楓蔦黄屋
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2024年03月19日(火) 好き放題書く

はい痩せたー。

産後10年、いっこも戻らなかった体重と体脂肪が
じわじわ減ってるー。
食う物選んでリンパマッサージしてジム行って減ったー。
食う物選ぶが1番効いたー。

ただ皮膚がだるんでるよな。たるんでるではなくだるんでる。

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「Xって頑なに言いたくない」って20代の特権みたいなこだわりだよな。
40代は「どうでもいい」。

まだついったーとは言っちゃうけど、リポストとかは慣れてきた。
単に語呂の問題もあるよな。エックスって単語、単純に発音しづらい。
セックスみたいでちょっと卑猥だし。

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アイドルファンの集いで、皆集まってんのにスマホいじってSNS更新してる場に遭遇。

老若男女問わず一斉にだったので、これは世代というよりは
どっちかっつーと育ったヲタ畑の習性って感じがした。最初は。

特に嫌悪感も違和感もなく、
しかし自分までけいたいでんわをいじることもなく(そもそもいじる用事がない)
ただなんとなくその光景を見てたら、「あ。」と思った。
ふだん普通に外で働いたり学校行ったりしてる人が
ちょっと気心知れた集まりでこうなるのは自然なのかもしれない。

逆に俺みたいにふだん一人で仕事して、仕事内容も限りなく孤独に近いと
人に会うってことに飢えてるからけいたいでんわなんていじるのもったいないと
思ってんのかもしれない。
何なら仕事中だってネット見放題だし、それで孤独を紛らわしているとこもあるし。

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以前ネットでやった「あなたの恋愛開始と終了シミュレーション」みたいな診断。
架空のキャラクター「風間ゆうやさん(31)」と付き合った結果、彼にいろいろ言われたんだが
それに対しての俺のリアクション、たぶんこれエックスに書いたら
みんなちょっと引いちゃうだろうなと思ったのでここにそっと記す。
本当はゆうやさんのコメントは本人イラストつきの画像なんだけども、画像はもうupできなくなったので、文書で。




【〜つきあう前編〜】
ゆうや:
「舞浜に朝7時集合」の何がつらいんだ?ディズニーいくなら朝からでは。

俺:
一人で行けや。



ゆうや:
なんか、君って昔から知り合いだった感じがするんだよな。知り合ったばかりなのに。

俺:
ていうか昔から知り合いだった感じがするから何なんだよ。



ゆうや:
プライドは高くないけど、芯は強そうだな。だって人の顔色とか全然窺わないから。

俺:
ちょっと何言ってるかわかんない。



ゆうや:
不思議だな。君の声を聞くだけで、すごく安心する。

俺:
よーし、Cocco「カウントダウン」(*)歌います!
(※最後に男を撃ち殺す歌)



ゆうや:
会うといつもいつも楽しいんだよな。だから、帰る時間になると辛い…。
ごめん、こんな雰囲気にして。好きになりすぎてるのかなぁ…

俺:
何を?



【〜つきあってる最中編〜】
ゆうや:
どこが好きかなんて聞くか?でも教えてあげる。さわり心地!

俺:
きめぇんだよゴミが。



ゆうや:
俺も君みたいに明るくいられたらいいのにな。

俺:
暗ぇんだよウジ虫が。



ゆうや:
俺にスマホを貸せないのは、浮気してるからじゃなくて、
見られたらまずい画像ばっかり保存してるからだよな。

俺:
■■■■手で人のモンに触ってんじゃねえよ■■。■■■。
(一部伏せています)




【〜恋愛末期編〜】
ゆうや:
うちに遊びに来るのはいいけど、食べ散らかしたものの後片付けぐらいはしろよな。

俺:
しねえしもう二度と来ねえよ。



ゆうや:
え?昔はデートの帰りに寂しがってた?そうだっけ?

俺:
えっ!?誰と会話してんの?急にしゃべり出してビックリしたー、妖怪でもいた?



