鶴は千年、生活下手

2021年12月29日(水) 姉のこと(長文です)

今年の夏に起きたこと。
姉が65歳で亡くなった。
姉は38歳で一回目のくも膜下出血を起こして頭を手術した。
穏やかな性格になったくらいで、麻痺も後遺症も無かった。
三年半後、前回のすぐそばの箇所でくも膜下出血を起こした。
一回目の時、血管の分岐点から出血したので、クリップで止める
方法(クリッピング)ができなくて、血管をぐるぐる巻くという
ラッピングという方法で止血した。
そのすぐそばから出血したのが2回目だった。
場所がほとんど同じだったので、手術では癒着をはがしたりする
時間が余計にかかったが、やはり麻痺も後遺症も無かった。

そしてその後、透析生活になった。
二度の脳外科手術は腎臓にも肝臓にも負担がかかり、持病である
多発性嚢胞腎が悪化したからだ。
透析を始めてすぐに、姉は大きくなって邪魔になってしまった、
機能していない腎臓の摘出手術をした。
小柄な姉に妊婦のようになってしまったお腹は辛そうだったから。
その後には、食事制限や水分制限に神経質になりすぎてしまい、
十二指腸潰瘍になり手術した。
空気にさらされると、体の中は癒着しやすくなる。
何度も熱を出しては入院した。
もう、熱出して入院は、またかという感覚だった。

三年前、脳出血を起こした。もう手術はしなかった。
左半身に麻痺が残り、移動は車椅子、あとは寝たきりという生活
になった。
団地住まいだった姉たちは、バリアフリーに改装してある中古マ
ンションに移り住み、ちょうど65歳で退職したばかりの義兄が、
姉の面倒をみることになった。
子どものおむつすら一度も替えたことの無い義兄が、姉の下の世
話をしていた。
床ずれ防止のための寝返りの補助は、睡眠時間を小間切れにした
だろう。
買い物や食事の世話もしっかりとしてくれていた。
姉が透析に行っている間に息抜きがてらに買い物に行く。
そんな生活が続いていた。
熱を出して入院すれば、毎日見舞いに行く。
ほんとに姉を大事にしてくれた義兄である。

そんな姉が今年の夏、また熱を出して入院したが、コロナの影響
で義兄は面会に行けなかった。
行けば食事の介助をしたりして、少しでも食べられるようにして
いた義兄だったが、見舞いに行けない今年、退院した姉はやせて
しまっていた。
自宅に帰ってからも食べられなくて、意識が無いまま救急搬送さ
れ、検査でわかったことは、低血糖で昏睡していたこと。
口からの食事ができなくなってしまっていた。
救急搬送された病院は、一度に二人、十分までという条件で面会
をさせてくれた。
何度も病院から危ないからと呼び出され、その度に義兄が行くと
意識がはっきりする姉の姿に、二人の愛情の深さを痛感した。
だがそれも限界があり、9月18日に亡くなった。
前日、見舞いに行っていて、あと数日は持ちこたえるかと思って
いたが、翌朝、義兄が泣きながら電話してきた。
土曜の朝で、いつもは主人も息子も起こさずに透析に出かけるの
だが、その日は泣いている声に気付いて夫も息子も起きてきて、
息子は泣いているわたしの背中をさすってくれた。
涙をこらえて透析を受けに病院に行った。
スタッフに姉が亡くなったことを伝えた。
仲の良い透析仲間にもひっそりと伝えた。

病気に翻弄されはしたが、愛情深い義兄と結婚して、姉は幸せだ
ったと思う。
姉の嫁ぎ先も、わたしを含めてとても可愛がってくれた。
わたし達の母が亡くなった時、まだ若くて葬儀のことも何もわか
らなかったわたし達のために、姉の義両親がお寺さんもお墓のこ
ともみんな手配してくれた。

義兄は今、マンションで一人暮らしである。
わたし達の母、義兄の両親、そして姉の遺影に囲まれて、毎日を
変わらず生きている。
もうすぐ、結婚した甥っ子のところに子どもが生まれる。
息子が親になることに感慨深げだった姉のことが思われる。
義兄はこれからもずっと兄である。
とてもいい人だから、夫も大好きな兄である。
喪中のお正月、義兄の家に集う。


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市屋千鶴 [MAIL]