昨日の話の続き。 結局、システムの復元などより、OSの再インストールをした方がいいということになり、連れ合いがやってくれるというので、頼んで連句の座に出かけた。 外出の間、もしやまた、ファイルがなくなったり、ホームページが消えたりしているのではないかという考えが、チラと胸をよぎったが、帰ってみると、「完璧にいったよ」という言葉で、ほっとした。 アウトルックエクスプレスも、復活したので、こちらに戻した。やはり使い慣れたソフトの方がいい。 早速留守中に入っていたメールを受信する。 お気に入りの欄が、保存されていなかったり、多少のミスもあるが、とりあえず、ホームページと、メールソフトが元に戻ったことでまずまず。自分ではできないことなので、やってくれた人をねぎらうべく、雛祭り用のちらし寿司を買って帰った。連れ合いの方は、昨日から私のパソコンに付き合って、もう、器械の顔も見たくないとか(本心はオマエの顔など見たくないというところだろう)。 暖かい一日。帰る頃には、少し風がでていたが、冬のコートが重く感じられる陽気だった。 明日も連句。寒くなるとの予報もあるが・・。 2002年03月02日 22時15分06秒
今日から三月、この日記も新しくしようかと思ったが、このまま追加して書き込むことにする。はじめから丁寧に見ているのは、たぶん本人だけだと思うのでー違ってたら嬉しいことだけどーページをあらためる意味は、余り無いように思うからだ。 行きずりの人も、私自身も、読み返したとき、前の記事があった方が、いいような気がする。 今日は、連れ合いが、私のパソコンにつないであるプリンターを、2階の自分の器械から使えるように設定しようと、あれこれいじっているうち、私の器械のほうがインターネットにつながらなくなってしまった。 今まで共有して使っていたのに、なんだか知らぬが、ネットワークの設定をやり直すとかで、手を加えているうち、おかしくなったのである。 プリントしたいものをフロッピーにでも入れて、私の器械から操作すればいいのに、そうした手間を惜しむのである。日頃、何かと助けてもらっているので、私もつい、協力していたのだが、こうなると、「よけいなことを」と、文句を言いたくなる。そのうち、連れ合いの方は、外出の時間になって、放り出したまま、出かけてしまった。 憤懣やるかたないので、居ない留守にこっそりテキの器械を使って、自分の日記にこうして書き込んでいる。 表向きは、私のホームページは見ないことになっているので、バレたとしても、テキは文句は言えないのである。 ついでに、いつも見ているお気に入りのサイト、五吟進行中の私のボードも、覗いてみた。進行状況を確認、明日は出かけることになっているが、ネットがつながるかどうか。 最近、ネットのトラブルは、あちこちであるらしい。接続を変えるのに、なかなか工事ができないとか、データが消えたなどの話を聞く。ウイルスのせいもあるのかもしれぬ。 メールが繋がらないと言う人がいて、送信も遠慮していたら、人によっては繋がっているとか、その辺はよくわからぬ。持ち主の好みに、器械も合わせているのだろう。 ともあれ、弥生の空は少し気まぐれ、明日あたりは天気が崩れそうだ。 2002年03月01日 20時25分35秒
新国立劇場のオペラを見てきた。今シーズン三回目。今日はマスネー作曲の「ウェルテル」。 これは初めてである。 ゲーテの「若きウェルテルの悩み」を、フランス人であるマスネーがオペラにしたもの。 ウェルテル役のジュセッペ・サバティーニはじめ、主な役三人がイタリア人、なかなかの熱演で、見応えがある舞台だった。 連れ合いは、いま花粉のシーズンなので、演奏中にくしゃみが出たら大変と、花粉防止のマスクをして出かけたが、幸い場内のエアコンが良かったのか、一度も発作におそわれることなく、気持ちよく鑑賞できたようだ。 いつも、この劇場では知った人に会うが、今日もつれ合いの元の職場の人が、夫婦で来ていた。 今シーズンは、あと5月に「トスか」を取ってある。 来シーズンの先行予約の案内が来ていて、演目を選ぶのに迷っているところ。「ルチア」「オテロ」「イル・トロバトーレ」、もう一つは「椿姫」か「ラ・ボエーム」かと、決めかねている。 新国立劇場は、オペラ劇場としては、いまの日本では最高なのではないだろうか。五十嵐喜芳が芸術監督になってから、オペラが充実してきた。日本人の歌手も、どんどんいい人が出ている。観客は、中年以上の人が大半で、落ち着いた雰囲気がある。 