・・・というのは、人間ではなくて、パソコンの話である。 私のハードディスクがおかしくなったので、2週間の入院を余儀なくされることになり、それに備えてディスクの中身をCD-ROMに保存することになった。 ここで私が、如何にメカに弱いかという笑い話になるのだが、私は自分のパソコンに写っているものは、パソコンがなくなると、全部無くなってしまうのかと思い、ホームページも、いつも見ているインターネット上のサイトも、こちらが入院している間は、表示されないものだと思いこんでいたのである。 こういうものは、全部ウエブ上にあり、サーバーのところにあるので、私の器械と関係なく表示されるのだと聞いて、ホッとした。 だから、こうして書いているこの日記も、私がいない間、誰かが見ようと思えば、ちゃんと表示されるのだ。 考えてみれば、当たり前だが、アナログ人間は、自分中心にしか、考えられないのである。だから、せっせと、無駄な作業をしていたのだった。 「そんなことも知らないで、よくインターネットなんかやってるねえ」と、家人が呆れて、ファイルのコピーを手伝ってくれた。お陰で無事完了。あとは、ディスクから、それらを削除してしまえばいいのである。 さあ、明日から、しばしパソコンともお別れ、半年付き合ってくれて、入院することになった器械に別れるのは、恋人と別れるような気持ちである。 私の癇癪の的になり、しばしばつらく当たってしまった私のパソコン殿に、「ゴメンネ」と、ひそかに頭を撫でてやった。 退院してきたら、今度は、もう少し大事にしてやりたい。 2002年01月27日 13時45分18秒
昨日から、何度も日記を開いている。 あと2日ばかりしたら、パソコンを入院させなければならず、当分書き込みが出来ないので、思ったことは、書いてしまいたいという気持ちである。 昨日、4,5年前に一日1万件のアクセスを数えたという、人気ホームページを持っていた人の本を読んだ。今、そのホームページが存在するかどうかは知らない。図書館で借りたので、この種の本としては、古い方であろう。ただ、そうした人気ホームページを持っていた人の、考え方というか、ノウハウが、ちょっと面白かった。 ホームページを作る人の行き方は、大きく言って二つに分かれるようだ。 自分のために作る人。 ひとのために作る人。 勿論、両方とも兼ね備えている方が普通だが、どちらに重点を置いているかということである。 この人は、徹底して、後者に属している。ホームページを見にくる人を、大切なお客と見なし、お客をどのようにもてなすかに、大変なエネルギーを使っている。お客が入りやすく、気持ちよく寛いで貰うための、お茶の入れ方から、ちょっとしたお土産まで用意して、次回も来て貰うための工夫を怠らない。その結果、立ち上げていくらもしないうちから、アクセス数は見る見る増え、マスコミにも取り上げられて、大変な繁盛だったようである。仕事を持ちながらの、ホームページの管理も大変だったろうが、この人は、寝る時間も惜しんで、まめに更新し、お客を愉しませるページづくりに情熱を傾けていたらしい。 読んでいて感嘆すると共に、私にはとても真似出来ないなと思った。私は、多分、前者の行き方をとる。ホームページを立ち上げたのは、まず自分のため、自己表現の場としてである。だが、私は自分の表現したものに、人を愉しませるような力のないことを、知っている。その上、現実の私を知っている人には、ほとんど知らせていない。私は、ここでは現実の世界と違ったところで生きたいと思い、そのための場としてこのページをつくったのだから、現実の私を知っている人によって、日常に引き戻されたくないのである。 心のありどころを感じて、私の二面性を理解し、それを大事にしてくれると信じられる人にだけ、ホームページの存在を証してある。現実の私を知らない人は、このページの私だけを見てくれるのだから、それでいいのである。