2002年08月03日(土) 子供の遊びの種類

本日、小さい子連れの母親を乗せた。

実は、この親子はかなり乗ってくれている。
今日はどこに行くのかと思ったら、映画館だった。
どうも、ウルトラマンの映画を見に行くらしい。
帰りも迎えに行く約束をし、一度帰る。
結局、その後一回も仕事なく(爆)また彼らを迎えに行った。

その帰り、やはり、ウルトラマンに感化されたのだろう。おもちゃ屋によって、おもちゃを買うことになった。
買ってきたのは、仮面ライダーの変身ベルト(←なぜ(^^;)
どうも、もともと欲しかったおもちゃがあったらしいのだが、それが売っていなかったがために、別のものを買ってきたらしかった。
ちなみに、買いたかったおもちゃも仮面ライダー製品らしい。
ウルトラマンじゃなかったのね(^^;

ここで、一つの疑問が。
戦隊物もそうなのだけど、そういうキャラクターグッズ系おもちゃって、二つに分けられると思うのね。
前述の例でいうと、仮面ライダー。
仮面ライダーのキャラクターおもちゃでいえば、変身ベルトと、人形。
実は、おいらの中では、この二つは相反するものなのだ。
どういうことなのかというと……。

変身ベルトは、つけた本人が、仮面ライダーになりきって遊ぶもの。
そして、人形は、仮面ライダーを操って遊ぶもの。
似たようなおもちゃの分類をしてみると……。

●なりきりグッズ

・仮面ライダー変身ベルト
・ウルトラマン変身グッズ
・ウルトラマン隊員メット
・ウルトラマン隊員銃
・あかちゃん遊びセット(赤ちゃんの人形に母乳をあげてみたり、オムツを交換したりして、母親を疑似体験する奴ね)
・戦隊物武器セット

などなど。あげればきりないので、これでストップ。

●操りグッズ

・仮面ライダー人形
・ウルトラマン人形
・ウルトラマン隊員乗務用マシン(ガス馬車御者?)
・りかちゃん人形
・戦隊物合体ロボ

これもきりがないので、これでストップ。


かなり強引な分け方だけど、間違ってないと思う。
逆に、これ以外だとバッジなどのグッズになるけど、これはどっちかというと、ポスターとかと同じ扱いにあり、上記の分類外になる。
んで、更に言えば考察とは関係なくなる(まあ、大きい区分けにすれば、操りグッズに入るような気がする。理由は後述)。

こういうおもちゃが出回っているけど、いろんな母親に聞いたところによると、子供が欲しがるのはどちらか片方らしい。
両方欲しがる子供もいるらしいが、どちらのほうが長時間遊べるか、というと、それは完全に二つに分かれてしまうようだ。
これは、その母親の話なので、サンプル的にはかなり信憑性はあると思う。

不思議だよなあ。

この二つの状態って、相反するものなのかな?
それとも、精神成長過程なのかな?
つまり、子供が大きくなるに従って、遊び方が変わってくるのか、それとも、人の性質によって、遊び方が異なるのか、ということ。
そして、これは、心理学(の区分でよいのかわからんが)など、学術的には、どういう風に説明されているのか?

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ちなみに、おいらの例でいうと、おいらは操りグッズ派でした。

おいらの時代で言えば、いろいろ売っていたけれども、おいらはなりきりグッズは欲しいと思わなかった。
なぜか。
確かに小さい頃は、なりきって遊んでいたこともある。

しかし、例えば、仮面ライダーになりきってジャンプしても、高く飛べない。
ウルトラマンになりきって、スペシウム光線を打っても、出ない(出るわけない)
小さい子ながらに思った。
スペシウム光線がでて、しかも物に当たって物が壊れないと、本物じゃない。本物じゃない、というか、物足りない。
それから、操りグッズに行くようになった。
そうすると、例えば、ウルトラマンがスペシウム光線を打ったとイメージした場合、敵に当てれば、敵を吹っ飛ばすことで、スペシウム光線が飛んでいって相手に影響を与えた、と頭の中で納得することが出来たから。
仮面ライダー人形で言えば(実際は持ってなかったけど)、ジャンプさせたとき、実際に手で動かすので、視覚的に大ジャンプを表現できるからだ。

つまり、なりきれなかったのは、なりきった状態で行動を起こしたときに、現実に戻されてしまうから。

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こう考えてみると、以下のことが言えるような気がする。

●なりきりグッズ派は、そのものになりきって行動することで満足する
●操りグッズ派は、操った結果、おきうるものまで操作(管理)することで満足する(バッジ系は所有することで、管理と同じ満足が得られる)


なりきりグッズ派は、過程重視。
操りグッズ派は、結果重視。
そして、単純においらの例で考えると、なりきりグッズ派から、操りグッズ派へと成長した……。
つまり、精神成長過程において、なりきりグッズ派より、操りグッズ派のほうがより成長した状態だということになる。

でも、ここで、おや?と思う。
なりきりグッズ派の人のほうが適正があると思われる職業がある。それが俳優。
操りグッズ派の人のほうが適正があると思われる職業がある。それが、作家や監督。
おいらの理屈で行くと、俳優さんより監督さんのほうが、精神的により成長した状態にあるということになってしまう。
しかし、ここで、本当にそう?と思ってしまう。
上記の結論は、あくまでおいらの小さい頃の遊びの推移から結論しただけ。
逆に、他の人であれば、逆の変化をたどった場合もあるかもしれない。
その場合、導き出される結論は、逆になってしまう。

あー。もうわからん。
誰か、このことについて、現在での学術的見地からの説明をしてくれー(TT)

PS
おいらが作家になりたいのは、ひとえに操りグッズ派だからだと思う。
やはり、自分の作ったキャラクターが自分の思い通りに動いてくれるほどの快感はない。
そして、テレビゲームが好きなのも、テレビに映った何者かを自分の思い通りに操作できるから。つまり、テレビの中に広がる世界を自分の意思で操れるから。
プロのサッカー選手を自分の意のままに操る、という擬似的な感覚を楽しめるから。
その辺も、関係してくるんだろうなあ。精神構造に。


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彩葉 [MAIL]

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