本日、小さい子連れの母親を乗せた。
実は、この親子はかなり乗ってくれている。 今日はどこに行くのかと思ったら、映画館だった。 どうも、ウルトラマンの映画を見に行くらしい。 帰りも迎えに行く約束をし、一度帰る。 結局、その後一回も仕事なく(爆)また彼らを迎えに行った。
その帰り、やはり、ウルトラマンに感化されたのだろう。おもちゃ屋によって、おもちゃを買うことになった。 買ってきたのは、仮面ライダーの変身ベルト(←なぜ(^^;) どうも、もともと欲しかったおもちゃがあったらしいのだが、それが売っていなかったがために、別のものを買ってきたらしかった。 ちなみに、買いたかったおもちゃも仮面ライダー製品らしい。 ウルトラマンじゃなかったのね(^^;
ここで、一つの疑問が。 戦隊物もそうなのだけど、そういうキャラクターグッズ系おもちゃって、二つに分けられると思うのね。 前述の例でいうと、仮面ライダー。 仮面ライダーのキャラクターおもちゃでいえば、変身ベルトと、人形。 実は、おいらの中では、この二つは相反するものなのだ。 どういうことなのかというと……。
変身ベルトは、つけた本人が、仮面ライダーになりきって遊ぶもの。 そして、人形は、仮面ライダーを操って遊ぶもの。 似たようなおもちゃの分類をしてみると……。
●なりきりグッズ
・仮面ライダー変身ベルト ・ウルトラマン変身グッズ ・ウルトラマン隊員メット ・ウルトラマン隊員銃 ・あかちゃん遊びセット(赤ちゃんの人形に母乳をあげてみたり、オムツを交換したりして、母親を疑似体験する奴ね) ・戦隊物武器セット
などなど。あげればきりないので、これでストップ。
●操りグッズ
・仮面ライダー人形 ・ウルトラマン人形 ・ウルトラマン隊員乗務用マシン(ガス馬車御者?) ・りかちゃん人形 ・戦隊物合体ロボ
これもきりがないので、これでストップ。
かなり強引な分け方だけど、間違ってないと思う。 逆に、これ以外だとバッジなどのグッズになるけど、これはどっちかというと、ポスターとかと同じ扱いにあり、上記の分類外になる。 んで、更に言えば考察とは関係なくなる(まあ、大きい区分けにすれば、操りグッズに入るような気がする。理由は後述)。
こういうおもちゃが出回っているけど、いろんな母親に聞いたところによると、子供が欲しがるのはどちらか片方らしい。 両方欲しがる子供もいるらしいが、どちらのほうが長時間遊べるか、というと、それは完全に二つに分かれてしまうようだ。 これは、その母親の話なので、サンプル的にはかなり信憑性はあると思う。
不思議だよなあ。
この二つの状態って、相反するものなのかな? それとも、精神成長過程なのかな? つまり、子供が大きくなるに従って、遊び方が変わってくるのか、それとも、人の性質によって、遊び方が異なるのか、ということ。 そして、これは、心理学(の区分でよいのかわからんが)など、学術的には、どういう風に説明されているのか?
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ちなみに、おいらの例でいうと、おいらは操りグッズ派でした。
おいらの時代で言えば、いろいろ売っていたけれども、おいらはなりきりグッズは欲しいと思わなかった。 なぜか。 確かに小さい頃は、なりきって遊んでいたこともある。
しかし、例えば、仮面ライダーになりきってジャンプしても、高く飛べない。 ウルトラマンになりきって、スペシウム光線を打っても、出ない(出るわけない) 小さい子ながらに思った。 スペシウム光線がでて、しかも物に当たって物が壊れないと、本物じゃない。本物じゃない、というか、物足りない。 それから、操りグッズに行くようになった。 そうすると、例えば、ウルトラマンがスペシウム光線を打ったとイメージした場合、敵に当てれば、敵を吹っ飛ばすことで、スペシウム光線が飛んでいって相手に影響を与えた、と頭の中で納得することが出来たから。 仮面ライダー人形で言えば(実際は持ってなかったけど)、ジャンプさせたとき、実際に手で動かすので、視覚的に大ジャンプを表現できるからだ。
つまり、なりきれなかったのは、なりきった状態で行動を起こしたときに、現実に戻されてしまうから。
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こう考えてみると、以下のことが言えるような気がする。
●なりきりグッズ派は、そのものになりきって行動することで満足する ●操りグッズ派は、操った結果、おきうるものまで操作(管理)することで満足する(バッジ系は所有することで、管理と同じ満足が得られる)
なりきりグッズ派は、過程重視。 操りグッズ派は、結果重視。 そして、単純においらの例で考えると、なりきりグッズ派から、操りグッズ派へと成長した……。 つまり、精神成長過程において、なりきりグッズ派より、操りグッズ派のほうがより成長した状態だということになる。
でも、ここで、おや?と思う。 なりきりグッズ派の人のほうが適正があると思われる職業がある。それが俳優。 操りグッズ派の人のほうが適正があると思われる職業がある。それが、作家や監督。 おいらの理屈で行くと、俳優さんより監督さんのほうが、精神的により成長した状態にあるということになってしまう。 しかし、ここで、本当にそう?と思ってしまう。 上記の結論は、あくまでおいらの小さい頃の遊びの推移から結論しただけ。 逆に、他の人であれば、逆の変化をたどった場合もあるかもしれない。 その場合、導き出される結論は、逆になってしまう。
あー。もうわからん。 誰か、このことについて、現在での学術的見地からの説明をしてくれー(TT)
PS おいらが作家になりたいのは、ひとえに操りグッズ派だからだと思う。 やはり、自分の作ったキャラクターが自分の思い通りに動いてくれるほどの快感はない。 そして、テレビゲームが好きなのも、テレビに映った何者かを自分の思い通りに操作できるから。つまり、テレビの中に広がる世界を自分の意思で操れるから。 プロのサッカー選手を自分の意のままに操る、という擬似的な感覚を楽しめるから。 その辺も、関係してくるんだろうなあ。精神構造に。
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