このところ、ホームページを毎日のように更新している。 今日一つアップして、23ページになった。そのほかに連句用のボード2つ、ゲスト用掲示板、この日記帳を付けてある。 シナリオ、エッセイ、短歌、詩、などの自作のもの、共同の連句作品、とにぎやかにはなったが、果たして誰が読んでいるのだろうか。 今年になってホームページを立ち上げ、その後何度か失敗して、やり直したりしながら、この一月ばかりは順調に更新を重ねている。アクセス数は、今日で1700を超えた。 自分で開けてみるのが3分の1くらいあるとしても、少ない数ではない人たちが、クリックしているわけだが、その割には、ゲストブックに書き込む人はあまりいないので、いったいどんな人が、見たり読んだりしてるのだろうと、いささか気になる。 実生活で知っている人には、ほとんど知らせてないので、アクセスするのは、知らない人が大部分だと思う。 それは私のホームページの目的にかなっているわけだが、反応がないのも、少し物足りない。 でも、これは、私の机の引き出しみたいなものだから、自分でのぞいて、ほくそ笑んでいればいいわけである。 リンクも原則しないことにしているが、お気に入りのもの2,3,引かせていただいている。 おかげで、私の項目にないものを、見ることが出来る。 「俳句術」は、初心者向け俳句講座だが、実作をボードで見てもらえるので、得難いサイトだと思う。私が見ているだけではもったいないので、リンクさせてもらった。 「和歌連作」は、私も参加しているサイトの中のもの、連句に似ているが、前の人の短歌の響きを受けて次の短歌を付けるもので、いずれも臨場感が取り柄、ネットの利点を十分生かしている。 インターネットは、出来たものを見せるだけでなく、見た人が参加できることが、必要なようだ。はじめは誰も見なくていいと思っていたが、このごろは、せっかく一生懸命作っているのだから、なるべく多くの人に見てもらいたいと思うようにもなっている。 ただし、実生活上の天敵のような人が、私には居る。その人たちは別である。 2002年05月08日 01時25分24秒
黄金週間が終わった。 日本の祝日は、欧米に比べて多い。連れ合いの計算によると、土、日含め1年の3分の1は休んでいることになるという。 休みが多いということは、悪いことではない。しかし、国民が一斉に休む日としては、多すぎるのではないか。 土日のほかに、正月と、お盆の前後ぐらいで十分であろう。あとは、それぞれが好きなときに、休めるようにすればいいのである。 なにも、全員で同じことをすることはあるまい。 一斉に休むから、どこへ行っても混雑し、あまり愉快ではない。 憲法記念日など、休みにしなくても、記念日は記念日でいいではないか。 でも、祝日を休みにしないと、有給休暇が取りにくいからという反論が出てきそうである。また、学校などは、バラバラで休むわけに行かないかもしれない。でも、最近のように、いくつかの祝日を、全部月曜日に続けてしまったら、それも困るのではないだろうか。 ある大学の先生が言うには、月曜日の授業時間が減って、カリキュラムに支障が出るという。 時間あたりの講師などは、収入も減るだろうし、年間計画も立てにくいのではないだろうか。 しかし、「みんなで渡れば怖くない」のが日本人、みんなで一斉に休むのでないと、安心して休めないのかもしれない。 2002年05月06日 23時50分55秒
この6日間ほど、私の両親が家に来ていた。 5年前にうちに引っ越してきて、3年暮らしたが、いろいろな事情で別のところに移り、さらに昨年夏からいまのケア付きマンションに移り、24時間介護体制の中で過ごしている。 母はまだしっかりしているが、父の方は、体は元気だが、4次元の世界に住んでいて、ケアが必要である。 一度家に来たいと母が言うので、この連休に来てもらった。 2年ぶりに来て、母は感慨深いものがあったらしかった。両親の居た部屋は、ほとんど手を付けずに残してあるし、置いていったものも、そのままにしてある。また戻ってくることがあると、予想していたわけではないが、急いで片づける必要もなかったのである。 母は家にくると、気になっていたらしいものを片づけたり捨てたりして、過ごした。「アラ、ここにあったわ」というので、何かと思ったら啄木の歌集だった。父は、短歌を趣味としていたが、母はあまり関心がないように思っていたので、意外だった。 