ゆうや:
傷ついたときに、SNSに俺への不満を書くのは、ルール違反だと思うんだが。
自分がやられたらどう思うんだ?

俺:
あれはそもそもお前への不満ではないし、不満を抱くほどお前に満足感を抱いてもいない。



ゆうや:
俺のことがそんなに嫌いなら、さっさと振ればいいだろ。
そんなに責めるなら、そんなに不満なら、振ればいいじゃないか。

俺:
いや?わりと好きだよ?
髪の色とか目の形とか塗りが微妙にちょいちょい変わるとことか、
ああ複数のイラストレーター入ってんだなって感じで面白い(*)し。
まあ好きってのは嘘だけど。
(※先にも述べましたが、本来のゆうやさんコメントは本人イラストつきの画像です。)



ゆうや:
お前って本当にモテるよな。付き合い始めたころは、こんな子と付き合えて嬉しくてたまらなかったけど、だんだん不安が強くなって耐えられなくなってきた。
君はまぁ男友達も周りにたくさんいるし、自分のそばに置いておける人ではないんだなと。完全に俺の自滅なんだけども。
君が俺をすごく大切に思ってくれて、気にかけてくれたのもよく分かってる。ただ君みたいな人はもっと他の誰かと幸せになったほうがいいと思ったんだよな。
俺のそばにいるのはもったいないって。
次はもっと俺が安心できるような人と付き合うことにするよ。今までありがとう。これからは自由を満喫してくれ。

俺:
長ぇよ。



【〜以上〜】



…俺の返しもまあひどいもんなんですけど、ゆうやさん(31)も大概だよな。
しょっぱな、開演前ディズニー集合を当然のように強要した時点で
恋愛どころかもう人としてなるべく関わりたくねーじゃん。

「昔から知り合いだった気がする」発言もこっちが思ってないのに言われると一発で冷めますね。
昔、友達に「俺、お前の彼氏よりもお前のことわかってやれるよ」って言われたことがあるんですが
俺はそういうことを言われるのが死ぬほど嫌いなので彼の発言は完全に外していました。

それとはちょっと逸れますが
昔、こちらにちゃんと恋人がいるのを知っているにも関わらず
頭をなでたり告白してこようとしたりしてきた男性がいて、それにも猛烈に腹が立ちました。
自分自身をではなく、恋人を軽んじられた気がしましてね、それが許せなかったわけです。
お前が今モブ扱いしてる男は俺がこの世で1番大事にしてる人間なんだよ!わかってんのかそこんとこ!

…なんかこういうことを書くと単にモテエピソードの羅列ととられる可能性もありますが、
上記のようなことを「モテ」と解釈するような輩に用はない。
ただの人格無視ですよこんなもん。

というわけでまあ、上記のゆうやさん(31)の一連の発言も、恋愛ではなくただの人格無視ですね。
世間ではこれが本当に「恋愛シミュレーション」として成立しているのでしょうか。

ときメモGSも大概っちゃ大概でしたが、あれはまだ何というかゲーム性があるから成立していた
(ゲームだからね)
あと緑川光と子安武人の偉大なる力。が9割。










2024年01月01日(月) シンプルに

あけおめことよろ。

2024年のテーマは
「もうやりたくないことはやらなくていいや」です。
焦点絞っていこーぜー!




2023年04月23日(日) KNOW(とか言ってみる)

あっこれ日記に書こう!と思ってたことがあったが忘れた。

なんかけっこう「私いいこと言うー!」系だったと思う。
あとで見返して「ほほお」となるやつ。

でも忘れた。

最近はもう何でもかんでも忘れる。
仕事がずっと忙しすぎて、脳のその部分がもうすり切れてるような気がする。
仕事に使う脳の領域が。

むかし、ちょっとだけしすてむえんじにあだった。
新人研修でPCのハードディスクのパーティションを切るとこから始めた。
家を建てるときに図面で部屋割りをする感じだな。たぶん。

