暮れに思い立ってホームページを立ち上げてみたものの、なかなか厄介なものであることを感じる。と言ってもまだ準備中で、表紙を作っただけだが、私の技術では、手に負えぬことしばしば。 ジオにアドレスを取り、2週間以内に作れと言うので、ジオにある作成ウイザードの中から一つ選び、取りあえず、最初のページだけ設定した。そのまま、3ヶ月おいておくつもりでいたが、矢張りいろいろ欲が出て、デザインなどを替えたくなり、今度は「ホームページ制作王」を使って編集した。気に入った写真を貼り付け、文字の仕様も替えて作り直し、送信した。ところが、何度かページを上書きしている内に、だんだんおかしくなった。夕べはとうとう、表示されたテキストが文字化けし、そのうち、器械がフリーズしてしまい、強制終了の事態になった。 私のやり方に根本的な間違いがあるらしいことは、想像できる。相手は器械、怒っても仕方がないと分かっているが、もう、窓から放り投げたい気分である。私が男だったら、「この、言うこと聞かぬアマ!」とかなんとか、怒鳴りたいところ。 今朝起きて、ファイルマネージャーを開き、全部を削除した。この日記や、ゲストブックは、別立てで取ってあるので、また気を取り直して、新しい表紙を作り、リンクさせようと思う。いやはや。 2002年01月05日 12時32分49秒 ホームページ消滅 頑固な器械に、遂に根負けして、しばらくホームページの制作は、諦めることにした。 ゲストブックも、まだ誰も書き込んでおらず、表紙だけだったのが不幸中の幸い、この際、元の活字人間に戻っても悪くないか。図書館から借りた本も、手を付けぬままだし・・と、我が身を慰める次第。 2002年01月05日 19時28分54秒
ひととは誠実につき合いたいと思っている。少なくとも、自分が好意を持ち、良い人間関係を持ちたいと思った相手とは、そのための努力をしているつもりだ。しかし、人の心は、単純ではない。こちらの思いが通じずに、些細な誤解や、争いを引き起こすことがある。 この一年の間にも、私にとって残念な、と言うより、寂しい思いをしたことがいくつかあった。それは、自分では良かれと思ってしたことが、良くない結果に繋がったことなのだが、多分相手も善意であることが分かるだけに、トコトン話をすることが、お互いを傷つけるような気がして、途中で諦めてしまったからなのだが・・。 「大人の付き合い」というのが、多分私は下手なのだろう。「どうしてそんなところまでつき合うの。相手を見極めて、適当に合わせていれば、愉しいだけですむのに」と、言われたことがある。そうだなあと思い、時々試みてみるが、やはり性格というのは、直らないらしい。 かくして、私の人間関係は、年々狭まりつつある。 言わでものこと口にせし不快に耐えて眺む満天星は濃く色づきてあり 2002年01月04日 08時33分11秒
テレビで、ニューイヤーオペラコンサート、および小沢征爾指揮のウイーンフィルを見る(聴く)。美しい声、美しい音、そして美しいバレエ。美しいものを見たり聴いたりするのが、私は好きだ。特に、美しい人間の声で歌われた歌は、この世でもっとも素晴らしいものの一つだと思える。 9月に新国立劇場で見たオペラ「トウランドット」、この中で砂川涼子が歌ったリューのアリア「氷のような姫君の心も」は、絶品だった。恋人の命乞いをする切々とした歌、聴いていて涙が出てしまった。帰りの電車の中でも、その歌が心を離れなかった。オペラを見て、涙が出ることは滅多にないのだが・・。 2年ほど前に聴いた佐藤美枝子の歌も素晴らしかった。「ルチア」を得意とする彼女は、その中のアリアを歌って、チャイコフスキーコンクールの声楽部門で、日本人初の優勝を勝ち得た。その後の国内コンサートで、東京芸術劇場の大ホールを満席にして、すばらしい歌唱を聴かせてくれた。チケットがなかなか取れずに、三階席の後ろの方で聴いたのだが、ソプラノのピアニシモが、私の耳元までちゃんと聞こえた。小柄な体のどこから、あんな声が出るのだろうと、あらためて感嘆した。 2月にまた彼女のコンサートに行く。楽しみである。 2002年01月03日 22時52分30秒
