何とか旅行の支度も終わった。 思ったより寒い出発となりそうだが、それも成田までの我慢。 杉並の両親の所に顔を出す。もし飛行機が落ちるようなことがあったら、これが今生の別れとなる。元気な姿を見たので、満足。母は、バルコニーから、手を振っていた。 途中ちょっと足りないものなど買って帰る。 ファックスで、先日満尾した連句が送られてくる。浮き世のつきあいもぎりぎりまである。 あと残るはホームページだが、ジオシティーズが潰れでもしない限り、ウエブ上では表示されるはず。 閑古鳥が鳴いていた「ネット連句」の欄に、初めて書き込みがあって、とても嬉しいが、フォローできずにお待たせすることになる。 10日後の再会まで、どうぞ、お待ち下さいますよう! では行ってきます。 2002年03月28日 22時29分3
昨日あたりから天気が怪しくなり、今日も一日雨であった。少し肌寒くもある。 江南の旅の支度も、だいたいできたが、着るものにまだ迷いがある。日本より少し暖かいとはいうものの、朝晩は寒いかもしれないので、セーターや薄手のコートも持っていった方が良さそうだ。 今回は夫婦一緒の旅なので、留守中のこともしておかねばならず、何かと忙しい。息子夫婦に鍵を預け、一度位は見に来てくれるように頼んであるが、余り見苦しいものは見せたくないので、旅行の支度かたがた、あちこち片付けたりしている始末である。 こんな時、女は損だなあと、つくづく思う。「片づけなんかいいから、適当にしなさい」なんて、連れ合いはいうが、男一人家にいるだけで、どれだけよけいな手間がかかるか、ちっともわかっちゃいないんである。 自分だけさっさとスーツケースに詰めて、「君はのろまだねえ」なんて言うが、人間というのは、食べたり、着替えたり、トイレにも行き、そのたびにゴミを出し、それを片づけなければならないと言うことを忘れている。 昨年は、連れあいは一人でインドに行き、その間、私は我が世の春を愉しんだ。 その後、今度は私が一人でシベリアへ行き、留守中のことなどちっとも心配せずに連れあいに任せ、ロシアの夏を満喫した。 外国へは何時も夫婦一緒だったので、別々の旅行もいいものだと思ったが、今年は、なぜか行きたいところが一致したので、一緒に江南へ行くことにしたのだ。 参加者23名、半分はカップルだという。どんな旅になるのやら。願わくば、出発の日は晴れてくれることを。 2002年03月28日 01時18分35
先週あたり、衣替えしていいような暖かさが続いたが、昨日ぐらいから少し気温が低くなったようで、今日は、暖房を入れるほどの寒さである。 コートや、厚めのセーターは早々と仕舞ってしまい、また、重ね着などしている。 しかし、今日は雨が降っているので、花粉の飛散がなく、家人にとっては過ごしやすいようだ。 私のパソコンが止まって1週間、何とかデータをなくさずに、立ち上げる方法がないかと、メーカーとやり合ったり、息子に応援してもらったりしたが、やはり駄目なようだ。 OSの再インストールして、それでも駄目な場合は、ディスクを直すなりしますと言うことで、私が決心するかどうかである。 旅行へ行く前に、やりたくないので、このままにして、帰ってからインストールすることにした。 ホームページの原稿、メール、メモ帳や一太郎に入っているものは、すべて失われてしまう。 今年に入って2度目の消失、また悲しい思いをしなければならないが、仕方がない。まめに保存しておかなかった自分が悪いのだから。 今度は、ホームページの制作ソフトも新しくして、1から出直すことにしよう。 今まで、何かあると、家人に手伝ってもらったりしたが、それをやっていると、自己責任が希薄になって、失敗の度に、人を恨むことになる。家庭内ネットワークを作っている関係上、縁を切るわけに行かないが、背伸びしたソフトの共有などで、無理がいっているような気がする。 もう、パソコンの顔を見ないところに、早く行ってしまいたい。 江南の菜の花は咲いているだろうか。 2002年03月26日 22時37分55秒
必要があって、何十年ぶりかで、万葉集の注釈書など見ていたら、学生時代に帰った気分で、しばらく読みふけってしまった。 礒の上に生ふるあしびを手折らめど見すべき君がありと言はなくに これは、謀反の疑いを掛けられて死罪になった大津皇子を偲んで、その姉の大伯皇女が歌ったもの。好きな歌だ。今我が家の馬酔木がいい具合に咲いていて、ホームページに載せているので、この歌を思い出した。 万葉の歌には、いろいろなドラマが隠されていて、大変おもしろい。人間の心は、時を隔てて変わらないものだということを感じる。 壬申の乱の登場人物である、天智天武を中心とした、額田王を巡るドラマなど、想像するとわくわくする。 きみが往く道の長手を繰りたたね焼き滅ぼさむ天の火もがも これは狭野茅上娘子の歌。激しい恋歌だ。若い頃誰かに贈った覚えがある。 