沢の螢

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「ブログの引っ越し」
2006年09月12日(火)

今、メインのブログの引っ越しを考えている。
2004年6月から書き続けたブログが、記事数400件になった。
ところが最近、アクセス数が増え、どういうわけかと思っていたが、ケータイで見に来るらしい。
ケータイ検索機能が、向上したらしく、ヤフーあたりのモバイル検索で、ほとんどがDOKOMOとAUユーザーである。
7月から、やたらとケータイでのアクセスが増え、毎日100件を越すくらいになった。

私のブログは、どれも、あまり面白おかしい内容ではないので、訪問者数は、多くない。
ニュース性のあるものを取り上げると、アクセス数が増えることは分かったが、数は少なくてもいいから、定期的に来て、じっくり読んでくれる訪問者の方が、私には有り難い。
ただ、この春、ケータイ機種を替え、その際、インターネット対応にしたので、それまで使っていなかったケータイでの投稿の仕方も、覚えた。
父の病床に付き添っていた時は、ケータイからも、2,3投稿した。
便利な物だなと思った。
しかし、私の書くものは、どうしても長くなるし、瞬発的な物ではないから、やはり、机に向かって、大きな画面のPCから書き込む方が、ずっと楽だし、内容的にも、合っていると思った。
だから、今は、ケータイ投稿は、旅行中以外はしていない。
私のブログが、ケータイではどんな風に見えるのかも、自分がケータイで見て初めて分かった。
苦心してカスタマイズしたテンプレートのデザインも、サイドバーに書き込んだ能書きも、ケータイには表示されないし、なんとも無機質で、ケータイの小さな画面では、私のブログは適していないことが、よく分かった。
私の書く記事は、一件平均が長いので、PC画面でないと、全体が掴みにくいし、逐一画面をスクロールしなければ、読めないケータイでは、些末なところが気になって、書いた文章が、うまく伝わらないような気がする。
ケータイ閲覧のアクセス状況を見ると、始終画面を動かしながら、切り替えてみているのが分かる。
その度に、アクセス数が、増えるからだ。
短い時間に、記事全体を読むのも、ずいぶん手間が掛かるだろうし、多分、訪問者は、スクロールの途中で、画面を変えてしまうだろうなと思った。
もう一つは、私にとって、困った訪問者が居て、数年前から何故か私のサイトやブログを、検索でしつこく追いかけてくるのだが、PCでは、IPアドレスで、身元が分かっているので、ケータイの方が、アクセス解析では分かりにくいと思うらしく、7月以降、ケータイで、毎日おいでになる。
とうに身元は分かっているので、ご苦労さまなことよと、同情するが、あまり気持ちのいいものではない。
出来れば、お引き取り願いたい。
そこで、メインのブログサーバーが、最近、サポート状態が悪く、いつ閉鎖するか分からない状態になったので、消えてなくならないうちに、ログをそっくり、ほかのブログサーバーに移すことにした。
ログのダウンロードで、メモ帳に写した物を開くと、読めない文字コードになっている。
しかし、互換性のあるサーバーに移せば、変換されるはずだから、迷わず、インポートした。
ところが、ログのインポートで、「ファイルサイズが大きすぎます」という警告が出て、失敗。
画像などほとんど使っていないテキスト中心のブログが、いつの間にか1メガを超えていたのだ。
いくつかに分けるにしても、記事の区切りが、判別しにくい。
やはり手作業で、一件一件移すしかないかと、考えている。
いっそ、サーバー解除と共に、全部消してしまった方がいいのかも知れない。

最近は、ブログ出版を手がけるところが出来た。
ネットにアップしたファイルから、そのまま製本してもらえて、しかも、注文は、一冊から可能と言うので、シメタと思ったが、縦書きには対応してない場合が多い。
私のブログは、本にした場合、やはり縦の方が向いている。
そこで、自費出版を専門にしている出版社のホームページを見たが、ネット上から原稿用紙がダウンロード出来、校正も、PDFで、すべてPC上で、出来るらしい。
活字を組むという手間がないので、校正と印刷期間だけ。
費用も、その分安いはず。
便利な世の中になった。
自分の記念のためだけに、1,2冊くらい作っておくのも、悪くないかと、思っているところである。


「冥王星に捧ぐ」
2006年09月02日(土)

マイホーム追われし星よ地に降りよ水金火木土はた天海より

さる連作和歌のコーナーに投稿した。
水金・・云々は、私が小学生時代にはなかった覚え方。
英語では
My very eager mother just served us nine pizzas.
と言って覚えるらしい。
今まで9個あった星の名前の頭文字を、別の言葉の頭文字に当て嵌めて、上のような文にしたようだ。
冥王星は、一番最後のピザにあたる。
今頃になって、惑星の座から外されて、どんな気持ちがするのだろう。
ママのピザが無くなっちゃったと、英語国の子どもたちは、戸惑っているらしい。
plutoという名を持つ冥王星。
人間様の都合で勝手に、追い出したって、僕は僕だよ、と笑っているかも知れない。