ただ、私は、お客のもてなし方が下手なので、折角、ここを訪れてくれた人が、一度覗いただけで、次は来ないと言うことも多いだろう。 それでもいい。その上で、一人でも、常連のお客になってくれたら、多分、その人とは本当の話が出来るだろう。 さあ、ご馳走はありませんが、どうぞごゆっくりなさってください。 2002年01月26日 00時16分05秒 小朝を聴く きょうは寒いようだ。いまにも雪が降りそうな曇天である。暖かい日が続いたので、これからが本当の寒さになるかも知れない。 小朝を聴きに行った。歩いてすぐの、市の公会堂は、満員だった。小朝をナマで聴くのは始めてである。さすが、話はうまい。私は、落語には詳しくないが、小朝は一度聴きたいと思っていた。 きょうは、「温泉にいきたくない話」という新作、それに越路吹雪の生と死を題材にした人情噺。演目は、当日まで伏せてあったので、古典落語を期待してきた客は、ちょっと失望したかも知れない。私は、それなりに面白く、良く笑わせて貰った。 2時間過ぎて外に出ると、まだ雪は降っていなかったが、今夜は多分、少しちらつくだろう。 ファイルの保存をして、早めに寝るとしよう。 2002年01月26日 16時36分25秒
今朝、テレビで小沢征爾がしゃべっていた。 良く知られていることは、ここでは繰り返さない。ひとつ、「これからの夢は?」と訊かれて、「優秀な若い人たちを育てたい」と答えていた。そして彼は、その夢を実行に向けて、いろいろな試みをしているらしい。今66歳、この秋からウイーン歌劇場の芸術監督という、ひとつの頂点に上り詰めた人の、実現可能な夢であろう。 ヨーロッパのサロンが、音楽や文学などの芸術をはぐくむ土壌をなしていたことは、良く知られている。貴族の婦人たちは、若い芸術家を育てるために、費用を惜しまなかった。いま残っている美しい建築、絵画、庭園、音楽遺産は、その時代の名残である。当時は一部の人たちだけのものであったかも知れないが、お陰で、今日の私たちが、そうした文化的遺産に接することが出来るわけである。 もし私が、とてつもない財産を持っていたとしたら、やはり若い芸術家を育てると言うことをしてみたい。才能を見込んだ若い人を留学でも何でもさせて、教育の機会を与え、あらゆるチャンスを探して、才能を伸ばして貰う。 勿論、こんなことは、絶対実現不可能な、夢の中の夢である。 小沢征爾を、ナマで鑑賞したのは二回ある。最初は、彼がまだ30代半ばの頃、その頃彼の妻であった江戸京子がピアニストで、共演した。演奏が終わって、舞台から退いていくピアニストの後ろから、ねぎらいの拍手をしながら付いていった小沢の姿を覚えている。江戸京子の父、江戸英雄氏は財界人、小沢がヨーロッパ留学中の無名の頃から、何かとバックアップしていたことは、知られている。その後小沢は、別の人と再婚した。 二度目は、一五,六年後のイギリスで。 ヒルデガルト・ベーレンス、クリスタ・ルートヴィッヒといった凄い歌手たちを率いて、ステージ方式によるオペラ「エレクトラ」を演奏した。指揮者と歌手たちが、互角に戦っているような、迫力ある舞台だった。終わって、出演者を交えたパーティーがあり、小沢征爾となんとか話したかったが、彼の周りは人が一杯で、とても近づけなかった。代わりに、出演者の誰かからサインを貰ったが、そのプログラムが、どこかにしまったまま、出てこない。 日本では、チケット代が高すぎて、音楽会へ行く機会も限られてしまう。でもナマの音楽はやはり愉しい。クラシックに限らず、良い演奏に接する事が出来たら、幸せだと思う。 2002年01月25日 11時03分05秒 時候挨拶 年賀状の返事の中には、不祝儀があって、それほど親しくない人には前もって知らせないから、こちらは知らずに、年賀状を出し、その返事として、寒中見舞いや、季節の挨拶が届くことがある。