S席を二枚ずつ、4演目まとめて予約すると、けっこうな値段になるが、私は毛皮や着物、グルメといった趣味はないので、ささやかな贅沢のつもりで、夫婦の共通の趣味としてのオペラを愉しんでいる。 2002年02月28日 01時19分58秒 二月尽 今日で今年も6分の1が経過した。 新年を迎えたとき、まだ一年と思ったが、2月も終わるとなると、すぐに年があらたまってしまうような気がする。 いま、10年年下の人に会うと、若いなあと思うが、年上の人からは、こちらが若いと思われているのだ。だから、いま自分が生きている時を、一番いい時と思うようにしたい。 そうは言っても、やはり年々歳を重ねるのが、時としてつらいと思うことがある。 若さというのが理屈抜きに、キラキラと輝いていた日々、夢中で子育てしていた母としての毎日、海外で過ごした頃・・と、半世紀は瞬く間に過ぎて、いまは人生の秋と言ったところか。 シベリア横断鉄道の窓から眺めた残照の美しさを、我が人生の行く手に見るのは、虫が良すぎるだろうか。そこには、名残の薔薇も咲いているかも知れぬに・・・ああ! 2002年02月28日 22時57分28秒
私は夜型、寝るのが12時過ぎ、朝は7時前に起きれば早いほうである。 連れ合いは朝型だった。サラリーマン時代はいつも6時前に起き、食事や身支度に時間を掛けて、出かけていた。それに長年付き合ってきたので、私も5時半頃に起きる生活をしてきたが、連れ合いがリタイアして、それほど早く起きなくていいことになると、2時間ほどずれてしまった。もともと朝が弱いのに、無理して起きていたことが、よくわかった。 連れ合いの方は、しばらくは、早起きしていたが、私が目を覚まさないので、お腹をすかせたまま、待っていることになる。 「自分で朝ご飯ぐらい作れば」と、私はいうが、長年の習慣を変えるのは大変らしく、結局私の時間帯に合わせてしまい、いまや、夫婦そろって、朝寝となってしまった。 冬は寒いので、目を覚ましても、なかなか起きられず、寝物語ならぬ朝語りをして、部屋が暖まった頃に、やっと起き出す始末である。 暖かくなってきたので、こんな怠惰な生活をあらためなければいけない。 いつぞやは、8時前に電話を掛けてきた人がいて、寝起きの声で応対していたら、「風邪ですか」といわれてしまった。 今日は、遅い朝食のあと、連れ合いはスポーツジムに出かけた。 天気が悪いので、洗濯も掃除もしないつもりでいたら、昼前に日が差してきた。そこで、庭に水まきをした。私の部屋の窓の下に、チューリップの球根を植えたので、水をやった。10センチほどに伸びている。この暖かさが続けば、まもなく花が咲くだろう。 梅の花に気を取られていたが、南側の沈丁花が、ほぼ満開である。匂いが薄いのは、どういうわけだろう。大気汚染などと関係があるのだろうか。 私は、沈丁花の、花の咲かない赤紫のつぼみが好きなので、白い花を咲かせてしまうと、少し感興がそがれる。 水を撒いていると、南の家の気配が時々感じられることがある。しかし、今日はひっそりしている。最近、明治生まれの奥さんが亡くなり、ご主人も入院中なので、前に来ていたお手伝いさんや、介護の人たちが来なくなったのだろう。 どんなに仲の良い夫婦でも、どちらかが先に逝く。私は、連れ合いのいなくなったあとの人生は、想像が付かないので、出来れば自分がお先に失礼したいが、これだけは神様の思し召し、ケンカしながら、揃っている時を、大事に過ごすべきかもしれない。 2002年02月27日 14時02分27秒
・・・の喩え通り、また保存の失敗をした。アクセスう数500を超えたなどと、ちょっといい気になっていた矢先である。 エッセイをひとつ書き足そうと、入力をはじめ、途中で音楽会に行く時間になった。そこで、いったん止め、保存をして出かけた。 佐藤美枝子のソプラノリサイタルはすばらしかった。得意の「ルチア」のアリアも、ベリーニや、ドニゼッティも、コロラチュアの声に合って、見事な技巧だった。 いい気持ちで帰ってきて、さてと、書きかけのファイルを開けたら、なんと、私のホームページ7ページ分のうち、6ページ分が真っ白になっているではないか。 あわててあちこち開けてみたが、どうも保存のやり方が悪くて、書きかけの7枚目に、6枚の白紙が付いて、上書きしてしまったらしい。 でもウエブ上では、元のまま表示されている。 制作ソフトに入った原稿がなくなったというわけである。 原稿がなくても、表示されている状態のままで良ければ、しばらくそのままにしておけばいいのである。