はじめはこの歌ではなかった。
水金も地火木も・・・と書き出したが、三十一音になかなかまとまらず、あれこれやっているうちに変換ミスもあって、画面が汚くなったまま、エンターキイに手が触れ、送信されてしまった。
あらためて、書き直したマイホームの歌を書き込んで、変換ミスだらけの歌の削除を依頼した。
すぐに、元歌を削除して、後からの歌を残して再表示してくれたが、元の歌を「シュールで面白いですね。惜しいですね」と主宰が言ってくれたので、削除された元歌に近い物をちょっと手直ししたのが下記の歌。
同じような物を、また投稿するわけに行かないので、ここに載せておく。

水金も土天海も地火木もなく飛び立てよ冥王星よ


「亭主殿」
2006年08月28日(月)

今日は言わせて貰います。

宴会だとかパーティだとかはもちろん、もっと庶民的な集まりでもいいけれど、夕飯は要らないと言って出かけた時は、帰ってから「腹が減った、何かないか」なんて言わないでください。

妻は、夫の居ない日は、ご飯を作らなくていいので、買い物にも行かないし、冷蔵庫の中の余り物を片づけたり、ちょっと栄養は偏るけど、紅茶に甘い物、果物一個、ツナ缶かなんか開けて、それで済ませてしまい、あとは、好きなテレビを見たり、友達と長電話したり、インターネットを覗いたりして、ひとりの時間を愉しんでいるのです。
毎日欠かせない夕食の支度、決してイヤなわけではありません。
90歳過ぎた私の母が、父が亡くなるまで、自ら食事を作り続けたように、私も、あなたと二人の食卓を、自分の手で整えることを、これからも、続けたいと思っています。
でも、あなたが現役時代、土日や祭日以外の日に、何かで思わぬ休みが取れた時に、解放感を感じるように、私も、台所に立たなくていい日というのは、同じような気分でいるのです。
それなのに、ちょうど衛星放送で、昔の名画なんかを見て、ロマンチックな気分に浸っているときに、ご帰還のベルが鳴って中断され、家に入るなり、「立食パーティでねえ、なんだか食べ損なっちゃった。
お茶漬けでいいからさ、ちょっと作ってよ」と言われたときの、うらめしさ!
あなたが、立食パーティやバイキングが嫌いなこと、よく知ってます。
「立ったまま、ものが食えるかい」と言って、お酒のほかは、テーブルに並んだ食べ物に、あまり手を付けないでいることも、わかっています。
デモねえ、1万円も会費払ってるんだから、「帰ってから家で食べればいい」なんて思わず、やっぱりお寿司とか、サンドイッチとか、唐揚げとか、会場で出たものを、何かお腹に入れてきてほしいの。
「せっかく出かけて行ったのにさ、男が人とろくに話しもしないで、ガツガツ食ってばかりいられるかい」と言いたい気持ちもわかります。
だから今まで、「夕飯はいらない」と言って出かけても、何かしら用意して、待っていました。
でも、私もそろそろ、そういうことから解放されたい。
きょうは、あなたは外で食事をしてくるんだから、と安心したいのです。
こんな嘆き、私だけかと思ったら、同じ年代の奥さんたち、みな同じこと言ってました。
「私だったら、絶対、会費分は食べてやるわ。男の人って、そう思わないのかしら」って。
バイキングパーティは、女性客だと赤字だって、ホテルの人が言ってました。
でも、女の人だと、お酒はあまり飲まないから、赤字ってことはないわね。
まあ、そんな一般論はどうでもいいわ。
とにかく、あなたが、夕食は外で、といって出かけた日は、家では、原則食事の用意をしないことにします。
だから、会場で、しっかり食べて、帰ってきてください。
あ、お酒も飲み過ぎないでね。
あなたがグラスを持って、話をしている間、その相手は、本当は食べ物が気になっているかも知れません。
「○○さんにつかまってねえ、気が付いたら、テーブルに何も残ってなかった」なんて、家で奥さんにしゃべっているかも知れないですよ


「邯鄲の声」
2006年08月24日(木)

日付が替わったが、一時間程前からしきりに鳴いている虫の声。
鈴虫ではないようだ。
深夜の音としては、ややウルサイ程。
邯鄲だと言うことにしておこう。

昨日午後から母の元へ。
7月のお盆は、父の新盆なので、墓石を直したり、迎え盆、送り盆に行き、その後、私たちが高原に行っていたため、ひと月以上、足を向けていなかった。
父が天寿を全うしてから、遺された母と、私ども4人のきょうだいとの間には、相続という問題があるが、墓の継承は長女の私と言うことで、すでに手続きが済んだ。

