、ナンセンスなことは言いません。 たまにいるよね。野生動物の番組をみて、チーターに食われるガゼルをみて、かわいそうだとかほざくやから。 ああやらなきゃ、チーターは生きていけないんだっつーの。 食卓に上る鳥や魚や豚や牛だって、元は生きてたんだ。 それを殺して食ってるってことを分かってるんだろうか。 ただ、殺す、という行為をしないで楽して食ってるだけなのだ。
殺す、という行為。
一見すると、物騒極まりない言葉だ。 しかし、その言葉の意味は深い。
使い古された言葉の中に 『人は、人を一人殺せば殺人者だが、百人殺せば英雄だ』 というのがある。 これは、同じ行為でも状況によっては、人の評価はどうとでもなるということなのだろうが、同時に、人が人を殺すことに、どれほどの重みと意味があるのかを示した言葉でもあるようにおいらは思う。 その一方で、自分の家族が、不慮の死を迎えたときの、人に与える影響は大きい。 ただ漠然と、人の命は軽いとかどうこういうつもりもない。 ただ、そういう事実が客観的にあるということなのだ。 それをどう考えるかは、人それぞれだと思うが、人間は殺さねば生きていけない生物だということだけは、肝に銘じておかねばいけないと思う。 直接殺していなくとも、木を一本切ることで、何百万、何千万の動物を殺していることを認識すべきなんだと思う。 しかし、それが悪いということではない。 生きていくのには仕方がないと思う。
おいらが思うに、 『最低限の殺生は仕方ない。しかし、快楽や道楽で殺すな』 が理想だとおもう。 今じゃ、ゆずに怒られそうだけど、死後は、アマゾンの川に浮かべて欲しいな、と本気で思ってたこともある。 今は、灰で飛行機で空中散布だね。伊豆と宮島に。 墓なんて、おいらはいらないや。 しいて言うなら、日本列島がおいらの墓標だ。
とかくと、かっこいいけど、実際は、ダメなんだろうな……(^^;
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