しかし、原稿を直したり、書き加えるときは、ウエブ上では出来ないので、ソフトのファイルを開いて、操作し、アップロードする必要がある。まずは表紙からリンクさせて、別のページに飛ばすことが出来ないと困るのだ。 一昼夜して、家人が、「ウエブ上のテキストをコピーして白紙に貼り付け、背景やレイアウトだけ作ったら、それでいいんじゃない?」と言い出した。そこでやってみた。 表示されている私のページのテキストだけコピーし、ソフトの中で白紙状態になっているページに貼り付けてみた。文字化けするのではと危ぶんだが、そのまま表示された。今度は、そのページに、背景の色や区切り線を入れ、テキストの位置とフォントを修正しながら、、段落ごとに、コピー、切り取り、貼り付けを繰り返して、どうやらもとの原稿に近いものが復元した。 どうせ作り変えるのだからと、表紙は壁紙と写真を一新、レイアウトを少し変え、リンクもやり直して無事完了。ほっとした。 2ページ以下は、まだ出力していないので、いまウエブ上に表示されているのは、原稿がなくなったページの分である。いま、1ページずつ、再構成しているところである。 制作ソフトは便利だが、こういう失敗もある。ハイパーテキストの知識があれば、自分で作る方がいいと思う。 でもジオのツールは、ソフトのページと関係ないので、こういうときでもちゃんとファイルマネージャーで編集できるのが嬉しい。 制作ソフトは、ファイルマネージャーで見ることは出来るが、直接編集できないところが弱点である。 でも失敗したおかげで、またひとつ覚えた。表紙も新しくなった。過去にこだわらず、前進していくのが、この世界の気の持ち方かもしれない。 2002年02月26日 12時12分45秒 梅の香り 我が家の紅梅がほぼ満開である。 二階の窓から全景を見ると、この木を中心に野鳥が訪れている。 下では、木を見上げることになるが、よい香りが漂う。少し大きくなりすぎて、形が悪くなってしまったが、10年前はもうすこし花の数が多かった。毎年庭師が手入れをしているが、枝を切りつめても、木はどんどん大きくなり、広がりすぎて、花が減ったように思う。 鵯は、花の蜜を吸ったついでに、花びらを落としてゆく。ほかの小さな鳥たちは、新芽に付いた虫を食べてくれる。冬の間、野鳥のための餌台をしつらえて、麻の実やトウモロコシ、バナナやみかん、特製のバードケーキを置いておく。 ケーキは、粉、マーガリン、砂糖を4.2.1の割合でこねて、細長く丸め、円筒型の網に入れておく。これはどの鳥も好きで、四十雀、雀、鵯、目白の好物である。粉とマーガリンがすぐなくなってしまう。 暖かくなると、餌台は片づけることにしている。野鳥が持つ、自然の力を衰えさせてはいけないからだ。 巣箱も木に仕掛けてあるが、お目当ての四十雀がなかなか入ってくれない。何年か前、珍しく四十雀が巣箱に入ったことがあり、育雛の有様をつぶさに観察した。雛が育つまで、道路側の垣根に「四十雀が子育てしています。お静かに」という札を掛けておいた。 木と野鳥は、お互いに持ちつ持たれつの関係にある。自然の営みに、感慨を覚える季節である。 2002年02月26日 22時36分01秒
「茉莉花の部屋」のカウンター数が500を超えた。 ホームページを作ろうと思い立ったのが暮れの半ば。きっかけは、ネットで連句をするための掲示板がほしかったからである。 連句は、一か所に集まって、座を作ってやるのが本来の姿で、私もその形が好きだが、どこでも、誰とでもというわけに行かないところがある。「いらっしゃい」と誘われれば、なるべく参加することにしているが、人付き合いの下手な私には、なかなか声がかからないし、時間と場所が合わなかったり、行っても雰囲気に馴染まなかったりする。 そこで、昨年になって、パソコンの操作でメールぐらい出来るようになったのをきっかけに、メールの連句をしてみた。もちろん、付き合ってくれる人がいての話である。 はじめは戸惑ったが、やってみると面白いし、座と違って、考える時間があるので、私には、とてもいい勉強になった。また、連句の付け合いに伴って、いろいろなおしゃべりが出来るのも、愉しかった。そのうち、ネット連句のサイトにも、参加してみたりして、すっかりはまってしまった。 掲示板を使えば、4,5人でもうまく運ぶこともわかり、それを設置するには自分のホームページを持っている必要があったので、あまり後先を考えずに、ジオに申し込んだというわけである。 