事由を書いてあるものも、わけは書かずに、時候の挨拶を延べているものもさまざまである。 ただきょう来た、挨拶状を見て、ちょっと考え込んでしまった。 差出人は一人、しかし文中には、家族でもない人たちが一緒に記入してある。私の知っているグループのメンバーである。はじめは、グループの中心にいる人たちが、連名で、メンバーの人たちに、時候の挨拶を出したのかと思った。しかし、そのようなことはどこにも書いてない。多分、差出人が、何らかのわけがあって、年賀状を出す代わりに、時候の挨拶状をくれたのだと思う。 しかし、差出人の、挨拶の背景を思いやる前に、私は、文中に共同で載っているほかの人たちの、意味のほうを考えてしまった。 2002年01月25日 13時37分40秒 体磨き スポーツクラブに入って2年、はじめはせっせと通っていたが、だんだん行かなくなり、この一年ほどは、ほとんど行くことはなく、月7000円の会費だけ引き落とされていた。 タオルやエクササイズ用のウエア、スポーツシューズなど、一荷物抱えて、バスで行くのが、面倒になったのである。更に、この一年は、インターネットに費やす時間が増え、なかなかスポーツクラブに行く時間もなくなってしまった。 それなら早く止めてしまえばいいのに、今まで引きずってきたのは、なんとか会費を取り返してやろうと思ったからで、そのうち、ちょいちょい行って、トレーニングを重ね、払った会費の元を取ってやろうと思ったのだった。 しかし、そんなことは出来そうもないので、きょう思い切って、退会手続きをした。折角行ったのだからと、シャワーを使って帰ってきた。 ジムの体重計で測ったら、2キロほど増えていた。正月の食生活と、冬眠にかまけて、体を動かさなかったからである。今後は、せいぜい、散歩でもして、脂肪を減らさなければならない。 家人は、一年前に、私とは違うスポーツクラブに入り、週2回のプログラムを欠かさない。その日は、朝10時になると、荷物を詰め込んで、車で出かけていく。そして、インストラクターの指導でトレーニングをこなして、汗を流し、お風呂に入って帰ってくる。家を出てから帰るまで、約3時間、いい時間の使い方だと思う。 前にも失敗しながら、私がまたスポーツジムなどに入ってしまったのは、ある友達の示唆による。私よりひとつ年上の、その人は、シャンソンを習っていて、いずれライブハウスで唄うのだと張り切っている。いつか、何年ぶりかで会ったら、以前と見違えるようにスリムになり、すっかりあか抜けて、オートクチュールのドレスなど身につけて、婉然とほほえんでいた。そして、私に向かってこう言ったのである。 「あなた、少し体を磨かなくちゃあ、それじゃあタダのおばさんよ」 こんなことを言われて、黙って引っ込んでいるわけに行かない。一念発起して、またスポーツジムに申し込んだ。ところが、見事に挫折したというわけである。 彼女は、自分で思い立ったらやり遂げる人。毎日速歩30分、一日2回というのを、半年続けて、7キロ体重を減らし、若い頃「ローレン・バコールに似ている」と言われた、自慢の尖った顎を取り戻したそうだ。トレーニングをしている期間は、ほかのことを一切止めて、そのことに専念したというから凄い。 私は、意志薄弱、自分に甘いから、とても同じには行かない。恋をして、その相手から言われたらやるだろうか。いや、やっぱりやらないだろう。でも、100万円やるから10キロ減らせといわれたら、やるかも知れない。なんともはや。 2002年01月25日 20時41分53秒
