午後一時は昼寝の時間。 おきててもいいんだけどね。これから夜遅くまで働くことを考えると、寝ていたほうが得策。 何しろ、昼間、おばあちゃんが無線番のときは起こしにきてくれるけど、夜のはげの場合は起こしにこない。事務所で大声張り上げて呼ぶだけ。扉閉まってたらきこえやしないっつーの。んでもって、反応がなければ怒るんだから、世話ない。というか、あほ。 昼婆夜禿…というのが、うちのガス馬車御者の通常ローテーション。
さて、今日も毎日のごとく寝ていたんだけど、来客が。 おいらの番だったので、おいらが乗せる。 久しぶりのよい天気で、遠くの山がはっきり見える。ここ数日曇天だったせいもあり、思わずその話を客にする。その山は、はれていても見えない場合もあるからね。空がガスっていた場合は特に。 お客とのコミュニケーションをとる最初の取っ掛かりは天気。 で、話していくうちに、とんでもないことがわかった。 このおじいちゃん、八十なのだけど、その血統にびっくり。 爺ちゃんの二十八代前の親戚…というよりは、祖先?いや、先祖か…が、なんと日本史で有名な人物、新田義貞のはとこだった、というのだ。
新田義貞と言えば、鎌倉幕府の北条高時を滅ぼした武将。 歴史上非常に有名な人物でございます。もちろん、近所の出前蕎麦屋さんがその名前を冠するのもその時代背景ゆえ。(しらねえか(^^;)
そのはとこというから、当然鎌倉幕府の討伐にも参加している。そのはとこは、鎌倉討伐後、細谷と言う地名をもらって、細谷を名乗るようになった。 その人も細谷さんと言う人だった。 土地は、農地改革(1960年)以前までは、二万五千坪以上あり、近所にも数百世帯の親戚が住んでいたという。 財産もあったことだろう。
でも、それよりも何よりも、第二次世界大戦に借り出された友人のほとんどが死んでしまったことの方が嫌だと言う。いまだに夢に見るというから、とんでもないことなのだろう。 齢八十だとすると、関東大震災も体験している。といっても、一歳とか、そういう年齢で、だけども。 乗せている時間は数分だったけれども、日本史を勉強しなおしたい衝動に駆られるお客だった。
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