これは、相続とは違う先祖の供養ということなので、今は三親等以内の親族なら誰でもいいのである。
大家族の長男である父名義の墓には、祖父母の遺骨、未婚のまま亡くなった叔母の骨も入っている。
父亡きあとは、すべて私の名前で、法事を行うことになる。
父の遺産については、墓の維持や先祖の供養にかかる分以外は、母にすべて相続して貰おうと言うことで、私たち子供の考えは、一致している。
それは、母自身の希望でもあった。
ただ、相続の手続きを、老母自身がするのは無理なので、誰かがしなければならない。
それには、母が日頃から何かと頼み事をしたり、ケアハウスの身元引き受け人にもなっている上の妹が、母の希望で引き受けた。
ところが、彼女が、面倒な手続きを嫌って、弁護士に頼んでしまったために、かえってややこしくなっている。
家族の話し合いで決めたことを、そのままやればいいのだが、妹が、暑い最中、役所に行ったり、銀行に行ったりで、体調を悪くしたらしく、知らない間に、弁護士の手に渡ってしまった。
争うような要因は何もないのに、他人が入ったことで、きょうだいの間が、ギクシャクしかかっている。
後に禍根が残らないように、父の遺産の状況を、相続人全部に開示して、手続きを進めたほうがいいと、私は妹に提案したが、なぜか、母も、妹も、開示したくないらしい。
父の遺言状があり、弁護士に頼めば、そんなことはしなくても、銀行の名義変更は出来るからと言い、未だに、印鑑証明一つ、要求してこない。
銀行がそんなに簡単に、処理するのかと疑問だが、弁護士なら出来るのかも知れない。

しっかりしているようでも、90歳過ぎた母には、もはや、自分のことを考えるのが精一杯。
自分がいなくなったあと、残った子供たちが、どうしたらきょうだい仲良くやっていくかと言うことまで、配慮が及ばないのは、無理もない。
何が一番大事かという優先順位も、判断できなくなっている。
そんな老母に安心して余生を送ってもらうために、みんなで考えた後始末の仕方だったはずだが、弁護士のミスリードもあって、そんな風に進まなくなってしまったのは、残念なことだ。
耳の遠い母に、複雑な話は出来ない。
元気かどうかだけ確かめて、帰ってきた。


死闘!甲子園
2006年08月20日(日)

午後1時から始まった、甲子園夏の高校野球決勝戦。
南北海道地区代表の駒沢大学付属苫小牧高校と、西東京地区代表の早稲田実業高校。
3時間半闘って、延長15回で1対1の引き分け。
決着は明日の再試合に持ち越された。
どちらも譲らず、事実上は投手戦だった。
最後は、全力を尽くした投げ合いに、どちらにも勝たせたいと思った程。
苫小牧高は、今年勝てば夏の大会三連勝となる。
高校三年最後の夏に、優勝旗を手にしたいエースの田中。
対する早実は、何度も甲子園に来ていながら、まだ夏の大会では優勝したことがなく、これで勝てば夏の大会で初めて、優勝旗を手にすることになる。
大先輩には、王監督。
癌の手術後の身で、テレビ観戦しているのではなかろうか。
また、一年生ピッチャーで決勝戦に臨み、横浜高校に破れはしたものの、荒木大輔の姿も、印象深い。

今までの高校野球夏の大会で、一番記憶に残っているのは、何と言っても、昭和44年の松山商業と、青森県出身の三沢高校の闘い。
当時は、延長戦も18回まで。
松山商の井上投手と、三沢の太田投手。
0対0のまま延長18回で、決勝戦が引き分け。
4時間以上に及ぶ死闘だった。
幼い息子を抱えて、テレビの前に釘付けになった。
翌日、松山商が継投で守り、4対2で三沢を下したが、負けた三沢の太田幸司投手は、ロシア人の母の血を引く端正な顔立ちの故もあって、「もっとも美しい甲子園の敗者」と言われる程の、人気と感動を呼んだ。
連戦に次ぐ連戦を、たったひとりで投げきった太田選手の姿は、今でも、よく覚えている。

時代は変わり、高校野球も、練習環境がよくなり、地域差も、あまり無くなった。
いまは、コンピュータなども使って、データ管理もしているのだろう。
しかし、いざ、甲子園の現場に立つ球児たちの顔は、やはり子どものあどけなさを残していて、ひたむきに走り込む良さを持っている。
明日の再試合はどうなるか。
早実には勝って貰いたいが、苫小牧の田中君のポーカーフェイスにも、笑顔を見たい気がする。
ここまで来たら、どちらも負けられない気持ちであろう。
今日の甲子園は、満員。
最後まで、気力とスピードを保ち続けた両投手に、拍手が湧いた。