日が永くなった。5時半近くに外を通ったが、薄暮。試験の帰りである。8題のうち、4題選んで書けという、記述式のもの。昨日、おとといと、ノートを読み返したが、もう私の年になったら、暗記はダメ、そんな問題だったらお手上げだが、今日のようなものなら、百点は取れずとも、落第と言うことはないだろうから、ホッとした。さっさと書き上げて、途中で退出。ほかの5人も、相前後して終わった。 試験というのは、好きな人はあまりいないだろうが、人生の節目に、何らかの形で、自分を評価される場面に出会うということは、避けて通れない。入学試験、就職試験、学校での年に何回かのテスト、運転免許の試験、さらには友達や恋人、配偶者、地域の人たち、エトセトラ・・。ペーパーや言葉に寄らない評価まで含めると、生涯に何回試験にさらされるのだろう。 でも、私ぐらいの年になると、かなり図々しくなって、試験をする相手を、反対にこちらから試験してみたりする。今日も、書きながら、「この問題の出し方は、まあまあだ」なんて、お腹の中でひそかに、及第点を、差し上げて置いた。 ここまで書いて気づいた。私らしくもなく、普段禁句にしている「この年になると・・」なんて言葉を使ってしまった。 これで、学業は、4月までお休み。さあ、パソコンの入院に備えて、ファイルのコピーにかからねば・・。 2002年01月23日 18時58分35秒
ガラスの靴女はいつも探してるきっとあるわとおとなになっても (初出「桃李歌壇」) 高校の時、つき合っていた男の子は、大学の付属の男子校に通う、理科系の子だった。当時は、つき合うと言っても、博物館だの、美術館へ行き、街の本屋を覗いたりがせいぜい、喫茶店にも入ったことはなく、何ともかわいらしい、純朴な付き合い方だった。彼は私を喜ばせようとして、自分の興味のある「小西六ギャラリー」とか、「アイソトープ展示会」みたいなものに連れて行くのだが、私はちっとも面白くなかった。 私は、当時の文学少女で、アンドレ・ジイドや、ヘミングウエイなどの外国文学、フランスやイギリスの映画が好きで、そういう話をしたいのに、あちらはまったく興味を示さない。だんだんつまらなくなり、大学に入る頃から疎遠になって、自然に付き合わなくなってしまった。 一度だけ、本屋でばったり出会ったことがあり、「相変わらず、本が好きだね」と、向こうは懐かしそうに話しかけたのに、私は、その頃別の世界が愉しくなっていたので、ろくに返事もせずに、その場を離れてしまった。 それから十数年たって、荷物を整理していたら、高校時代にその人と交わした手紙の束が、そっくり出てきた。人から貰った手紙は、大事にとって置くほうだったから、生活の変化で何度か住まいが変わっても、もって歩いていたのだろう。こういう時代もあったと懐かしく読み返していたら、私は大事なことを見落としていたことに気づいた。 高校生の時、つまらない人だと思っていた人が、文面から、生き生きと立ちのぼって来るではないか。礼儀正しく、人生を真摯に考え、私の心に近づこうと努力し、誠実に言葉を受け止めている、彼の人となりが、良く解るのだ。どうして気づかなかったのだろう。 私は、彼の良さを少しも分かろうとせず、大事なことに気づかずにいたのだ。私はなんと、軽薄な人間だったのだろうと、胸が痛んだ。 この年頃の女の子は、男の子というものを、本当には理解できないのかもしれない。男の子のほうも、多分そうだ。でも、理解しているかのように思い、人生を共にするうちに、お互いの落差に気づいたりするのかも知れない。 街中で、若いカップルに出会うと、ふとよぎる想い出である。 バラ色とはとてもゆかぬがそこそこの水色くらい私の人生 (初出「生方卓の社会思想史」) 2002年01月22日 17時25分12秒