掲示板は、ホームページを持っていなくても借りられることが、あとで解ったが、せっかく作ったのだから、連句だけでなく、私の日記帳代わりに、使ってみることにした。 まず、ジオの既製品で、表紙を作った。しかし、10日もすると、オリジナルなものに変えたくなり、ホームページ制作ソフトを使って、作り替えた。暮れから正月に掛けて、しばらくそのままにしておいた。 年が明けて2,3日して、エッセイをひとつアップロードし、表紙の写真を変えたり、レイアウトを直したりしているうちに、器械が動かなくなり、10日ほど、アドレス不表示になった。 何とかだましだましで、日記を書き続け、片や、別のところから掲示板を借りて、連句の準備をしていたら、器械の調子がますますおかしくなり、メーカーに問い合わせたら、修理に出さねばだめだという。そこで、また2週間のブランクが出来た。パソコンは、手元になくても、ウエブ上では、ホームページはちゃんと表示されていて、時々家人のパソコンから覗かせて貰った。主不在のゲストブックに、お客さんの投稿があったときは、嬉しかった。 やがて器械は戻ったが、保存のやり方を間違ったため、ホームページを全面的に作り直した。写真も、壁紙の色も、レイアウトも一新し、中途半端なエッセイは破棄、制作ソフトもインストールし直した。 ジオのゲストブックは、前のまま、日記は月が変わったので新しく設置、カウンターは前の数字が生きていたので、そのまま新しい表紙にくっつけた。 だから500というカウンターの数字は、約一ヶ月間のアクセス数ということになる。 自分でも日に5,6回はアクセスするので、それを除けば、ひとがアクセスしたのは一日平均14,5回ということになるだろうか。 ページを作り替えてから2週間の間に、シナリオやエッセイ、日記をせっせと書き込んだので、やっと7ページになった。 家族や友人など、顔見知りのひとにはほとんど知らせてないので、アクセスしてくれたひとは、新しいネット上のお客さんである。 正直なところ、500件のアクセスがあるとは思ってなかったので、行きずりに開けてくれた人がそれだけいることは、嬉しい。 無理をせず、自分のスタイルで、少しずつ、中身を増やしていきたいと思う。 私の部屋に来てくださった方、有り難うございます。 2002年02月25日 00時13分05秒
久しぶりに見たテレビに感動した。 兵庫県のある公立病院で、車いすを使わない介護に取り組み、その結果、いままで歩けなかった年寄りが、少しずつ歩けるようになったという話である。 脳梗塞などで倒れ、手足に麻痺が残ると、車いすになり、本人も周囲も、歩けないとあきらめてしまうのが、これまでの常識だった。 でも、ある女性医師が、車いすというものが、歩く能力を奪っていることを指摘し、生活動作の中でリハビリを行うことを提唱し、病院あげて取り組んでいく現場の三ヶ月を追っていた。 歩くことに、具体的な目標を、それぞれの人の生活の中から見いだし、それに合わせた訓練をする。ある女性は、三ヶ月あとに控えた孫娘の結婚式に出たいという。またある男性は、入院するまで花壇を作っていた。そこで、療法士は、病室の廊下に四角いコンテナと、鉢植えの花をしつらえ、その場所まで10メートルの距離を歩くべく、リハビリを持ちかける。 動かない足に特別の靴をセットし、残った体の力を使って、毎日訓練した結果、歩けるようになったのである。その姿は感動的だった。 歩くということがいかに大切か、私も経験がある。15年ほど前、大病して3ヶ月入院した。状態の悪かった一月は、検査や診療を受けに行くのに車いすだった。だんだん回復して、終わりの半月ほどは、なるべく病院内を歩くようにしたが、それでも、体力がびっくりするほど落ちているのが自分でも解った。階段を下りるのに、手すりにつかまらなければならず、立ったりしゃがんだりの動作が出来なくなっていた。筋肉は、使わなければ、年に関係なくだめになるのだと、痛感した。 退院してしばらくは、常用していた自転車が、怖くて乗れなかった。元の体力に戻るのに、一月かかった。 先日、母の元を訪れたとき、父があまり歩かないので、足が弱くなったと言っていた。寒いときに風邪でも引くといけないからと、外に出なかったらしい。介護付きマンションの筈だが、散歩をさせてくれる手がないと見える。 暖かい日に、時々行って、父の散歩に付き合ってあげたいと思う。 2002年02月23日 23時59分01秒
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