俳諧の徘徊
2006年08月15日(火)

お盆休みは、高原の避暑地も人が増え、一種の熱気に包まれる。
十三,十四は土日と重なって、歩いて十分くらいのところにある売店もにぎわっていた。
この時期は、臨時の朝市も並ぶ。
野菜や手作りの漬け物、菓子。
民芸品もある。
昔は、地元の値段で安く提供してくれたが、いつからか「別荘値段」というのか、都会のスーパー並みの値段を付けて売るようになった。
高くても売れるからだろうが、せっかくの素朴な品に、そぐわないバブル値段を付ける根性が気に入らないので、私は買わない。
おとといは、売店前の広場で、餅つきをやっていた。
搗き立ての軟らかい餅に、きなこや小豆餡、大根おろしを乗せて、二個100円というので、夫と一皿ずつ食べた。
おいしかった。
それで朝ご飯代わりにした。
きょうもお餅を食べようと言ってみたら、やっていなかった。
Uターンも始まって、人が減りつつあるのかも知れない。
露店で、安い高原野菜を少し買った。
直射日光に当たると暑いが、木陰にはいるとひんやりする。
高原の特徴だ。
帰路を歩きながら一句浮かぶ。

朝市に南瓜顔した亭主かな   夏の句だが構わない。

子供連れの家族とすれ違う。

子らの声ひときわ高し遊歩道  季語がないなあ。

犬の散歩も多い。
私は犬嫌い。
つい避けてしまう。

飼い主の顔つぶすなよお犬様

道筋に木槿を植えた家が多い。
東京の我が家にも、木槿があるが、高原のそれはひときわ背が高く見事だ。

道の辺の木槿は馬に食われたり   芭蕉

朝の徘徊が終わって家にはいると、小泉首相の靖国参拝のニュース。
よかった。
今日の日に参拝したことで、私は小泉さんを支持する。


山荘の隣人たち
2006年08月13日(日)

標高1100メートルのこのあたりは、空気がひんやりとして気持ちがいい。
平地で、35、6°もあるときは、さすがに、少し暑いなと思うが、直射日光に当たらなければ、汗をかくほどではない。
夏の暑さを避けるために、ここに来るようになってもう、26年になる。
最初あまり家が建っていなかったが、今年になって、向かい側に二軒建ち、だいぶ眺望が変わった。
左の一軒は、私たちより少し年代が上の夫婦、ベンツを駆って、大きな犬を二頭伴ってきている。
立派な山荘を建て、張り切っている。
車のナンバーで、東京の人らしいと判るが、まだ、挨拶をしただけである。
右側は、私たちと同世代くらいの奥さん、「娘の名前で建てました」なんて話をしていた。
精力的に、動き回っている。
雨で工事が遅れたらしく、まだ水が濁っているからとかで、先日、大きなペットボトル三本を持って、炊事用の水をもらいに来た。
飲み水は買っているが、お米をといだり、顔を洗ったりの水がほしかったらしい。
こちらも、新しい家で、何かと設えに凝っているようだ。
我が家の西側には、孫二人を預かって、代わる代わるあやす夫婦の声。
私たちより少し若そうだが、娘夫婦は、週日は仕事で別のところにいるらしい。
昨日からは、孫の親たちも来て、にぎやかである。


ここは車でなくては、不便な場所。
25年前は、子供連れの家族が多かったので、真夏は、人の声が聞こえて、結構にぎやかだった。
山荘の売り買いも、活発な時期。
10年くらいの間に、それも、ほとんど落ち着き、思い思いのセカンドライフを営んでいる。
ほとんど改装も、お金もかけていない人もいれば、周りの雰囲気と違う豪華な家を建てる人もいる。
真夏には、野外で臨時の市が立ったり、ミニコンサートが開かれたりする。
車で行けるところに、美術館、博物館もある。
今朝は散歩を兼ねて、歩いて10分の場所にある朝市に行った。
ちょうど地元の人が、臼と杵で、お餅を搗いていた。
つきたてを食べさせるというので、朝ご飯の代わりに、2個入り一皿100円のお餅を食べてきた。
25年前、働き盛りの壮年だった人たちが、次第に老齢期に差し掛かり、子供の世代になったり、遠方から来るには、体力が追いつかなくなったのか、最近はハイシーズンでも、割合に静かである。
家の前を通る人たちも、老夫婦が多い。
東京のある市で、昭和40年代後半から50年代にかけて、大々的に開発した巨大団地が、30年経つ頃から、住民が一斉に老齢化していくことが、話題になっているが、この辺も、同じような現象が起きているのかもしれない。
「車の運転が出来なくなったら、考えよう」と夫は言うが、当分大丈夫そうである。
車の通る音以外は、大きな音もせず、さわやかな風のそよぎを感じながら、過ごしている。



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