沢の螢

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ぎっくり腰
2002年03月11日(月)

昼前、いすから立ち上がろうとした拍子に、腰にビリッと来て、またやってしまった。
これで何度目かのぎっくり腰。
最初は5年前、両親が家に引っ越してきて、荷物の片づけや、買い物など、多忙な毎日を過ごしていたとき、やはり、ちょっとしたきっかけで、ぎくりと来た。
整形外科に行き、牽引などいろいろやってみたが、一種の老化現象なので、気を付けるしかないことがわかり、無理な姿勢を取らないこと、筋肉を鍛えること、等々、日常生活の中で、ケアすることにした。それでも、マッサージに何ヶ月か通った。
今日は、パソコンの前で、少し長いこと腰掛けていたのがいけなかったらしい。
痛みがあったら仕方がないので、午後から横になり、日頃の寝不足もあって、4,5時間寝てしまった。
今日が短歌の締め切りなのを思い出し、そろそろ起きてみたら、どうやら大丈夫なので、短歌6首を清書、家人に投函してもらった。
ホームページやブックマークに入れてあるサイトを最終チェック、これで閉店とする。
2002年03月11日 00時03分01秒

ぎっくり腰続き
私の家系は、長命だが、どうも足腰に問題あるらしく、親兄弟とも、たいてい、一度ならず、ぎっくり腰のようなことに見舞われている。
そのくせ、歯は丈夫で、あまり歯医者に縁のある話は聞かない。
3,4年前、骨密度の検査をしたが、私の骨は、同年代の人の平均より、1割多いと言われた。
父も母も、何度も転んだりしているのに、それで骨が折れたことはない。2年前、父が風呂場で転んだときも、肋骨にちょっとひびが入ったが、レントゲンを撮ると、60代の骨だと言って、医者がびっくりしていた。
そのくせ、腰痛で動けずに3ヶ月勤めを休んだという経験はしている。
骨は丈夫だが、筋肉が弱いと言うことなのか。
腰痛は、寝ていても直るというわけではないらしい。むしろ、立って体を動かした方がいいような気がするが、今朝起きあがるのは、ちょっとつらかった。
ベッドの上で、夫の作った雑炊を食べ、しばらくしてそろそろ起きて、シャワーを浴びたりしていたら、何とか起きられそうなので、そのまま、一日過ごし、夫のいないのを幸い、パソコンなどのぞいているわけである。
今月終わりから、中国江南地方に行くことになっているが、大丈夫だろうか。
シナリオをまた一つアップした。誰も読んではいないような気がするが、段ボールの底に入ったままの作品を、画面に載せることで、私の気は済んでいる。
こんな事に夢中になっていたこともあったんだなあと言う、人生のある時期の思い出のようなものかもしれない。

2002年03月11日 22時45分19秒


春眠
2002年03月10日(日)

春らしく、暖かくなり、朝起きるつらさはなくなったが、その代わり、春は眠い季節である。
中国の詩に「春眠暁を覚えず」というのがあるが、春の眠気というのは、生理学的な根拠があるという話を、むかし聞いたことがある。
だからと言うわけではないが、私は、この春という季節が、あまり好きではない。若い頃は、この季節になると、顔がはれぼったくなり、目がショボショボして、うっとうしかった。そのころ花粉症というのは、なかったが、一種のアレルギー症状であろう。
子育ての頃は、春になると、卒業、進学などと言う、家族の行事があって、主婦には忙しい時期となる。
虫も人間もぞろぞろ這い出してくると、私の冬眠生活は、いやでも終わり、世間並みに立ち働かねばならなくなるからだ。
要するに、怠け者で、冬は寒いからと言っていいわけが立つが、春になると、そうはいかなくなると言うだけのことなのであろう。
さて、庭仕事に余念のないあるじのために、お茶でも入れるとしよう。

2002年03月10日 10時30分55秒


ご主人様
2002年03月09日(土)