歌というのは、リズムがあり、形が整っているので、言いたいことをほどよく伝える力がある。昔の人は、コミュニケーションの手段として歌を詠み、それに返歌をして、お互いの気持ちを伝えあったのだった。 外国生活をしていた時、家によくご飯を食べにきていた若い人と、短歌をやりとりしたことがある。周りが外国語ばかりのところで暮らしていると、日本語に飢えてくるのである。日本にいれば、まずこんなことはしないであろう。 私は短歌の結社に入っているが、なかなか歌が出来ず、何時も締め切りの日になって、あわててひねり出す始末である。 時間がないとか、忙しいとかいうのは言い訳で、歌を生み出す精神がないのである。 久しぶりに万葉の歌にふれて、1200年もの時間を超えて、万葉人と同じ世界を、ほんの少し共有したような気がした。
春の嵐のように、この一週間のあいだに駈け抜けた風が、どうやら沈潜したかに見える。 集団の中で、何かをやろうとする時、たとえそれが、善意から出たことであっても、やり方如何で、まずい結果になることがある。ことに、人を巻き込んでの事柄は、自分のみならず、相手にも、周囲にも、幾ばくかの傷を残してしまうこともある。 「あれよあれよ」の結末は、もし、うまくいけば、実行した人たちの手柄話になるはずだった。ヒントとなる話をした私は、既に、そこからはずれていて、「一般大衆」のひとりとして、単なる事務的な手伝いだけを、頼まれていたが、私にも「五分の魂」はあるので、その計画には参加せず、手伝いにも加わらないつもりで、心を決めていた。 ところが、その計画は、実行段階に入って、別口から横やりが入り、頓挫したのである。それを知ったのは、一昨日の夜遅く、実行者からのメールだった。 強硬な反対意見があり、大がかりな形では実現不可能になったが、縮小したやり方で、まだやるつもりであることが書いてあった。しかし、自分が、早まって起こしたスタンドプレイについての、反省というか、認識はないように見えた。善意で始めたことが、ほかの力でつぶされることに、むしろ不満を持っているようだった。 「なんだか一本大事なことが欠けてるわねえ」というのが、5人のうちの私と、もう一人の人の感想である。残りの一人とは、この件では話してないので、どう思っているかわからないが、争いを好まない人だから、当たらずさわらずで、やり過ごしたかもしれない。 今回つぶしにかかったのは、組織の中での、バランス感覚と、ピラミッド型の人間関係を重視する男性群だった。しかし、公平に見て、彼らの収拾の仕方は、一つ上を行っていたと思う。 相手の状況や、周囲の人たちへの配慮を無視して、善意という旗印で(善意だけとしても)動いた人たちの、やや深みに欠けた実行の仕方が、そのままうまくいくとは思えない。 うまくいかなかった場合の逃げ道として、私が悪者にされる可能性もあったが、さすがに、そこまでには至らなかったらしい。「らしい」というのは、私の耳に直接はいらずに、言われているかもしれないからである。こんな話を、えさにして愉しむ人は、いくらでもいる。 張り切って、実行に取りかかった2人は、気の毒な結果となった。彼女たちは、大事なものを少なからず失ったことになる。いずれ、記憶から消え去ることではあろうが、あまりにも多くの人を巻き込んでしまったために、信頼感を損なってしまったであろうことは、否めない。 5人だけの、ささやかな話にとどめておけば、後味の悪いことにはならずにすんだであろうに。そして私も、これからは、人を見てものを言うべきだろう。 2002年03月24日 19時53分12秒
ここ2,3日、メールや電話で行き来していることで、大変戸惑っている。 先日、女5人で大変愉しかったことを書いた。 その中で、たまたま私がある話をした。それは、「こういうことがあったらいいんじゃないかしら」と言うぐらいの話題で、具体的なことではなかった。 ところが、その話が、いつの間にか大々的なキャンペーンのような話に発展していて、しかも、最初に言った私の存在などは何処かへ行ってしまい、別の人の考えた話として、あれよあれよと、広がっているのである。 どうも先日の5人のうちの二人が、実現に向けて、ほんの1,2日のうちに動き出したらしく、空中をメールと電話が飛び交っていたのだった。 私の所にメールが来たのは、今日になってからである。すでに話が一人歩きして、私の言ったこととは、全くべつの展開になってしまって、野火のように広がっていたのだった。計画自体は、良いことだから、それに異を唱えることはないかもしれない。 ただ、その話を具体化するなら、私には事前にひとこと言ってくれても良いんじゃないかと思った。少なくとも、その場に一緒にいたほかの3人には、「この間出た話を実行したいんだけど、いかがでしょうか」位の、根回しがあってしかるべきではないか。 そう言う手続きを省いて、いきなりメールで、「こういうことになりましたから、ご協力願います」では、ちょっとおかしな気がする。 