本日、あるお母さんを乗せた。 つい四ヶ月前に赤ちゃんを産んだものの、腸が生まれつき細く、バイパス手術をしなければいけなかったのだが、その手術の経過を病院に行って検診するためだ。
バイパス手術というのは、臓器のある部分が機能を果たさなくなっている場合、そこを経由しなくても臓器そのものが機能を果たすようにする手術。 動脈のバイパス手術であれば、動脈硬化が起こっている部分を避けるように別の管をつけて血の流れを良くしたりする手術だ。
この赤ちゃんは、腸が閉塞していたため、ミルクを飲んでも吐いてしまったので、両親がおかしいと思い、検査をしたところ、腸が閉塞していて、食べたものが体の奥に入っていかないのだそうだ。 そこで、腸の詰まっている部分をパスするような管をつけて、食物を迂回する手術をしたのだそうだ。
そのときに話が出たのが、赤ちゃんの話。 もちろん、五体満足で生まれてくれば、それに越したことはないが、そうとも限らない。 もちろん、そう確率も高いものではないのだろうが、そういう可能性がある以上、お腹の中に子を持つ親は、常に心配し続けるものなのだそうだ。 当たり前といえば当たり前だけど。 もちろん、五体に不具合のある人の人権を認めないというわけで書いているのではないので、あしからず。
しかし、どんな子供でも、親はかわいいのだそうだ。 言葉面ではわからないほどにかわいいのだそうだ。 親にしてみれば、顔がおぶすちゃんだろうが、頭が多少悪かろうが、とにかく生まれてきてくれたことに感謝、なのだそうだ。 ふーん、そういうものなのか。
以前、テレビ番組で「ちいさいころに、訳もなく親に捨てられたので、今度親に会ったら、絶対に殺す」といっている少年がいた。 気持ちはわからなくもない。 親の都合で勝手に捨てられ、苦しい思いをしてきたのだ。 憎むなというほうが無理がある。 だが、そこでゲストに出ていた大竹まことが、「おまえ、生んでもらったことで、いろんな楽しみを経験できるようになったんだぞ」といって、涙を流した。 例え、親に捨てられようが何しようが、一度たりともいいな、と思ったことはあるだろう。 その楽しみは、生んでもらわなければありはしないのだ。 それを心の片隅にとめておけ、といったのだ。 いいこというのう。
かつて、親と喧嘩したとき、親にむかって「生んでくれと頼んだ覚えはない」とはき捨てた記憶がある。 しかし、今冷静に考えてみると、非常にひどいことを言ってしまった気がする。 大いに反省するところだ。 まあ、親になってないから、さすがにまだ完全に理解しろ、というのは無理な話だが。
いつしかおいらにも理解できる日が来るのだろうか。
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