自分の連れあいを、なんと呼ぶか。
ある年齢以上の女性なら一般的には、「主人」というのが多いのだろうか。そういう統計があるかどうか知らないが、私の見聞きした範囲は、そうである。
これは、口頭で話すときのことで、手紙や文章の場合は、ちょっと違う。私の場合、「連れ合い」「夫」「主人」「亭主」「同居人」「秘書」というのを、相手と場合によって使い分けている。このごろは「家人」というのもよく使う。元々は、男が妻乃至家の主婦を指した言葉らしいが、女が言ってもいいと思う。
日本語で、ずいぶんいろいろな言い方があるのに驚く。英語ならハズバンドの一語ですんでしまうのだろう。
最近の若い夫婦は、お互いを人に言うとき何というのだろうか。ひと頃は「パートナー」と言うのが流行ったが、最近はあまり聞かない。
「彼」「彼女」と言ったり、男なら旧来の「家内」「カミさん」というのも結構多い。「妻」という言い方は、あまりなじまないのか、たまに聞くと、ちょっと異質な感じがする。

連句の世界では、お互いをファーストネームで呼ぶ。「光男さん」「花子さん」という具合である。年に関係なく、まことに平等で、しかも、夫以外の男性から、ファーストネームを呼んでもらえるのは、新鮮でいい気持ちである。
ある時、急な連絡をすることがあって、仲間の男の人に電話した。出たのは、女の人だから、たぶん奥さんであろう。普通なら例えば、「青山さんですか」という風に、相手の苗字を確かめるところが、とっさに出てこなかった。いつもファーストネームを呼んでいるので、苗字が何だったか、ど忘れしたのである。あわてた私は、「・・さんをお願いできますか」と、その人のファーストネームを告げて、取り次ぎを頼んだ。すぐに本人が出てきて、用事は済んだ。
ところが、次に会ったとき、その人から「電話の時は、ご主人様とか何とか言ってくれた方が、家内に誤解されずにすむから」と言われて、びっくりした。
そんなに自分の亭主が、危なげな人だと思っているのだろうか、電話をかけたからって、どうと言うことはあるまいに、ずいぶん信用がないんだなあと思った。
私の連れ合いにその話をすると「まあ、それが世間の常識だから、ご主人様と言っておけば無難だよ」と笑っていた。
ちゃんと名前があるのだから、それを言って取り次いでもらう方が間違いがあるまいに、「ご主人様」とか「奥様」とか、曖昧な代名詞を使わなければならないなんて、ずいぶんおかしな話だ。
それ以来、私は、よほどのことでもない限り、男の人には電話しないことにしている。出てくるのは本人でないことが多く、手続きが面倒だからである。

2002年03月09日 00時37分26秒

Long and winding road.
今日はおもしろいテレビを見た。
アメリカで大型のRV車を生活の場として、旅して暮らす人たちが、増えているというのである。
大型観光バスの幅を少し広げたくらいのスペースに、家族4人ぐらいの生活必需品を積み込んで、広いアメリカを、気の向くままに旅して歩く。
ある夫婦は、子供が都会の生活になじまないことをきっかけに、自然の中で育てようと、二人の男の子を連れて、車の生活を選ぶ。学校に行く代わりに、車の中で勉強を教え、いろいろな人たちとの出会いを通して、子供に、ひととの関わりを学び取らせる。
また70過ぎの別の夫婦の場合は、妻がアルツハイマーの症状が進んで、車の移動が難しくなると、そうした移動生活者を対象としたケア付きの場所に移り、仲間の助けを借り、介護サービスを受けながら生活する。
高収入の仕事があるのに、あまりに忙しすぎて、家族との触れあいがない、今の生活を変えたいと、家を売り払って、家族一緒の旅の生活を選んだ若い夫婦など、興味深かった。そこにあるのは、共通して、人間らしい心の通い合いを大事にする人たちだった。
アフガンに乗り込んだ、ブッシュのアメリカとは違う人々の姿があった。今、こうしたキャンピングカーは、全米で1000万台もあるという。所々に、水や排水の設備を備えた拠点が出来ていて、専門の病院、いろいろなサービスも受けられるようになっているそうだ。
いかにも多様な社会を構成している、アメリカらしい話だと思った。
家とは何か、住まいとはどこか、家族は、そして人間のつきあいとは何かを、考えさせてくれた。そして、この生活の形が増えてきた大きな要因として、ネットの広がりがあるという。
移動生活者たちは、皆自分のホームページを持ち、同じような人たちとメールをやりとりしながら、互いに助け合い、行きずりの人たちと時にお茶会などもして、新しい形のつきあいを模索していた。そして、移動生活者たちの半分近くが、50歳以上の人たちなのだった。