私は、家ではワイン少しぐらいだが、外では、少しばかりお酒をたしなむ。良い呑み相手、いい状況の時だけであるが・・。 しかし、昨日は良くなかった。一緒に呑んだ相手が、悪い冗談を連発して、私の人格を損ねるような誤解を周囲に与えたからである。しかも、帰りの電車まで一緒だったのが、それに輪を掛けた。途中で席を立つなり、はじめから参加しないようにすれば良かったと、つくづく後悔した。それをしなかったのは、その人が、その集まりでの客分だったからで、私は、行きがかり上、彼の世話役になっていたからである。 あまりお酒を飲まない人たちの集まりだったから、彼は、調子が狂ったのかも知れない。いつもなら、呑み仲間の中で、適当にやっつけられるところが、彼の独壇場になってしまい、つい、羽目をはづしたのかも知れない。 ともかく、私にとっては、何とも後味の悪い酒になってしまった。 場をわきまえずに、なんでもしゃべってしまう人、特に、男でそれをやる人というのは、あまり気を許してはいけないと言うのが、私の得た教訓である。 2002年01月21日 10時04分21秒 ネット休暇 最近、パソコンが始終エラー信号が出たり、フリーズして強制終了させたり、などと言うことを繰り返していたが、とうとうスキャンディスクも働かなくなった。メーカーに問い合わせると、ハードが壊れているので、修理しなければダメだという。 ホームページを作るのに、大分間違った操作をしているし、ウイルスバスターのアップデートも、器械の負担ではあるようだ。仕方ないので、来週の月曜日から修理に出すことになり、それまでに、ファイルやフォルダーなど、全部をCDに保存しなければならず、一仕事である。幸いなことに、私はまだネット初心者、メール交信の相手も10人足らず、ホームページも立ち上げたばかりで公開してないから、それほど被害はないが・・。 いつも見ているいくつかのサイトに、参加できないとか、計画中のものを延期しなければならないなど、多少のことはある。 夕べ、関係者にメールで連絡した。「お大事に」などという返信があり、こう言うときには、そういう表現を使うのかと、ひとつ覚えた。ネット中毒になりかけていたので、この際、2週間、そういうものから離れるのもいいかも知れないと、自らを慰める次第。 2002年01月21日 13時06分56秒
歯の値段 テレビで松田聖子と天童よしみが競演していたので、最後まで見てしまった。 聖子は、デビュー当時、なんて歌の下手な子だろうと思っていたが、今やすっかり大人の歌唄いになったようで、ちょっと感心してしまった。 もう一つ注目した理由は、彼女の歯である。ひと頃彼女は、審美歯科医と結婚していて、歯をすっかり綺麗にして貰い、その値段が、500万円とか言っていて、ビックリしたのだが、そんなに現実離れをした話ではないらしい。 家人が、若い頃から歯医者とは縁が切れないのだが、いよいよ入れ歯を作らねばならなくなり、上下あわせて200万円もかかるという。保険の利かない材料を使わないとダメなんだそうで、ホントかいなと思うが、本当なんだという。最近、歯医者へ行くと、ケーキなぞ貰ってくるのでおかしいと思っていたが、歯医者の上客なんである。 「歯のあと、どうやって食べていくのよ」と、言いたくなる。いくら保険が利かないからって、ちょっとおかしいのじゃあるまいか。 でもそんなこと言うのは、わたしが親から貰った丈夫な歯を持っているからで、歯の悪い人は、悩みは深刻らしい。 色気のない話で締めくくる。 2002年01月19日 00時40分20秒 初懐紙 今年はじめてと言っていい大勢の連句会。 土曜日なのでいつもより参加者多く、賑やかな会であった。わたしの席は8人。 いいメンバーで、愉しく過ごすことが出来た。こういう集まりで、メンバーの組み合わせによっては、あまり気の乗らないときがある。 今日は幸せなことに、捌きよし、連衆よし、食事よしの、気持ちのよい一日だった。二次会で、一杯飲んで、帰宅8時半。 昨年は、気の合う人が居ずに、一人寂しく帰ったものだ。 ネットの連句も愉しいが、今日のような集まりに遭遇すると、やはり座の連句の良さを痛感する。最近、2ヶ月近く、あまり座に出なかったが、今年は、なるべく機会を捉えて、出ようと思う。 2002年01月19日 21時47分
|