パーティションを区切って、このフォルダはこれだけの容量にしますよ、とあらかじめ決める。
そんなことが必要なんだと驚いた。
なんというかなんとなく、パソコンの中ってもっと縦横無尽なんだと思ってた。

それで、このパーティションの印象が強いので、
「あ、脳もパーティションで区切られてるな、仕事する領域とか、育児する領域とか、家事する領域とか」
と、乳児を育ててる頃にふと思ったのです。

育児をする前は仕事でいっぱいいっぱいだと思ってたが、
育児をする領域はあらかじめ確保してあって、ずっと使われずにあっただけなんだなと。
子どもなしで一人でいるって脳の1%ぐらいしか使わなくて済むな!と思ったときがあったので。

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その「育児脳」も、中は「乳児脳」「園児脳」とかいろいろフォルダ分けされていて、
子どもが大きくなるにつれて、なんというか
「仕事脳」とか「家事脳」とかとの連携がより必要になってくるな、と思う。
「若かりし頃の自分脳」とか「子どもの頃の自分脳」とか。
はたまた、偶然見つけた「何だこれ?何に使うんだこれ?いつからあるんだこれ?脳」とか。
「あったなーこんなの!自分でも忘れてたわ!脳」とか。

何が役に立つかわからない。
そこが子育ての面白いとこだなと思う。

2023年03月13日(月) ゴミ捨て記念日

子どもが今日初めて、ゴミをゴミ捨て場に一人で捨ててきてくれたよ。

燃えるゴミと、プラごみと、ペットボトル。
うちはマンションなので年中出せるゴミ捨てハウスがある。
ハウス内でゴミごとにそれぞれ捨てる場所が決まっており、それを口頭確認。ばっちりだ。
お願いいたします!と送り出す。

とにかく心配性の旦那は「一人で行かせるのかあ…心配だな」と言うも、
「この年でゴミのひとつやふたつ捨ててこれんでどうする!」と私は一喝。

敷地内にあるとはいえど
ゴミ捨て場まで行くにはいくつかカギを使わないとならないポイントがあり、
しかもそのカギの開け方が少々マニアックなので
まあ、ちょっと手こずるだろうなとは思った。

だんだん不安になってくる。
「心配だな…」とつぶやいて旦那に苦笑いされる。

果たして子どもは無事に戻ってきました。
拍手。

やはり途中カギを開けられなかったポイントがあったらしく、
しかしマンションの知らん住人の人に親切にも開けてもらって事なきを得たとのこと。

おー、助けてもらうのはいいことだ!と褒める。
人は一人じゃ生きられないんだから助けてもらってなんぼだ。
助けてもらって助け方を知る。逆はたぶん難しい。

ちなみに私なりの人を助けるコツは、手をさしのべたときに断られてもいちいちガッカリしない、ということ。

しかしあれだな。
お風呂を洗ってもらうたびに、「ついこないだまでされるがままに沐浴してたあの子がな…」と感動するんだが、
さらにはゴミまで捨てられるようになってるんだな。感慨深い。

2023年03月11日(土) なんやかんやでやってけそうな

台所に洗い物がたまってきている。
でも平気。
台所に立つのが苦じゃなくなったからね。

以前だったら、台所に洗い物がたまるのは本当に億劫だった。
洗い物と一緒にプレッシャーまで溜まっていく感じだったからだ。
罪悪感とか、それでも片付けられない哀しみとか、そういうものも全部。
点描で囲われた黒ベタの丸い魔物。目の部分だけ白い丸の。足がいっぱいついてる感じの。
ああいうのが洗い物とともに台所に巣くってる感じだった。

でもそういう魔物が見えなくなった。
台所を自分仕様にカスタマイズすることによって、
洗い物がたまったときの対処法が一本道として予測できるようになったからだ。

炊事は本当に大仕事だ。

誰かの家に嫁いで代々の台所を受け継ぐとか、
はたまた仕事として台所を管理しているとか、
そういう状況だったらもっとその大仕事さを肌で覚えられると思うんだが、
私はただただ実家にいるときは家事をやっている母の後ろで一緒に喋っていた思い出しかないから
ここに来るまでずいぶん時間がかかった。