父は、もはや短歌を読んだり作ったりすることは、出来なくなっている。5年前は、まだ歌会に出たりしていて、結社誌も講読していた。 その父が持っていたおびただしい書物は、全部とは行かなかったが、うちに運び込んだままになっている。短歌関係の雑誌や歌集、もう開くことはないと思いながら捨てられずにいる。 「本の重みで、家が沈むよ」と、連れ合いに言われながら、私は必死に、それらを守ってきたのだった。 この6日間、父は前から居たように自然に家にとけこんで、静かに過ごした。ここが、かつて3年間住んだところであることを、覚えては居ないようだったが、意識のどこかで、蘇っていたようにも思えた。 今日、帰る時間になって、車で送っていった。 向こうに着くと、ケアハウスのみんなが迎えてくれた。「ここは来たことがあるなあ」と父が言った。 私たちは、母の入れたお茶を飲んで帰ってきた。車を運転しながら連れ合いが「結局、どういう形が一番いいんだろうね」と言った。 うちにいた3年間、私の連れ合いも、いろいろな思いをしたのである。これという答えのないまま、私たちは、それぞれ、親の老いと、自分たちとの関わりを反芻したのだった。 2002年05月06日 02時45分21秒
おとといから今日まで、連休の谷間の三日間だった。昨日も、おとといも雨まじりの薄ら寒い日だったが、今日はよく晴れ、庭の緑もとりわけよく映り、「風薫る」という感じの一日となった。 両親の分も合わせて4人分の洗濯をした。洗濯機を回すこと3回、庭先のテラス、2階のベランダまで、物干し竿を満艦飾にして、昼頃やっと終わった。 1時に、市内の友人と図書館で待ち合わせ、6月の連句関係の行事の案内状を発送する作業をした。100通ばかりの郵便物を、そのまま郵便局に持っていき、「料金別納」扱いにしてもらって、完了。 友人と別れ、私は図書館に戻り、短歌関係書、車谷長吉の新刊本など借り、スーパーで食料品を買って帰宅。 留守中に、夫が父を散歩に連れて行ってくれたらしい。ケアハウスに行ってから、あまり散歩させてもらってないと見え、歩く力が弱くなっているそうだ。「やっぱり、確実に年取ってるね」と夫が言う。2年前まで、一緒に住んでいたときは、外に出たいために、時々迷子になり、探し回ったりしたが、もはや、そうしたことはない。眠っている時間が長くなり、そうやって、自然に別の世界へ、近づいているのかもしれぬ。 母の方は、台所で、ちょこちょこ何か作ったり、父の世話をしたり、よく動いている。耳の遠いことをのぞけば、まだまだしっかりしている。食卓では、母の話が中心になっている。 残り時間がどのくらいあるか判らないが、今日の日のような穏やかな毎日を過ごさせてあげたい。 母作る五目サラダや風薫る 2002年05月03日 00時28分07秒
今日から5月、よい季節である。でも、昨日から天気が崩れ、少しうすら寒いのは残念。 昨日から私の両親が来ている。 92歳と89歳が、この連休を過ごしに来た。 今日は、ヘルパーの介助で、父の入浴をすませたところ。 介護用の椅子を買いに行ったり、この際カビの生えかけた風呂の蓋も、新しい檜に取り替えた。 まだ寝たきりではないが、やはり高齢の親の介護は、それほど簡単ではない。 でも、介護ということが、社会の当たり前の風景になって、人の力を借りることが、以前よりたやすくできるようになってきたのは、嬉しいことではある。 2年前まで住んでいた家に来て、父も母もホッとしている。どこか、記憶に残っているのだろう。 あちこち体の不調を訴えながら、父の身の回りの世話を欠かさない母、少し姿が見えないと、母を捜し回る父、お互いの存在が、生きる力となっている。 子どもがしてやれることは、ほんのわずかであることを、しみじみ感じる。 2002年05月01日 17時52分21秒