2002年03月09日 23時01分58秒


「国語元年」
2002年03月08日(金)

紀伊國屋ホールに芝居を見に行った。
井上ひさし「国語元年」。初日だが、チケット完売で、補助いすも出ていた。
明治初め、日本人の話し言葉を全国統一するという案があって、それにまつわる悲喜こもごもの混乱を芝居にしたもの。
主人公の役人を演ずる佐藤B作はじめ、出演者が熱演で、活気のある舞台だった。10年以上前だと思うが、NHKでもドラマ化されて、川谷拓三が、役人を演じた。
この芝居は、私がいつも見ていて、時に書き込みさせてもらっているあるホームページを管理している人が、知らせてくれたので、一緒にチケットを取っていただいた。私は友達と一緒、その方も何人かの連れがあり、思わぬ初対面の挨拶も出来て、ひさし氏も加わった初日の乾杯にも参加させてもらって、よい夜だった。
いろいろな方言が出てくるので、台本を買って帰った。来週もう一度見に行くことになっている。

2002年03月08日 01時45分48秒


女の涙
2002年03月06日(水)

前外務大臣が、テレビで涙を見せたというので、「女の涙」が、ひとしきり話題となった。
泣いたりしそうもないように見られていた人だからだろうか。
でもわたしには、彼女の気持ちがわかるような気がする。あんな伏魔殿のようなところで、魑魅魍魎渦巻くところで、男たちにいじめ抜かれたら、情けなくて、悔し涙も出るだろう。首相の言う「女の涙」とは、違うような気がする。逆に彼女は、信頼していた男どもを見捨てたのである。
息子の妻は外資系の会社で働いている。仕事が出来るので、部下15人を抱える立場である。部下の中には、年上の男もいて、この連中が、時々、手の込んだ意地悪をするのだそうだ。
男というのは、自分より弱い立場の女には、優しかったり、親切だったりするが、一度ライバルと見なすや、同姓に対するよりも、敵愾心を持つらしい。正攻法でかなわないとなると、妙なところで男同士団結して、ネチネチとやるのだそうだ。
「そんな時どうするの」と訊いたら、「戦うしかありません」と、けろっとしていた。だから、涙はもとより、女の弱さを武器に使うようなことはしないので、男の何倍も仕事をしなければならず、疲れるらしい。
彼女も、なぜかそんなところだけ、姑である私に似て、不器用なのである。幸い、上司が理解があるので、助かっているそうだ。
息子は、よく彼女の話を聞いてやるらしい。「だからやっていけるんです」と言っていた。
私も、あまり泣く方ではないが、時々溜まったものが溢れてくるがごとく、わっとやることがある。誰もいないときが多い。さんざん泣くと、さっぱりして、気が楽になる。
今日も、とても悲しいことがあって、半日泣き暮らしたが、それで、諦めがついた。
次の日笑って過ごすための、人に与えられた自然の理かもしれない。

2002年03月06日 23時55分04秒


あひるの心
2002年03月05日(火)