母も、家事に関しては
「どうせやることになるんだから、わざわざ今教えなくていい」というスタンスだったので
特別に教わることもなく来てしまったのだ。
いや教わらなくても見てたからできるし、実際技術という面では別に困ったことはないんだが、
台所仕事はなんというか、「洗う」「料理する」「片付ける」という行為の、その間をいかに埋めて
一連の作業をスムーズに回していくか、ということに難しさがあるんじゃないかと思う。

台所はなんというか
「料理しながら洗い物をちょっとする」とか、
「ふきんを洗う」とか、「生ゴミを処理する」とか、「調味料入れを洗って追加する」とか、
なんというかそういうちょっとした、ルーチンじゃないこまかい作業のほうが多いから、
そういうのを流れにのせていく土台、みたいなものが重要なんじゃないかと。

その土台ですらときに更新が必要なんだから、台所仕事ってのはやっぱりすごいな。

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「こないだまで頭を悩ませていた子どもの問題がいちおう解決を見た(もう悩まなくていい)」
ということをふと思い出すときの心の底からの開放感。

問題ったってたいしたことではない。
100円ローソンで1000円のものを子どもがほしがったというだけの話。
しかし実はそういうところにこそ今までのおたがいの信頼関係の再確認と、これからの方向性を決める重要なターニングポイントがある。
子育てには、他人さまに笑い飛ばされそうなことにさてどうやって向き合うか、ということの連続みたいなとこがあると思う。
目の前の問題しか見えなくなっちゃもちろんまずいが、
たとえ外から見てたいしたことがないといったって、今まで自分と相手とでちゃんと積み重ねてきたものを軽視しすぎるのもいかんだろうという狭間で
ときには眠れないほど悩む。

子どもと話し合う。ケンカにもなる。
子どもが譲らない気持ちはすごくわかる。
私がなぜ譲れないのかも子どもはちゃんとわかっている。
さらにそれで考えに考えて、なかばヤケクソで現状を打破する解決策を用意してみるも、
それがうまくいくかどうか不安で、旦那に相談し、
しかしお互い仕事で疲れてて体調も悪いからヘロヘロ。
未来に展望が見えない。
やっぱり眠れない。

眠れないうえに、ここ数年症状がまったく現れることがなかった「生理時の腹痛」まで現れてしまった。
痛いしもう夜中の3時だし眠れないしで涙まで出てくる。
これはかなりいかん。いかんぞお!

ということでとりあえず、別室で寝る子どもの顔を見に行こう!と思って見に行った。
一人で頭の中だけで考えてるから負の感情ばっかりが大きくなる。
子どものことなんだから子どもの顔見て考えよう。
もういっそのこと原点に立ち返って、まず君がこの世に存在するっていう幸せをまず噛みしめにいこう!と。

子どものベッドに横たわりながら寝顔を見る。
心がだいぶラクになる。腹痛もおさまる。
そのままいっしょに寝る。子どもがのっかってきて重い。
眠りが浅く何度か起きるが眠れないことはない。
朝方目が醒めて自分のベッドに戻る。

それで子どもが帰ってきたときに、用意しておいた解決策を
旦那と一緒に子どもに説明。
子ども納得。
あとちょっとした誤解も同時に解ける。

解決。

あれから2日。今ここ。
あーあれ解決したなあ、とふと思い出す。

その開放感と安堵感で、
「まあ、これからもたぶん大丈夫だろう」というちょっとした経験値を実感する。

もっと大きな問題とか、ちょっとシャレにならんやつとか、そういうのでも、
まあいけるんじゃないかな、という気分になってくる。
そういう幸せみたいなのを噛みしめる。

そういう土曜日の午後。


楓蔦きなり

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