こういうのを、抜け駆けとか、スタンドプレイとか、言うのではあるまいか。 人の話を、じっと聞いていて、黙って自分のアイデアのようにしてしまうのは、フェアではない。私には、こんなことは考えられない。 5人のうちの一人が、「失礼な話ね」と、憤慨して私に電話をかけてきた。「あなたが言い出したことでしょう」と、私に代わって、怒っている。 でも、ここで私が「あれは私が最初に考えたんです」と、主張することに、どんな利点があるだろう。自分の人間を下げるだけである。功を焦りたい人には、させておけばいい。組織の中で、人より抜きんでるためには、その位したたかでないとやっていけない。 こんなことは、政界の男社会の話かと思っていたが、女でも、すごい人がいるモンだと感心した。 私は、見かけによらずお人好しで、思ったことは、出し惜しみなくしゃべってしまうので、時々こういう目に遭うのである。 そして、なぜか、悪役に仕立て上げられたりする。 いきさつを訊いた連れ合いが言った。「その件に関しては、ノーコメントで通した方が良いよ。何か言えば、話に尾ひれがついて、ろくなことにはならないし、うまくいかなかった時は、きみのせいにされてしまうから」 その話が実行される頃、私は日本にいないので、却って好都合である。 最初に電話をかけてきた人が、全部のいきさつを知っているから、それだけでよい。 ただ、先日のせっかくの愉しい話に、妙なオチが付いてしまった。ちょっと残念である。 2002年03月22日 00時02分4 桜咲く 久しぶりに、繁華街に出た。連れあいと車で通る途中、桜並木があり、ほとんど満開で、小雨に少し散る風情もあり、早い花見となった。 今年は開花が早くて、この分では、4月にならないうちに、日本全国の桜が、咲ききってしまうかもしれない。 昨年、三春と言うところに、桜見物に出かけたが、4月半ば、もう散ってしまっていた。その前の年は、まだ開花していなかった。 毎年ここを訪れるという人に、連れて行ってもらったが、2年続きの空振りだった。今年は、まだ話が出てないが、もう咲いているかもしれない。 3月の桜というのは、なんだかそぐわない。やはり、4月になってから咲いて欲しい。 今月終わりに中国江南に行くが、菜の花の見頃だそうで、楽しみである。 魑魅魍魎の渦巻く人間界、でも美しい花は、それらのことを忘れさせてくれる。買い物をし、食事をして帰ってきた。今日は、しばらくぶりの雨で、少し助かる。多少、地面も潤うだろう。 2002年03月22日 21時26分38秒
昨夜、家人が、新しいプログラムを送ってやると言って、容量の大きなメールを添付ファイル付きで私のメールに送ってきた。 それを解凍してインストールしたが、途中でエラーがでて、強制終了となった。 今朝、ホームページの更新をしようと、ファイルをいじっていたら、文字トレイがでなくなったので、家人に応援を頼み、あちこちいじっていたら、とうとう、ウインドウズが動かなくなってしまった。 メーカーに訊いて、言われることは全部やってみたが、どうもだめなので、再インストールしかありませんという。 ところが、前回再インストールしてから調子が良かったので、しばらくファイルのバックアップをとっていなかった。再インストールするのは、難しくないが、データは全部消えてしまう。 ホームページは、前回の失敗の後、ウエブ上からテキストをコピーして、作成ソフトに貼り付け、背景の画像や写真、色をまた設定し直して、すべて新しくしたばかりである。再インストールすれば、ジオのツールは、そのまま残るが、作成ソフトにある分は、ウエブ上は表示されていても、原稿はすべて失われることになる。 もちろん、メールもなくなってしまう。ヤフーから取り込めるようにしてあるので、これからくるもの、すでに取り込んだものは大丈夫だが、大部分は、メールソフトのトレイに、そのまま入っているのである。 ショックだった。情けなくて、涙が出た。もう、インターネットなどやめようかと思った。この一月、深夜まで苦労して、書きためたものが、全部失われるとは! 所詮、器械の中の世界、あだ花なのか。この中にこもっている私の世界は、空虚な箱でしかないのか。人間より、器械の方が、力を持っているなんて。ミスを許さない世界なのか。 手書きで書いたものなら、消しゴムで消さない限り、残るであろうに。 ネットで、人と繋がっていると思うのも、もしかしたら、幻想かもしれぬ。 安易に書き、安易に送り、誰でも入れるが、心の届かない面もある。ネットの会話の、時として感じる空虚さ、冷たさ。削除すれば、消えてしまい、何も残らない。 人間的な感情まで、消えてしまいそうな危うさを持ったネットという世界。 私に本当にふさわしいところなのかどうか、この機会に考えてみたい。 2002年03月21日 00時15分47
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