人付き合いの下手な私だが、いくつかの会や、グループに身を置いている。
自分が好きで入っているのだから、だいたい楽しいことの方が多いが、時に愉快でないこともあるのは、どこの世界でも同じであろう。
私が一番傷つくのは、その中で、分け隔てされたとき。
他の人が知っていて、自分だけ知らされていないことが、後から解ったり、何らかの理由で、ほかの人たちが参加することに、誘われなかったりすると、ひどく悲しい思いをする。たとえそれが、思いやりや、配慮の故であったとしても、なぜ、言ってくれないんだろうと、思ってしまう。隠したってどうせわかるのに。
仲間はづれにするなら、完全犯罪でやってほしい。
疑心暗鬼になるまいと思いながら、偶然知った事実に、時に苦しい思いをしてしまう。しばらくそこに、足を向けたくなくなる。
いい年をした私でさえ、傷つくのだから、子供が学校などで、阻害されたときは、どんなにつらいだろう。
引きこもりや、不登校を、本人のせいにするのは間違いだと思う。そこへ行くまでの、心の軌跡があるのだ。

でもこんな時、私はなぜか連句や短歌が、湧き出てくる。楽しくてしょうがないときは、ちっとも出来ないから不思議である。
ブルーな心を逆手にとって、10日締め切りの短歌10首を、作るとしよう。

2002年03月05日 02時10分10秒

鶯来たりて

昼前パソコンをいじっていたら、二階の家人から内線がかかって、「鶯がいるよ」という。
すぐに見ればよかったのに、ちょうどホームページのデザインを変えたりしていたので、5,6分して庭を見たときは遅く、かの春告げ鳥は、去ってしまったらしかった。それに、コトとも鳴かなかったものだから、実感がなかった。
家人の話によると、鶯ははじめ、馬酔木の木にいて、梅に移り、それから椿の木に止まり、花の蜜を吸ったあと、どこかへ行ったらしい。
鶯は、何年か前までは、毎年来ていた。紅梅の木に止まって、たまにいい声を聞かせてくれた。いつ頃からか、うちにはあまり来なくなった。
うちから大通りに出る途中に、大きな屋敷があり、そこの庭にはよく来るらしく、季節になると、始終鳴き声がした。春と限らず、とんでもない時期に鳴いていたこともある。
それが今日、我が家に姿を見せたというのである。
惜しいことをした。パソコンなんか放り出して、鶯を見るべきだった。

昨日までしばらく続いた暖かさだったが、今日は真冬の寒さ。昨日クリーニング屋さんが来たので、厚いコートを出したところ。
まだまだ、本当の春には、間があるのだろう。
歳時記の上では、明日から仲春にはいる。
私のホームページのアクセス数が600を超えた。一日平均10件と言うところ。自分でも、5,6回は見るが、続けてのアクセスはカウントされないので、誰かが5人以上はクリックしていることになる。
でも、アクセスの数はどうでもいいこと。昔なら、机の引き出しにしまったままでいるしかないような私のページ、こういう場があって、ほんの少し社会とつながっている。
すでに出会ったかもしれないあなた、まだ見ぬあなた、これから出会うかもしれないあなたに向かって、こうして書いている。

2002年03月05日 19時20分23秒


余寒
2002年03月03日(日)

深川の連句会に出かけた。
昨日に比べると、寒い一日だった。前回、風邪でお休みの先生夫妻も見えて、25人ほど。
私の参加した席は、宗匠が半歌仙を捌いて一巻挙げ、少し時間があったので、私の捌きで半歌仙を巻かせてもらった。前の一巻が大変丁寧だったので、その余波をかって正味一時間半で終わった。
発句は先月の発句の会で、割に好評だった句
  春泥や党一門の靴の数
を使わせてもらった。詩情は薄いが、変わっていて、私は気に入っている。
終わってまっすぐ帰路に就く。うちの近くの駅ビルの本屋で、パソコンの本などみて、少し遅くなる。
今日は花粉の飛散が多かった模様。連句の会でも、くしゃみをしている人がいた。
歳時記による初春の時期も、後2,3日。
桜の木も、花の開花を準備しているのか、膨らんで見える。今年は、とうとう雪を見ないで終わるのだろうか。

2002年03月03日 23時46分34秒



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