今日、山奥大學の友達三人と飲んだ。 驚きの告白があった。 三人のうちの一人、ついこの間結婚した奴が、ついに父親になるという。 驚きとともに、うれしさと寂しさを感じた。 うれしさは、やっぱり、人並みに、子供ができるといううれしさなのだろう。 寂しさは、やっぱり、年齢だろう。
年をとることは悪いことではないし、嫌なことでもない。 年をとることでえらくなると勘違いしている奴はいるが(^^;
おいらは、高校から大學、そして社会人を経験している。 けれど、山奥大學の三人組は、浪人生のときのままなのだ。 おいらの中では。
十代後半のおいら。 予備校で、点数や偏差値に一喜一憂し、ほとばしる性欲を押し殺し、勉強する。 たまに『椅子枝(いすえ)』なる仮想の彼女が出現し、みょうちくりんな動きに励む(ほんの数秒……ほぼSだったけど(^^;) 冬場を迎え、年を越すと必ずあるセンター試験。 これも、おいらにとってはなんともいえない苦い思い出が蘇ってくる。 一年間勉強して、結局成績が上がらずに大学を受け、落ちるという悪循環。 頭が悪いのではないか、と自分を卑下する日々。 両親の、大學にいけ、という狂おしいほどの期待感。 作家になりたいという思いが強すぎて、大學受験勉強すら、目的に到達する遠回りに感じた。 (まあ、実際は、大学に入ってからのほうがいろんな経験したから、結果的に良かったのだろうけど) 合格でも不合格でもよいから、とにかくこの苦しみから開放されたかった。 大学にいきたいという欲望はなかった。 ただ、世の中のことを知りたかった。 学問を知りたかった。大学受験のような丸暗記の詰め込み式には興味がなかった。大學の、高等教育と呼ばれる学問をやってみたかった。それは、丸暗記ではないという保証があったから。 流れを知りたい。理屈を知りたい。大學受験勉強は、おいらのその気持ちを無残に蹴散らし、偏差値低空飛行のバカのレッテルを貼った。 大学に入ってからは、偏差値の低さなど嘘のように好成績だった。 丸暗記ではない、説得の学問。納得の学問。 それが、おいらにあっていた様だ。 確かに、学問は丸暗記でもある。実際、大學の試験も丸暗記で何とかなる。しかし、それだけではないことを、おいらは証明した。自分自身に。そして、偏差値が上がらなかったことへの自己嫌悪を払拭できた。 作家にならないと、高校教師への復讐は完成しないけど。
彼ら二人と会うと、そのときの葛藤の日々と、吹っ切れた直後の自分を思い出す。 そして、改めて今の困難に立ち向かう力が湧いてくる。 自分を貫く力が湧いてくる。 不当な力に屈せず、自分の持つ答えを常に主張できる。 それがありがたかった。
山奥大學の悪がきの二人。そのうちの一人に子供ができたという。 おいらの中で、高校時代、浪人時代から止まっていた彼らも、本当は歩んでいた。進んでいた。 その事実を、結婚式でも、懐妊という事実でも思い知らされた。
おいら自身での彼らは、いつまでも高校時代のままだろう。 だが、時代は進んでいる。 卒業してから、十年という時間が過ぎた。 それを再確認させられた。
あっという間に三十代。そして、四十代。五十代。六十代。 時間は止まらずに流れていく。 いずれ、ばあちゃんも死に、両親も死に、おいらも死んでいく。 そこに留まりたいと思っても、「そこ」は留まっていない。 「そこ」も自分で歩み去る。 いつまでも「そこ」と一緒にいては、成長はない。 同じ「そこ」との離別なら、進んで離別しよう。 前向きに。
そんなことをちょっと考えた五時間(なげーよ……飲む時間)でした。
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