5月の連休前後に、両親に遊びに来てもらおうと考えた。 私の父は92歳、母は89歳、都内のケアハウスにいる。年なりの衰えはあるが、まだ元気である。 それぞれ、介護保険のサービスを受けながら、生活している。 今度家に、数日間滞在する場合の介護はどうなるのか、私の住んでいる市、親の住区、いま暮らしている施設、それぞれの答えはこうである。 私の市 市民の親であっても、住所が別の地区にある場合はこちらのサービスは受けられない。もし受けたければ、いったん住民票を移して再度ケアマネージャーに、ケアプランを立ててもらい、申請、決定、実施と言うことになる。この間、2週間ほどかかる。 親の住区 住民であるから当然、いまの介護は受けられるが、外出中の介護をどうするか、前例がないので、東京都と相談中である。 ケアハウス 外出の日、帰る日は、ハウスのケアが付いたことになるので、その日のサービスは、外出先には付かない。間の日は、自費でヘルパーを捜してほしい。 親が家にいる間、入浴に介助が必要な父のために、サービスを受けたいと問い合わせた答えが、以上のようなことであった。 これらの答えを総括してわかったのは、高齢の親が何らかの施設に入った場合、自由に外出したり、子どもの元に泊まりに行くことを、自治体などでは、あまり想定していないと言うことである。 行く日と帰る日云々と言うことには、思わず笑ってしまったくらい、妙な解釈なのである。つまり、私の親たちがハウスから出て、何日か私の家に泊まってまた帰るとき、家にいる何日間は親は存在していないという扱いなのである。 ハウスで受けている介護を、私の家でそのまま受けられると思うのは、おかしいのだろうか。介護というのは、その人個人に付いているのだから、日本全国どこでも、受けられるのが本当だろう。医療保険と同じではないか。 そう言うと、「役所というのはどうも・・」と、親の住区の係が言ったが、そんなことでは困るので、何とかしてくれと食い下がって、明日答えが来ることになっている。 いざとなれば自費で誰かを頼むしかないかと思ったが、考えるくらいはしてほしいので、関係者に宿題を出したわけである。 介護保険が大々的に鳴り物入りで登場して2年、親がいたときはまだ導入されておらず、私も役所関係をかけずり回って、訪問看護や、通所サービスなどを利用した。しばらくそう言うことと遠ざかっていたが、今度のことで、久しぶりに熱くなった。 2002年04月24日 23時44分43秒
インターネットは、主にボードを通じて、いろいろな人と交流を愉しむところである。 名前や顔を知っている場合もあるが、多くは、どこの誰ともわからずに、会話をするのである。それはとても面白い反面、一歩間違えると、とんでもない危険もふくんでいる。 ほんの些細な言葉のつかいかた、言い回しが、読む人の受け取り方で、全く違う意味に取られたり、誤解を生んだりする。 知らない人だからいいだろうというのは、間違いで、知らない人だから、知っている相手以上に、神経を使わねばならないことが多い。 それがわかってきたのは、パソコンを始めてしばらくしてからである。 まだメールの段階だったが、便利で手軽だと思っていたメールが、実は、手紙や電話、実際の会話よりも、難しいものだと言うことを感じるようになったのだった。 拝啓も敬具もなしのEメール機械のごとき言葉並べて これはそのころ作った下手な歌だが、私の実感であった。メール交信を始めた人と、よくケンカをしたからである。顔見知りではあったが、さほど話したことのない人と、メールで手軽に意思疎通が出来るようになって、とても嬉しかったのだが、簡潔に用件だけ書くのがメールであるらしいのに、私が、手紙と同じ性格を、メールにも期待したからであった。 「深読みのしすぎ」と、よく言われるくらい、省略の多いメールは、私には、時として不消化なものだったからである。 ちょっとした言葉の使い方に、過剰反応してしまい、相手に不快感を与えたこともあったと思う。 だんだん、メールというものがわかってくると、それなりの使い方にも慣れ、メールの利点を理解して使えるようになり、やはりずいぶん便利なものだと感じるほうが、最近は多い。 しかし、個人的なメールに比べて、世界に向かって開かれているインターネットは、もっと、いろいろな要素を持っている。 どこで誰が見ているかわからないインターネットの世界、たとえ、大々的に公開していなくても、その気になれば、忍び込めるらしい。だから、インターネットを愉しむには、多少のリスクも、背負うのだと言うことを、理解した方がいいかもしれない。 ホームページを持ち、ボードの運営もするようになって、そんなことをあらためて感じている。現実の自分とは違う人格が、ネットの中には生きているのだと言うことを、肝に銘じるべきだろう。 2002年04月23日 00時33分42秒
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