私に来る年賀状は、趣味の世界の人からのものがほとんど。現在つきあいのある人、学生時代の友達、親族。 昔の仕事仲間も数人。義理で来るものはほとんどないから、こちらから出すものと、向こうから来るものとが、大体同じ数である。いつも手書きで書くことを信条にしていたが、ここ数年は、ワープロを使うようになった。 何百枚という年賀はがきに、一枚一枚手書きで宛名から本文まで、キチンと書くことを歳末の習慣にしていた父のことを思い出す。 その人の顔浮かび来る賀状かな 暮れに友人から電話。「差出人名を書くのを忘れたの。名無しの権兵衛があったら私だから」というもの。私にも同じ失敗がある。私の場合は、指摘されるまで気づかなかった。「この字はあなただと思ったから・・」と言われ、そういえば、忘れたかなと思い当たった。でも、これは手書きだから分かったことで、ワープロなどになってしまったら、本人が特定されるようなことでも書いていない限り、分からないわけである。 年賀状だけで繋がっている人もある。ひと頃は、そうしたものをだんだん整理したりしたが、今では、むしろ、年一回の消息を伝え合う貴重な機会として、大事にしたい。 2002年01月02日 22時15分27秒
風もなく、暖かい一日だった。夕べは、紅白歌合戦を見たり、家族との団欒を過ごし、おせち料理の点検もして、寝たのが年明けの午前5時。 家族が食卓に揃ったのが、11時を廻っていた。おめでとうの挨拶を交わし、年賀状を一通り目を通す。 さすがに家の外も静かである。 捨てるもの残す物あり去年今年 元朝や離れ住む子を客として 初日記書かず過ぎれど佳き日かな 2002年01月01日 18時29分56秒
昨日午後から、我が家のエアステーションが故障。インターネットが不能になった。 一年前は、まだネットと無縁、人との交信はもっぱら手紙、電話、せいぜいファックス。それで何も不自由は感じなかった。 ただ、周りの人たちの間にパソコン使用者が増え、ことに、私の趣味である連句愛好家の間に、ネットによる付け合いが盛んになって来ると、なにやら愉しそうで羨ましい。それに、もはやワープロは欠かせない。そこで一念発起して、パソコン教室に通うこととなったのが、昨年12月。いろいろな紆余曲折を経て、一年後の今や、ネットは私の生活に欠かせないものとなった。 まる一日、ネットのない生活をしてみて、初めは静かでいいと思ったが、やはりどことなく物足りない。今朝やっと接続が復旧したときは、正直嬉しかった。 早速、ここに書き込む次第である。 2001年12月25日 13時45分38秒
コンコース その1 「ぴしゃり!」と鋭い音。新宿駅構内でのこと。私は、中央線に乗ろうとして、いそいでいたが、思わず立ち止まった。人の流れを遮るように、若い男女が向き合っている。頬を押さえてうつむいている男。それを見つめている女。その目はきつい光を放って、男の顔に向けられていた。 何があったのか。女が男を平手打ちしたらしいことは、その場の状況から判った。無言である。込んでいるコンコース。人々が、お互いにぶつかり合いながらすれ違う場所で、その光景は少し異様だった。 その2 やはり新宿駅のコンコース。すれ違いざまに、女の声。「ねえ、私のこと、お前って言わないでくれる?」 男の返事は聞こえなかった。女の声は、少し気色ばんでいたから、男はその剣幕に、ちょっとひるんだに違いない。何か言ったようだが、周りの人には聞こえない。 私は二人の間柄を想像した。男が女に「お前」というのは、どの程度の関係なのだろう。ただの友達、もう少し親密としても、「お前」というのだろうか。それとも恋人以上に進んだ間柄なのか。少なくとも、男の方は、「自分の女」という気持ちがある。それに比べて女の方は、自分をそのように限定して欲しくないと言う気持ちがある。「あなたのオンナじゃないわ」と言うことなのだろうか。 行きずりに拾った些細なことから、私は色々想像するのが好きだ。 2001年12月23日 01時43分55秒 冬至 昨日は冬至だった。かぼちゃも食べずに過ぎてしまったが・・。これから寒さはいちだんと増す代わりに、日が少しづつ長くなるわけだ。神様は、ちゃんと帳尻を合わせてくれる。 捨てるもの残す物あり年用意 門の外多めに掃いて年の空 門の脇の山茶花があらかた散り、楓の葉も落ち、冬ざれの景色となった。葉や花が散る頃は、道路の掃除が大変だった。他人は勝手なもので、緑を愛でてもくれるが、一方で枯れ葉が道を染めるのを、疎むのである。風の吹く日は、かなり遠くの方まで、枯れ葉がころがっていってしまう。東京の緑は、人間の生活上の利便さと、自然を懐かしむ気持ちの板挟みの中で、少しずつ、失われていく。三連休の一日目が終わる。。明日は年賀状を書いてしまいたい。 2001年12月23日 23時08分31秒
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